リネケ・ダイクストラ
海辺の十代の若者・出産後の母親・兵士を正面から大判カラーで撮影。身体・アイデンティティ・通過儀礼を静止した写真に定着した。
デジタルカメラとフォトショップの普及が「写真の真実性」を根底から揺るがした時代。コンテンポラリー・アートの文脈で写真市場が急成長した一方、フィルム写真への再評価と写真集の編集が改めて注目を集めた。
1990年代のデジタル化は写真を変えた。フォトショップ(1990年商業発売)とデジタルカメラの普及が「写真は現実を記録する」という前提を社会全体に問い直させた。同時にリネケ・ダイクストラ・ボリス・ミハイロフのような作家が「身体・記録・社会」の問いを写真で深め、戦後最大の写真集市場が形成された。
デジタル化によって写真の「インデックス性」(物理的な痕跡としての記録)が疑われ始めた。しかし逆説的に、最も評価された写真家たちはフィルム写真の時間性・身体性を前景化した。デジタルとアナログの緊張が写真の存在論的問いを全面化した時代。
冷戦終結後のグローバル化・ユーゴスラビア内戦・湾岸戦争・東アジアの経済成長・阪神淡路大震災(1995年)・同時多発テロ(2001年)。
フォトショップ(1990年)・デジタルカメラの普及・インターネットが写真の生産・流通・加工を根本的に変えた。写真の「証拠性」が疑われ始めた。
1990年代後半から写真集の新しい出版文化が形成された。作家主導の写真集が批評的評価を得る独自の市場が生まれた。
バブル崩壊後の日本で蜷川実花・HIROMIX・川内倫子らのカラースナップが「女性写真家」として国際的注目を集めた。
海辺の十代の若者・出産後の母親・兵士を正面から大判カラーで撮影。身体・アイデンティティ・通過儀礼を静止した写真に定着した。
旧ソビエト社会の崩壊・ハルキウのホームレス・社会的排除された人々を生々しいカラーと白黒で記録した。《Case History》(1997年)が代表作。
美術館内の観客を大判カラーで撮影した《Museum Photographs》で写真・絵画・観客の三者関係を問い直した。都市・自然・家族ポートレートにも及ぶ広い実践。
マグナム写真家として紛争地を取材後、絵画サイズの報道写真・《Taliban》・《Winterreise》でドキュメントと美術の境界を問い直した写真家。
金魚・花・色彩の爆発的なカラー写真から映画監督へ。1990年代後半から日本のカラー写真の流れを先導し、商業と芸術の両面で独自の地位を確立した。
光・生命・誕生・死を柔らかなスクエアフォーマットで捉えた写真集《うたたね》(2001年)で国際的に注目された写真家。木村伊兵衛写真賞受賞。
ハンブルクのカフェ・レポルト常連客を撮影した写真集でストリート写真の新しい地平を開いた。親密・脆弱・周縁のコミュニティを記録し続けた写真家。
ベトナム戦争の「再演」・米軍の演習・南部の風景を大判白黒で撮影。戦争イメージの生産・メモリー・アーカイブを批評的に問い直した写真家。
トーマス・デマンド(1964年ドイツ生まれ)は、既存の報道写真や記録写真を原寸大の紙とボール紙で再構築し、そのモデルを撮影して作品とする写真家・アーティスト。「現実の構築」を主題に、写真のドキュメンタリー的権威がいかに機能するかを問い直す。
ニッキー・S・リー(1970年韓国生まれ)は、特定のサブカルチャーや集団に長期にわたって溶け込み、他者が撮影した日常的なスナップショットの中に現れる『Projects』シリーズで知られる作家。アイデンティティを個人の宣言ではなく、集団的に演じられるパフォーマンスとして問う。
