アトラス・グループは、ワリード・ラードが1990年代末に発表を始めた、架空の研究財団という名義による長期プロジェクトである。ラードは写真、映像、ノート、新聞資料、データ表を制作・収集し、架空の歴史家や寄贈者から届いた資料として分類した。実在する要素にはラード本人、既存の報道資料、制作された作品、展覧会、講演、ウェブサイトがある。財団の制度史、複数の提供者、資料の来歴の一部は創作された。《Missing Lebanese Wars》《The Bachar Tapes》《My Neck Is Thinner Than a Hair》を通して、戦争の歴史が画像、作者名、日付、分類、語り手、所蔵機関の組み合わせから成立する過程を示した。
戦争写真では、個々の写真や証言の真偽が主な問題になりやすかった。ラードは、内戦の記憶が誰の資料として分類され、公的な歴史になるのかを扱うため、架空の研究財団アトラス・グループを作った。作者、寄贈者、保管者、講演者を一人で構成し、写真の真偽から、事実を成立させるアーカイブと制度の働きへ問いを広げた。
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目次 · Table of Contents
アトラス・グループの仕組み
アトラス・グループは、ワリード・ラードが一人で構想し、研究財団の名義で発表したプロジェクトである*6。ラードが制作した写真、映像、ノート、展覧会、講演、ウェブサイトは実在する。財団の制度史、複数の寄贈者や研究者、資料の来歴の一部は創作された。展示では、ファイル番号を付けた写真やノートが壁やケースに並び、講演ではラードが財団代表として由来を説明する。一人の作家が資料の作者、保管者、分類者、解説者を演じ分け、アーカイブが成立する全工程を見せた。*1*4
ラードは1990年代末にアトラス・グループの名義を公に使い始め、プロジェクト内部では1989年から2004年という活動期間を設定した。*4創設年や共同設立者の説明は発表時期によって変わり、架空の研究者や寄贈者の経歴も更新された。展覧会、ウェブサイト、講演、資料箱を備えることで、想像上の財団が実在の研究機関と同じ振る舞いを獲得していく。*7組織の沿革まで変化させる方法は、年表や制度史が資料への信頼を支えることを具体的に示した。
架空の財団が必要だった理由
1975年から1990年に続いたレバノン内戦は、複数の政治勢力、宗派、外国軍、民兵が関わり、停戦後も原因と責任をめぐる共有された説明が成立しにくかった。復興は都市の物理的な再建を急ぎ、戦争の記憶は政治勢力、家族、亡命者、報道機関ごとに異なる形で残った。ラードは、既存の文書や写真を集めると同時に「その資料が存在した世界」を想像すると説明している*7。この発想から、実在資料と創作資料を同じ分類形式へ収める財団が生まれた。
ラードが扱おうとしたのは、戦争の出来事に加え、断片的な写真や証言が公的な歴史へ変わる手続きだった。個人名義の作品では、作家が資料を作ったことは示せても、寄贈、分類、保存、展示、研究発表によって資料へ権威が加わる過程まで再現しにくい。架空財団なら、食い違う証言を別々の提供者へ帰属させ、実在資料と創作資料を同じ書式に収め、ラード自身が研究者として解説できる。財団という形式は、内戦の複数の記憶を並べる器であり、歴史が制度によって信頼を得る仕組みを実演する舞台でもあった。*18*8
「異なる種類の事実」
ラードは、制作を事実から始め、事実には歴史的、感情的、美学的な層があると語っている。MoMAの音声解説では、この発言がアトラス・グループの方法を理解する手がかりとして紹介される*2。爆発の日時、場所、死者数は年表や統計に記録される。そこへ、赤い車を見て爆発を予感した感覚、記憶の中で写真の色が過剰になる経験、同じ身振りを反復する身体が加わる。架空資料は、検証可能な情報と感情の痕跡を別々の層として保存し、戦争経験の広がりを示すために使われた。
資料に来歴を与える
アトラス・グループの写真は、像だけを見れば新聞資料、家族写真、警察記録、研究ノートに見える。そこへDr. Fadl Fakhouri、Souheil Bacharなどの名、ノート番号、寄贈日、分類記号が付くことで、資料に来歴が生まれる。KADISTは、ラードがヴァナキュラー写真とアーカイブ文書を操作し、資料と虚構、歴史と記憶、言説と経験の境界を検討したと説明している*5。MoMAの音声解説でラードは、家族の古いスライドとレバノンの写真アーカイブから集めた暗殺写真を組み合わせ、自作画像と収集画像を同じ制作素材として扱う工程を説明している*3。架空の作者は物語上の人物であると同時に、美術館や研究機関が「誰の資料か」を確認して価値を決める習慣を可視化する。
レクチャー・パフォーマンス
ラードは壁面展示にレクチャー・パフォーマンスを組み合わせ、研究者や財団代表のようにスライドを示し、ファイルの由来を説明した。語りは学術講演の落ち着いた口調を持ち、年代や人物関係の矛盾が少しずつ現れる。Apertureは、講演そのものが資料の信頼性をその場で作る作品形式になっていると論じている*13。観客は画像、キャプション、講演者の態度を照合し、専門的な語り口を信じる自分の判断も確かめる。John Menickとの対話では、講演者の権威と物語の信憑性を同時に判断させる構造が詳しく語られている*17。*14
