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PHOTOGRAPHERS/ASAKO NARAHASHI ·日本写真 ·UPDATED 2026.07
AN
§ 300 — Photographer Index — 日本写真

楢橋朝子

Asako Narahashi 1959–
Country日本 Period1980–2020s Channel写真史の論点 · 日本写真
Abstract

楢橋朝子は、手持ちのカメラで街や旅先を歩き、大量に撮り、後から写真を選ぶ方法を続けてきた写真家。初期には歩く身体が撮影位置を変え、《ギプス》では動きにくい足が画面に入り、水面作品では波が身体とカメラを上下させる。そのとき身体が置かれた状況を撮影へ持ち込み、撮影時には確認できなかった写真を後から選ぶ制作をたどる。

この写真家が変えたこと

楢橋朝子の写真では、撮影者がどこに立ち、どのように動けるかが画面に直接影響する。歩く、松葉杖で移動する、波に足元を動かされる。水面作品では、目が波と安全を確かめる一方、カメラは陸を向き、本人が撮影時に確認していない画面が残る。身体、カメラ、その場の動きから生まれた写真を後から選ぶことを、制作の中心に置いた。

Keywords 03FOTOS NU・E main フニクリフニクラ 水面 風景写真 日本現代写真
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目次 · Table of Contents
§ 01 / 04 背景と時代

楢橋朝子は東京に生まれ、早稲田大学第二文学部美術専攻在学中に「フォトセッション」へ参加した。*6SFMOMAが公開する『main』創刊号の対談では、写真をしているという自覚が生まれたのは1986年頃だったと振り返っている。*4フォトセッションには森山大道が関わり、楢橋は約2年間参加したのち、1989年にギャラリー街道で初個展「春は曙」を開いた。*1卒業後の旅で撮った写真を短い間隔で展示し、自分でプリントし、選び、壁に並べる作業を繰り返した経験は、その後の制作の基礎になった。*11990年には自作を発表するための03FOTOSを開き、暗室でプリントした翌日に展示できるほど、撮影、プリント、選択、展示を短い周期で反復した。*11992年から1997年の「NU・E」は03FOTOSで17回の展覧会を重ね、最後に写真集としてまとめられた。*11996年には石内都と写真誌『main』を創刊し、2000年まで10号を刊行した。*11創刊号は、写真展とは異なる場をつくることを目的として掲げ、各号に二人自身の作品と文章、対談、書物の紹介を組み込んだ。*4石内都は後年のApertureのインタビューで、『main』について、男性中心の古い写真界から離れ、二人がその時点で作っていた作品を載せる場が欲しかったと振り返っている。*22Apertureの質問も、女性だけで運営し、依頼仕事ではない写真を発表する試みとして『main』を位置づけている。*22楢橋は、撮影に加えて、どの空間で、どの順序で、どの媒体を通して見せるかまで制作の一部にした。1998年には東京国立近代美術館の「距離の不在:写真の現在」に参加し、自主ギャラリーの小さな空間から美術館の展示へ作品の尺度が広がった。*102001年、東京都写真美術館の企画をめぐるやり取りで、複数のカラー作品群のうち水面から撮った2点が選ばれたことは、「half awake and half asleep in the water」へ制作を集中させる重要な契機の一つになった。同じ時期、プリントをすべて自分で行うという従来の決め事を手放し、大きなサイズをラボで制作するようになったことで、楢橋の写真は撮影位置だけでなく、展示空間での見え方も変えていった。*1