シャロン・ロックハート(1964年アメリカ生まれ)は、写真と映画の両方を使い、労働・共同体・持続を主題に長期にわたる協働的プロジェクトを展開するアーティスト。静的なカメラ位置と長い持続時間を通じて、集団的生活を倫理的かつ形式的に厳密に描写する。
ローラ・レティンスキー(1962年カナダ生まれ、シカゴ在住)は、スティル・ライフと家庭的室内空間の写真で知られるアーティスト。食後の残物や日常の痕跡を通じて欲望・消費・視覚の物質性を問い、スティル・ライフを現代写真の批評的なジャンルとして再確立した。
ジェームズ・ウェリング(1951年生まれ、アメリカ)は、抽象・建築・風景・フォトグラムを行き来しながら写真の可能性を問い続けるアーティスト。「私は写真家か、それともアーティストか」という問いを実践そのものとして生きてきた。
アクセル・ヒュッテ(1951年ドイツ生まれ)は、デュッセルドルフ派に連なる写真家。鮮鋭な大判カラー写真で風景・建築・夜景を捉えながら、霞・反射・光の乱反射によって視覚的確実性を宙吊りにする。
ジェームズ・ケースベア(1953年生まれ、アメリカ)は、建築的・制度的空間の模型を自ら制作して撮影することで知られる写真家。権力・収監・イデオロギーが空間にいかに埋め込まれているかを、説得力ある写真的フィクションとして問う。
トレイシー・モファット(1960年オーストラリア生まれ)は、写真・映像・モンタージュを横断し、人種・欲望・記憶・植民地的歴史を映画的な演出と大衆的イメージの流用を通じて問うアーティスト。ステージドシーンとモンタージュを使い、個人的・歴史的な神話が視覚的に書き込まれたイメージを作る。
エルヴィン・ヴルム(1954年オーストリア生まれ)は、彫刻を主軸としながら写真を不可欠な要素として組み込むアーティスト。《One Minute Sculptures》に代表される一時的な身体的行為を写真で定着・流通させることで、彫刻・パフォーマンス・写真の境界を問い続ける。
マンフレッド・ヴィルマン(1952年オーストリア生まれ)は、写真家・キュレーター・編集者として活動し、Camera Austriaを通じてオーストリアの写真文化を形成してきた。日常・身体・脆弱性を真摯な観察で記録し、写真が物理的・実存的な存在の限界へ近づく可能性を問う。
ロイ・アーデン(1957年カナダ生まれ)は、バンクーバーのフォト・コンセプチュアリズムの文脈に位置づけられることが多い写真家・アーティスト。都市の変容・廃棄物・開発地・アーカイブを主題に、写真を都市変容の歴史的プロセスを思考するための手段として扱う。
アトラス・グループ/ワリード・ラードは、レバノン内戦をめぐる架空/準架空のアーカイブを通じて、写真・映像・文書が歴史の証拠として機能する条件を問い直したプロジェクト。
ソン・ウー・ベク(1973年韓国生まれ)は、シミュレーション・イデオロギー・表象の政治を主題に、写真そのものを疑わしい媒体として扱う写真家・アーティスト。ミニチュア都市や再構成された観光地を冷静なドキュメンタリー的手法で撮影し、現実がすでにイメージとして建設されていることを露出する。
イト・バラダ(1971年生まれ、フランス・モロッコ)は、写真・映像・インスタレーション・アーカイブにわたる実践で、タンジェを拠点に国境・都市変容・移動の政治を探るアーティスト。地政学的問題を壮大なイメージではなく、街路・建物・日常的な物体の微細な変化を通じて可視化する。
ヴァレリー・ベラン(1964年フランス生まれ)は、ポートレート・スティルライフ・ボディ・商品など多様な被写体を通じて、超精細な描写と人工性の間の不安定な関係を探る写真家。記述の正確さをそれ自体として追求することで、被写体の存在論的地位を宙吊りにする。
