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PHOTOGRAPHERS/DAVID SEYMOUR · MAGNUM
DS
§ 084 — Photographer Index — Magnum

デヴィッド・シーモア

David Seymour
Country1940s / 1940年代 Period1930–1940s Channel写真史の入口 · PHOTO HISTORY
Abstract

スペイン内戦から戦後ヨーロッパの子どもたちまで、柔らかいが政治的な視線で報道写真の人道主義的言語を形成した。「Chim(シム)」として知られ、1947年にマグナム・フォトスを創設した写真家のひとりでもある。

この写真家が変えたこと

スペイン内戦から戦後ヨーロッパの難民・子どもたちへという軌跡を通じ、戦争報道の焦点を兵士と戦闘から一般市民の生活と尊厳へ移し替えた。マグナム・フォトス創設に参加することで、写真家が制度の外側から自律的に仕事を組み立てる枠組みを共に打ち立てた。武器ではなく被写体との関係性を問う視線が、人道主義的ドキュメンタリーの方法として後続の写真家に継承された。

Keywords Magnum
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目次 · Table of Contents
§ 01 / 03 背景と時代

デヴィッド・シーモアは1911年、ポーランドのワルシャワ近郊でユダヤ系の出版業者の家庭に生まれた。ドイツとフランスで印刷・写真技術を学んだのち、1930年代前半からパリを拠点に報道写真家として活動し、「Chim(シム)」の名義で各誌に写真を発表し始めた*1。スペイン内戦が勃発した1936年にはいち早く現地に赴き、戦闘の前線だけでなく民間人の日常や難民の姿を記録した。第二次世界大戦期には米国籍を取得してアメリカ軍情報部に所属し、戦後ヨーロッパに戻ると、1947年にロバート・キャパ、アンリ・カルティエ=ブレッソン、ジョージ・ロジャーとともにマグナム・フォトスを創設した*2。マグナムは写真家が著作権を保持し、媒体への提供条件を自ら交渉できる協同組合的な制度として設計されており、シーモアはその創設から運営に深く関わった。

戦後すぐ、シーモアはUNESCOの委嘱を受け、戦争で傷ついたヨーロッパ各地の子どもたちを撮影するプロジェクトに取り組み、1948年に写真集『Children of Europe』を出版した*3。ポーランド、ギリシャ、イタリアなどの戦争孤児や難民の子どもを記録したこの仕事は、戦後の人道主義的ドキュメンタリー写真の主要なモデルのひとつとなった。1954年にキャパが地雷事故で亡くなった後、シーモアは一時的にマグナムの代表を務めたが、1956年のスエズ危機取材中にエジプト軍の機銃掃射を受け、45歳で命を落とした*4

§ 02 / 03 表現の核心

スペイン内戦と戦争報道の視線

シーモアがスペイン内戦で撮った写真は、危険な前線よりも後方の民間人の日常に向けられることが多かった。民兵や政治集会を英雄的に描くのではなく、家族の離散、子どもたちの不安、農村の困窮を近距離で記録したその視線は、戦争の政治的意味よりも人間の具体的な経験に定位していた。ICPが所蔵するシーモアの「CHIM」アーカイブには、スペイン内戦から戦後ヨーロッパにいたる系統的な記録が収められており、報道写真と人道主義的ドキュメンタリーの接続点として研究者に参照されている*5。同時期にスペイン内戦を取材したロバート・キャパが生死の瀬戸際に迫る視点で知られるのに対し、シーモアの仕事は戦争が日常の文脈をどのように破壊するかを、より穏やかな距離から証言するものとして読める。ICPが開催した「Death in the Making」展は、キャパ、ゲルダ・タロ、シーモアが共同でスペイン内戦を記録した文脈を再検証した展示として、この時期の仕事を評価する重要な参照点となっている*6