§ 02 / 04 表現の核心

森山大道との出会いと、歩きながら撮る方法

楢橋朝子は浪人時代からマン・レイのソラリゼーションやフォトグラムに関心を持ち、自宅に暗室を作っていたが、当時の写真は記録の手段に近かった。1985年に森山大道の『犬の記憶』を読み、写真で自分の表現ができると考えたことが、現在へ続く制作の直接の契機になった。*1翌1986年から森山が関わったフォトセッションに参加し、撮った写真を見せながら制作を続けた。*16AWAREは初期のモノクローム作品に、森山らの「あれ、ブレ、ボケ」との共鳴を指摘している。*3Collector Dailyは「春は曙」の特徴として、暗いトーン、強いコントラスト、濃い中間調、ブレ、光のフレアを挙げている。*20楢橋自身もRC印画紙を強いコントラストで焼き、ベタ焼きでは何が写っているか判然としない露出不足のネガから像を引き出すことを面白がっていた。*1その後は九州、沖縄、竹富島、東京を歩きながら、人、動物、看板、植物、室内、路上の断片へ反応して撮る方法を作っていった。1989年の「春は曙」では、高い位置と低い位置が切り替わり、窓、鏡、金網、植物、車窓など、歩いている途中でカメラと対象のあいだに入ったものも画面に残る。*201992年から1997年の「NU・E」でも、花嫁、魚の頭、動物、植物、街角を一つの主題へ整理せず、理由を説明できないまま気になった光景を撮り続けた。*16初期のスナップでは、歩くことが撮影位置を変え、身体の高さや向き、その場で視界を遮るものが、そのまま写真の構図へ入っていた。

《ギプス》とカラー作品——身体の動きと見え方の変化

1991年の《ギプス》は、楢橋が足を骨折し、ギプスと松葉杖を使いながら旅行して撮影した作品である。Photo & Culture, Tokyoは、写真にギプスをした本人の足がたびたび入り、自由に動けない身体が画面に与えた影響を考えさせる作品として紹介している。*25同記事は、この画面の不安定さを後の水面作品とも関連づけている。*25《ギプス》では、撮影者の身体はカメラを運ぶだけの存在ではない。歩幅が限られ、立てる場所が変わり、松葉杖で移動する自分の足まで画面に入ることで、身体の状態が撮影位置と写る範囲を具体的に変えている。カラー作品への移行でも、「どう見るか」は変化した。友人からカラー自動現像機を譲り受けたことをきっかけの一つに、楢橋はカラーへ取り組んだ。*16モノクロームと同じように撮ると、人は人、建物は建物として現実の情報が強く見えすぎると感じ、別の方法を探した。*1『フニクリフニクラ』へつながる時期には、人物、建物、看板、道などが同じ画面に入るようになり、近くの一つの「モノ」から、複数のものの配置によって起きる「こと」へ関心が移ったと本人は説明している。*1歩きながら一つの対象を見つめ続けず、視野の端で何かを感じたときに撮る方法も試した。対象をはっきり見てから撮ると、自分の感情がそこへ寄りすぎると考えたためである。*16《ギプス》では身体の制約が撮影位置を決め、カラー作品では視野の端で感じたものに反応する。撮影前に画面を確定しない方法が、異なる形で続いている。

街を歩くスナップから、水の中のスナップへ

2000年頃、楢橋は水中写真を撮ろうとして城ヶ島の海へ入ったが、水が濁っていたため水中撮影を断念し、低い位置から陸へカメラを向けた。その中に気になる2点があり、翌2001年から本格的に撮り始めた。*16水面作品へ集中する以前はスナップショットが多かったと、楢橋自身も振り返っている。*17SFMOMAが公開した1996年の石内都との対談では、1986年頃にカメラを買い、写真を撮るために歩き始めたと語っている。*42026年の「Between the Lines」展は、楢橋が活動を始めた1980年代を、写真が出来事の説明から離れ、同じ場所にある物や人の関係へ目を向けた時期として位置づけている。展覧会文は、楢橋の初期作にも、決めた主題を追うより撮影中の偶然を受け入れる姿勢があったと述べる。*31Photo & Culture, Tokyoは、初期作と水面作品に共通する方法として、手持ちでその場に応じて撮る姿勢を挙げている。*25街では自分の足で位置を変え、視界に入ったものへ反応してシャッターを切った。海では足場が固定されず、波によって身体とカメラの高さが変わる。手持ちでその場に反応する方法は続き、偶然を生む条件が、街路での出会いから、水、足場、身体の動きへ広がった。水面作品では、スナップショットが成立する場所と身体の条件そのものが変わった。