リチャード・ビリンガム(1970年イギリス生まれ)は、自身の家族を撮影した写真シリーズ『Ray's a Laugh』で知られるアーティスト。工場労働者階級の家庭を親密な距離で記録した作品は、1990年代イギリスにおける階級・表象の政治・ドキュメンタリー写真の倫理をめぐる議論の中心となった。
ザビーネ・ビター/ヘルムート・ウェーバー(1993年より共同活動)は、写真・建築・都市表象を中心に活動するオーストリアのアーティスト・デュオ。モダニズム建築・住宅・都市計画がいかにイメージ化・流通・イデオロギー的に枠組みされるかを問う実践で知られる。
アヌシュカ・ブロマースとニールス・シュム(ともに1969年生まれ、オランダ)は、ファッション写真・スティルライフ・アート写真の境界を意識的に撹乱するデュオ。磨き上げられた画面に微妙なずれや不気味な細部を忍ばせることで、商業的イメージの文法を批判的素材へと転換する。
ソニア・ブラス(1968年ドイツ生まれ)は、ジオラマ・動物園・スタジオ効果を用いた大判カラー写真で、自然の見た目を持つ作り物の場面を撮影するアーティスト。写真的リアリズムの約束を逆用し、観る者がイメージを信じようとする欲望そのものを問題化する。
セルゲイ・ブラトコフ(1960年ウクライナ生まれ)は、ハリコフ写真学派に属する写真家・アーティスト。ポスト社会主義的な社会・セクシュアリティ・権力を、感情的に抑制された直接的な画像構築を通じて問い、写真を社会的な彫刻として機能させる。
アダム・ブルームバーグとオリヴァー・チャナリンは、ドキュメンタリーや制度的イメージ・システムへの批判的実践で知られる南アフリカ/イギリスの写真家デュオ。フォトブック、アーカイブへの介入、インスタレーションを通じ、写真が証拠として機能する仕組みそのものを問い続けた。
シュテファン・ブルガー(1977年生まれ、スイス在住)は、写真・彫刻・インスタレーション・アクションにわたる実践で、イリュージョン・展示・観客の期待をめぐる問いを展開するアーティスト。写真の錯視性を空間的・概念的に変換し、イメージを経験の場として作り直す。
ジェラード・バーン(1969年アイルランド生まれ)は、映像・写真・インスタレーションを横断するアーティスト。歴史的な文書や雑誌インタビューを再上演することで、アーカイブの内容ではなく、それを可視化してきたイメージの形式そのものを問う。
クロード・クロスキー(1963年フランス生まれ)は、ウェブサイト・出版・写真・映像・コラージュを横断し、情報の反復・消費文化・日常的視覚言語の不条理を分析するアーティスト。写真を自律的イメージとしてではなく、メディアシステム内の記号単位として扱う。
collectif_factは、写真・映像・3Dスキャン・建築モデルを組み合わせ、都市空間やメディア映像が知覚をどのように条件づけるかを探るスイスのアーティスト集団。
シャルロット・デュマ(1977年オランダ生まれ)は、動物を中心とした肖像的な写真で知られる写真家。奉仕・喪・同伴関係というテーマを通じ、動物の周囲にポートレートとしての尊厳と感情的重さを成立させる。
ルーカス・アインゼレ(1963年ドイツ生まれ)は、写真・映像・テキスト・調査に基づくプロジェクトを横断するアーティスト。地雷・証言・イメージと証拠の関係を主題に、ポートレートと証言を組み合わせることでドキュメンタリー写真の倫理的限界を問う。
ルート・ファン・エンペル(1958年オランダ生まれ)は、数千の写真断片から丹念に構築されたデジタル合成写真で知られるアーティスト。ハイパーリアルでありながら完全に構築されたその画像は、美しさ・無垢・人種・ファンタジーをめぐる不安を孕んだ問いを提起する。