戦後の子ども写真と人道主義的視覚言語

シーモアの名を最も広く伝えた仕事は、戦後ヨーロッパ各地で撮影した子どもたちの写真である。MagnumとUNESCOの協力のもとで行われたこのプロジェクトは、施設の子ども、孤児、難民家族の子どもを対象とし、外傷的な状況をセンセーショナルに見せるのではなく、子どもたちの回復力と人間的な尊厳を記録することを基本的な姿勢としていた*7。Magnum Photosが公開している「Children of Europe」関連資料は、UNESCOの委嘱という制度的背景と、写真家が現場でどのような判断をしたかを照らし合わせる一次資料として機能している*7。この仕事は、UNESCOや国際赤十字に代表される戦後国際機関の人道主義的な広報活動と写真メディアの関係を考えるうえで参照される代表例となっている*8。ICPが2014年に開催した「We Went Back: Photographs from Europe 1933–1956 by Chim」展は、シーモアの仕事を戦前のスペイン内戦から戦後ヨーロッパの復興期まで縦断する記録として一括して提示し、その歴史的射程を改めて示した*9

メキシカン・スーツケースとアーカイブの再発見

2007年、スペイン内戦時のネガ4,500点あまりが詰まった「メキシカン・スーツケース」と呼ばれる3つのボックスがメキシコ・シティで発見された。キャパ、タロ、シーモアの3人が内戦中に撮影したネガがそこには含まれており、長年行方不明とされていた記録の一部が初めて公開可能な状態で研究者の前に現れた*10。ICPはこの発見を受けて「The Mexican Suitcase」展を企画し、内戦写真の流通・保存・消失をめぐる歴史的経緯を展示した*10。この再発見は、報道写真のアーカイブがいかに政治的・地理的事情によって断絶・散逸するかを示す事例として写真史研究において繰り返し引用されている。

マグナム・フォトスという制度の設計

シーモアはマグナム・フォトスの創設に際し、写真家が著作権を保持し、媒体への提供条件を自ら交渉できる協同組合的な制度設計に携わった*2。1947年のマグナム創設は、戦時中の報道写真が国家・軍・雑誌社の論理に従属していた状況を変えようとする試みであり、写真家の自律性と人道主義的報道倫理を制度化する方向を目指していた。Magnum Photosの歴史資料は、この制度が内部でいかなる商業的・倫理的緊張を抱えながら運営されたかを示しており、シーモアの関与がマグナムの初期形成においていかに重要だったかを示している*11。National Gallery of Artが管理するシーモアの作家情報は、彼の主要な仕事が美術館・公共コレクションの文脈でどのように位置づけられているかを示す参照点となっている*12

§ 03 / 03 批評と写真史上の位置

シーモアの死後、彼の仕事はキャパやカルティエ=ブレッソンに比べて知名度が低い時期が続いた。しかし1990年代以降、ICPの「CHIM」展やDavid Seymour Archiveの整備、「We Went Back」展を経て、スペイン内戦写真と戦後子ども写真の再評価が進んだ*9。ユダヤ系ポーランド移民として二つの世界大戦を生きた背景は、アムステルダムのユダヤ文化クォーター(Jewish Cultural Quarter)が「Chim: Legendary Photojournalist」展で取り上げたように、流浪と証言という視点から新たに読み直されている*13。TIMEのアーカイブに掲載された「A Second Look: Chim's Children of War」は、シーモアの子ども写真が半世紀以上を経て現代の読者に何を伝えうるかを論じた記事として、写真の時代を超えた証言性を示している*14。シーモアの仕事は、写真が単なる情報伝達の手段ではなく、戦後の人道主義的言語を形成する装置として機能した時代の複雑さを示す存在として位置づけられている*15。シーモアが亡くなった1956年という時点は、マグナムが本格的な商業運営と人道主義的報道の緊張を抱えて拡張していく時期と重なっており、彼の遺産は組織の方向性をめぐる議論において参照点として残っている。National Gallery of Artが管理するシーモアの作家情報は、彼の主要な仕事がアメリカの公共コレクションの文脈でどのように位置づけられているかを示す資料として参照できる*12。Culture.plが掲載するシーモアの伝記は、ユダヤ系ポーランド移民として二つの大戦を生き抜き、戦後ヨーロッパの人道的記録を担った生涯の軌跡を、東欧の文化史的観点から概説している*15

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関連する写真家
関連する運動
  • フォトジャーナリズム ― マグナム・フォトス創設を通じ、写真家の自律的なエージェンシーモデルを制度化した運動の一角を担った。
  • ドキュメンタリー ― 一般市民と子どもたちへの視線が、戦争ドキュメンタリーの人道的な方向性を象徴する。
  • 社会ドキュメンタリー ― UNESCOの「ヨーロッパの子どもたち」プロジェクトは、社会ドキュメンタリーの国際的な展開として位置づけられる。
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