波の中で、目とカメラが別々に動く

「half awake and half asleep in the water」では、楢橋は胸ほどの深さまで水へ入り、防水カメラを水面近くに構え、岸へ向けて撮影した。ニコノスはファインダーとレンズの位置が一致せず、覗いて構図を決めようとするとカメラが水没するため、ノーファインダーが基本になったと本人は説明している。*17楢橋は子どもの頃から、足の裏の砂が波に削られ、膝ほどの水でも身体が前後左右へ持っていかれる感覚を覚えていた。大人になって撮影のために海へ入った後も、足元をすくわれ、波音が途切れず、方向感覚が危うくなる状態の中で撮っている。*17足場は動き、立つ高さは波ごとに変わる。目は安全と波の動きを確かめ、カメラを持つ手は上下する。その状態が画面を変える。楢橋の目は波を追い、カメラは陸へ向けられるため、本人が見ている方向とフィルムに記録される方向は完全には重ならない。波が高ければ岸は隠れ、低ければ建物や山が現れ、そのたびにカメラの高さと傾きも変わる。前田恭二はシリーズ初期の2002年に、楢橋が波間に漂う身体の感覚へ意識を従わせていると論じた。*262026年のFriezeは《Kawaguchiko》について、カメラと富士山の双方が流れに翻弄されているように見えると評した。*30水は撮影者の身体を動かし、カメラの向きと陸地の見え方も変える。楢橋自身も、海と一体化しすぎないよう現実的な判断を保つと話している。*17写真家は安定した場所から画面を決められない。身体は波を受け、目は動きと危険を確かめ、カメラは本人が確認していない画面を記録する。初期のスナップでは歩く身体が構図を変え、《ギプス》では動きにくい身体が撮影位置を変え、水面作品では波が身体とカメラを動かす。楢橋は、自分がどう動けるか、何を見られるかを撮影条件として写真に残してきた。

撮影した自分から離れて、写真を選ぶ

楢橋は水面作品でも完成像を先に決めず、場所や太陽の方向を考えた後は周囲へカメラを向け、大量に撮影する。フィルム時代には一度の旅行で36枚撮りを何十本も使い、デジタルではさらに撮影枚数が増えたと話している。*17撮影後は最初の印象だけで決めず、写真を何度も見直し、撮った瞬間の感情を判断基準にしすぎず、繰り返し気になるものを残す。*17社会や自然について考えていても、その考えを先に写真の説明へ置き換えることは避け、海洋環境を意識する場合にも、説明のための写真にすると面白くなくなると話している。*17海を撮ること自体も制作の目的とは考えていない。*1803FOTOS時代から、撮る、見る、選ぶは同じ瞬間に終わらない。街を歩いていた自分、ギプスで移動していた自分、波に動かされていた自分がシャッターを切り、後になって別の時間の自分が写真を見る。撮影時に何を感じていたかだけで決めないため、本人がその場では気づかなかった画面も作品として残り得る。大量の写真から何を残し、どの写真と並べるかを後から決めることによって、身体の反応から始まったスナップショットが、写真集や展示の中で作品へ組み立てられていく。*25

§ 03 / 04 代表作・方法・媒体

城ヶ島から始まった水面作品

2000年頃の城ヶ島で偶然生まれた2点から始まった水面作品は、日本各地の海や湖へ広がった。Yossi Milo Galleryの資料では、楢橋が2001年以降、50か所以上で撮影したとされている。*7最初の城ヶ島では水陸両用のコンパクトカメラを使い、その後は35ミリの防水フィルムカメラ、ニコノスへ移った。*16防水カメラは、水中でも手持ちの撮影を続けるための機材になった。*172007年には2000年から2006年の作品をまとめた写真集『half awake and half asleep in the water』がNazraeli Pressから刊行され、マーティン・パーが編集とセレクトを担当した。*9この写真集は海岸線を地理的に説明しない。ページをめくるたびに同じように水面が現れながら、岸の高さ、建物、山、空の広さが変わり、一つの撮影方法が異なる土地の違いを見せていく。