J・H・エングストローム(1969年スウェーデン生まれ)は、日記的で感情的に不安定な写真群をフォトブックの形式で発表することで知られる写真家。記憶・親密さ・疎外感を、断片的な配列と生々しいプリントを通じて記録する。
ロー・エスリッジ(1969年アメリカ生まれ)は、商業的・民俗的・美術写真のイメージ語彙を混合することで知られる写真家。ファッション・広告写真と現代アート写真の間の境界を、シーケンスと並置を通じて分析的かつ愉快に問い直す。
シャルル・フレジェ(1975年フランス生まれ)は、制服・儀礼・仮装・集合的アイデンティティをテーマとした連続肖像プロジェクトで知られる写真家。類型論的な反復によって、コスチュームと役割が身体をいかに組織するかを可視化する。
スティーヴン・ギル(1971年イギリス生まれ)は、フォトブックを主要な発表形態として、ドキュメンタリー写真を素材実験によって根本から問い直すアーティスト。カメラの中に植物や昆虫を入れたり、プリントを土の中に埋めたりすることで、場所の環境そのものをイメージの生成に参加させる。
アンソニー・ゴイコレア(1971年生まれ、キューバ系アメリカ人)は、1990年代後半から演出的写真タブローで広く認知されたアーティスト。一枚の画面に自分自身を複数役で登場させるデジタル合成により、青年期・アイデンティティ・欲望の撹乱的な劇場を作り上げる。
G.R.
アネタ・グジェシコフスカ(1974年ポーランド生まれ)は、写真・映像・彫刻を横断しながら、自己の消失・身体イメージ・デジタル操作を主題とするアーティスト。自らの身体を消去・反転・複製することで、写真における自己がいかに不安定であるかを繰り返し問う。
ホセ・アントニオ・エルナンデス=ディエス(1964年ベネズエラ生まれ)は、彫刻・写真・映像・インスタレーションを横断するアーティスト。消費財・民俗信仰・スポーツ・宗教・大衆文化を素材に不安定な象徴体系を構築し、笑いと脅威の緊張の中でイデオロギーを問う。
スゼ・ツン・レオン(1970年生まれ)は、地平線・領域・都市形態を主題に、大判カラー写真の連作でグローバル化と都市景観を探求するアーティスト。高所からのパノラマ的視点と体系的な構図によって、都市と地形を視覚的システムとして問い直す。
ポール・アルベルト・ライトナー(1957年オーストリア生まれ)は、写真・アーティスト・ブック・強迫的なアーカイブ収集を組み合わせる写真家。旅・日常的な事物・自伝的な蓄積を通じて、写真を単なる記録ではなく生きられたアーカイブ的な世界として構築する。
ネイト・ロウマン(1979年アメリカ生まれ)は、タブロイド・報道・犯罪図像・アメリカ大衆文化から見つかったイメージを反復的に流用する絵画・インスタレーション・版画の作家。すでに循環する視覚的断片を原材料として、写真的現実がいかに公的な知覚を構造化するかを問う。
オリヴァー・ムソヴィク(1971年北マケドニア・スコピエ生まれ)は、写真・映像・視覚的語りにわたって活動するアーティスト。ポスト社会主義的・ポスト・ユーゴスラヴィア的な文脈における景観の変容・都市空間・生態学的な圧力を、長期的な調査に基づく写真実践で探る。
Multiplicityは、写真・地図・証言・映像を組み合わせ、移民、境界、インフラ、移動の政治を調査するイタリアの研究集団。単一の写真ではなく、複数の証拠形式で現代空間を読み解く。
ワンゲチ・ムトゥは、民族誌写真・ファッション写真・医学図版などの断片をコラージュし、植民地主義とジェンダー化された身体表象の歴史を再構成するケニア出身のアーティスト。
アルノ・ノレン(1964年オランダ生まれ)は、写真・映像・インスタレーションにわたって活動するアーティスト。反復する静止画像のシーケンスを通じ、記憶・欲望・ナラティブの連想を活性化する。