分類からこぼれる経験
アトラス・グループは、資料が作者名、日付、分類番号、寄贈記録を得て整然と並び、歴史的証拠として読まれる過程を扱った。分類は断片を検索可能な歴史へ変える一方、感覚や矛盾を一つの説明へ整理する。ラードは架空の提供者と変化する来歴を組み込み、アーカイブの秩序が作る理解と、その秩序が省く経験を同じ展示の中に示した。
《Missing Lebanese Wars》
《Missing Lebanese Wars》は、レバノンの歴史家たちが競馬場へ通い、勝ち馬がゴール線を越える瞬間を賭けたという架空の逸話を、ノート、切り抜き、写真、注記で構成する。Museo Reina Sofíaは、写真が「決定的瞬間」を捕えるという信念と、歴史家が出来事の開始と終結を定める行為を重ねた作品として紹介している*20。競馬場のゴール写真を使うことで、戦争の始点、転換点、終結を誰が選び、その判断がどの記録へ残るかを具体的な問題として示す。
《My Neck Is Thinner Than a Hair》
このプロジェクトは、レバノン戦争で使われた自動車爆弾を、爆発現場の残骸、エンジン、新聞写真、撮影者、掲載媒体の関係から調査するという設定を持つ。公式アーカイブは、3641件の自動車爆弾の使用をめぐる研究として作品を記載している*10。遠くへ飛んだエンジンと、それを撮る報道カメラの立ち位置を追うことで、暴力の証拠が現場、新聞、アーカイブを通って作られる経路が現れる。
《The Bachar Tapes》
《The Bachar Tapes》では、1980年代にレバノンで拘束された欧米人人質の歴史へ、架空のレバノン人質Souheil Bacharの証言を挿入する。National Gallery of Canadaは、ビデオ証言の翻訳、編集、遅延を通じ、どの体験が国際ニュースへ記録されるかを問う作品として説明している*11。存在しなかった証言者を加えることで、既存の人質史が特定の国籍、言語、男性性を中心に編集されてきた構造が表面化する。SFMOMAの作家記録も、この映像を写真、証言、翻訳が交差する代表作として収録している*9。
Arab Image Foundationとの比較
同時期のベイルートでは、古写真やスタジオ写真を収集・保存するArab Image Foundationが活動し、失われやすい地域の写真文化へ物質的な保管場所を作った。Bidounの対話は、この実在アーカイブとアトラス・グループを並べ、前者が実物資料の保存と来歴調査を進めるのに対し、後者が架空の寄贈者や分類を用いて、保存制度の権威そのものを問題にする差を示している*7。ラードは保存の価値を否定せず、保存された物がどの物語へ所属させられるかを別の作品課題にした。
虚構と歴史的責任
アトラス・グループには、実在の戦争へ架空の人物や出来事を混ぜることで、被害の事実を相対化するという批判が生じうる。Brooklyn Railの対話でラードは、作品の画像と物語を自分が制作し、架空の人物へ帰属させたことを明示したうえで、方法を単純な真偽判定へ還元しないよう求めている*15。それでも、作品が美術館の知識を持つ観客にしか仕掛けを読めないとき、レバノンの歴史が概念的なゲームとして消費される危険は残る。この危険を隠さず、誰が虚構を使う権利を持つのかまで問わせることが、作品の倫理的な緊張になっている。ICA Bostonの回顧展は、この倫理的な不安を含めて、事実と創作を往復するラードの方法を紹介した*12。
ポストドキュメンタリー
写真史には、ドキュメンタリー写真の証拠性を疑う議論や、アーカイブの分類と制度的権威を批判する実践がすでに存在した。ラードの転換は、それらをレバノン内戦の記憶へ結びつけ、架空の財団、変化する来歴、レクチャー・パフォーマンスを一つの作品構造にしたことにある*18。一枚の写真を創作するだけでは、その資料が誰に帰属し、どこで保管され、誰の声で説明され、公的な歴史として承認されるかまでは扱いにくい。財団という形式によって、ラードは作者、寄贈者、分類者、所蔵機関、講演者を作り、事実が社会的な信頼を得る全工程を再現した。Art Resources Transferの教材も、ラードがアーキビスト、歴史家、教師、演者、作家の役割を横断して、文書が歴史を伝える力と限界を検討したと整理している*16。アトラス・グループの写真史上の意味は、問いを「この写真は本物か」から、「何がこの写真を歴史的事実として信じさせるのか」へ移した点にある*11*19。
実在資料と創作資料
実在する要素は、ワリード・ラード本人、制作された写真・映像・ノート、実在する新聞写真や放送資料、展覧会、講演、公式サイトである。創作された要素には、独立財団としての制度史、Dr. Fadl FakhouriやSouheil Bacharなどの提供者、研究者の経歴、資料の来歴の一部が含まれる。一つのファイルでは両者が組み合わされる。たとえば《My Neck Is Thinner Than a Hair》は実際の報道資料と現地調査を用い、それらを財団の研究ファイルとして再編集した。この構成によって、観客は画像の内容と同時に、作者名、日付、分類番号、美術館の展示が資料へ与える信頼を読む。*1