OHIOは、写真雑誌を展示空間のように扱い、日常的で複製可能な写真の編集・出版・流通を作品化したドイツのプロジェクト。単独作品ではなくページ上の並置から写真を捉え直す。
ヤサンスキー&ポラク(Lukas Jasanský と Martin Polák によるデュオ)は、ベルリンを拠点に活動するアーティスト・デュオ。平凡な建築・インテリア・日常的な事物の写真を通じて、社会史の残滓が普通の表面に沈殿していく過程を静かな観察によって記録する。
マルコ・ポローニ(1962年スイス生まれ)は、写真・映像・インスタレーション・調査に基づく語りにわたって活動するアーティスト。国境・移民・紛争・政治的記憶の不安定さを主題に、写真を証拠・証言・語りが交差する拡張された探究の場へと転換する。
ゴンサロ・プフ(1950年スペイン生まれ)は、写真・映像・インスタレーションにわたって活動するアーティスト。人物・建築・オブジェクトを精巧に構築した場面に配置し、身体とアイデンティティが空間的配置によっていかに読まれるかを問う。
アンリ・サラ(1974年アルバニア生まれ)は、映像・音・インスタレーションを通じて記憶・政治的転換・歴史的語りの不安定さを探るアーティスト。ポスト社会主義的な文脈のなかで、アーカイブ映像をそのまま「証拠」ではなく遅延と再構成を通じて意味を帯びる断片として扱う。
ジュール・シュピナッチュ(1964年スイス生まれ)は、半自動カメラシステムや長期的な連続プロジェクトで知られる写真家・アーティスト。監視・政治的スペクタクル・自動化された画像生成を主題に、ドキュメンタリー写真をシステムと基盤構造への批評へと転換した。
エリック・シュタインブレッヒャー(1963年ドイツ生まれ)は、写真・彫刻・テキスト・インスタレーションにわたって活動するアーティスト。日常的な物や標識を最小限の手つきで扱い、言語・労働・流通の社会的構造を静かに問う。
イヴ・サスマンは、歴史絵画のタブローや写真の構図を映像・インスタレーションへ展開し、静止画像が時間、身体、演技によってどのように揺らぐかを探る作家。
フィリップ・テリエ=エルマン(1970年フランス生まれ)は、写真・映画・映像・インスタレーションを横断するアーティスト。映画的なフィクションが写真的イメージをいかに構造化するかを問い、演出・俳優・映画の文法を通じて主体性が視覚文化によっていかに書き込まれるかを探る。
アナ・トルフス(1963年ベルギー生まれ)は、写真・テキスト・プロジェクション・インスタレーションを使い、証言・翻訳・記憶・ドキュメンタリーの権威の不安定さを探るアーティスト。イメージを証拠としてではなく、解釈と不確かさの場として提示する。
ジャナイナ・チェペ(1973年生まれ、ドイツ/ブラジル)は、写真・映像・パフォーマンス・彫刻・絵画にわたって活動するアーティスト。水・植物・神話的なイメージを通じて身体が景観へと溶け込む変容の過程を、演出的な写真と映像で記録する。
イェンス・ウルリッヒ(1972年ドイツ生まれ)は、写真・彫刻・コラージュ・インスタレーションにわたって活動するアーティスト。既存のイメージや文化的形式を反復・複製・転置することで、複製そのものを批評的な方法として問う実践で知られる。
ユースフル・フォトグラフィーは、実用的・匿名的・日常的な写真を収集・編集し、美術作品ではなく社会の中で使われる画像として写真の価値を捉え直す編集プロジェクト。
オノデラユキ(1962年生まれ)は、ルール駆動の連作・暗室実験・大判手製プリントを特徴とし、写真過程を概念的な問いの生成装置として扱う写真家。「新宇宙の写真」賞を受賞し、コンセプチュアルな手続きと視覚的な驚異を結びつける実践を展開してきた。