《Iwasehama》と《MEKARI》を比べる

SFMOMA所蔵の《Iwasehama》では、暗い緑色の水面が画面下半分を大きく占め、左端の人影と岩、水平線上の船が細い帯の中に残る。岸は連続した地面としてほとんど見えず、水面の高さによって陸側の情報が断片化されている。*12東京国立近代美術館所蔵の《half awake and half asleep in the water MEKARI》では、焦点の外れた暗い波が画面下部から大きくせり上がり、右上の橋梁と遠景の陸はその上に細く残る。*2同じ水面の高さから陸へ向けても、波が画面を占める量によって、人物、船、橋といった陸側の要素が見える範囲は大きく変わる。身体とカメラの高さが波ごとに変わることが、そのまま陸の見える量の違いになっている。東京国立近代美術館所蔵の《SHIKARIBETSUKO》は湖で撮影され、シリーズの撮影地は海岸に限られない。*15

写真集とデジタル——撮影した写真をどう見せるか

楢橋は長く自分でプリントすることを制作上の決め事にしていたが、東京都写真美術館の展示準備を通して60×90センチの大判プリントをラボで制作し、自分で焼けるサイズだけに作品を限定しなくなった。*12007年の写真集『half awake and half asleep in the water』では、2000年から2006年の写真がページの連続としてまとめられた。*9Tsukaは、穏やかな海から始まり、荒い海と静かな海が交互に現れる編集と、厚いページをめくる動きが波の反復を思わせると指摘している。*232011年の東日本大震災と津波の後、楢橋は一時期、日本で水を撮ることから離れ、オランダの陸上で撮影したのち、野尻湖をきっかけに水面作品へ戻った。*192019年以降の作品から構成される「Drifting but never sinking」は、フィルムの「half awake and half asleep in the water」に続きながら、デジタルカメラを用いるため別シリーズとして発表されている。作品には撮影年と地名の頭文字を組み合わせたキャプションが付される。*8IG Photo Galleryの展覧会文が記すように、デジタルへ移っても、水の動きに身体を揺らされながら陸を見る撮影条件は続いている。*8フィルム、自家プリント、ラボによる大判プリント、写真集、デジタルへ媒体が変わっても、楢橋は撮影時には予想できなかった大量の写真を後から見直し、何を残し、どの大きさと順序で見せるかを決めてきた。撮影した瞬間と作品として見せる時間を分けることは、初期から現在まで続く制作の重要な部分である。

§ 04 / 04 批評と写真史上の位置

初期の「春は曙」と「NU・E」、カラーの『フニクリフニクラ』、水面作品は見た目が大きく異なるが、楢橋は一貫して手持ちのカメラで移動し、大量に撮り、後から写真を選んできた。*251998年には東京国立近代美術館の「距離の不在:写真の現在」に参加した。*102008年には東川賞国内作家賞を受賞した。*5東京国立近代美術館には複数の作品が収蔵されている。*13SFMOMAにも「NU・E」と水面作品が収蔵されている。*1403FOTOSから始まった活動は、国内外の美術館へ広がった。

スナップショットの何を変えたのか

1968年の『カメラ毎日』座談会「現代写真――日常の光景について」では、あらかじめ作られた場面や出来事の説明に写真を従わせず、日常の中で不意に現れる光景へどう反応するかが議論された。*28参加者は、写真家を中心に世界が整然と広がる一点透視的な見方にも疑問を向けた。*281977年の対談では、山岸章二が写真の活力とスナップショットの関係を問い、ギャリー・ウィノグランドは、その呼び名の曖昧さを指摘した。完成した写真だけを見ても、撮影者がどんな方法で撮ったかは判別できないからである。*29スナップショットは、偶然への反応、写真家の意図、撮影行為と完成した写真の関係をめぐって繰り返し問い直されてきた。1980年代半ばにカメラを持って歩き始めた楢橋は、日常の断片へ反応するスナップから出発し、《ギプス》では自由に動けない身体を、水面作品では波に動かされる身体を撮影条件に含めていった。前田恭二は2007年、海側から陸を撮る作品を、通常は撮影者がいるとは予想されない場所からのスナップショットとして考察した。*24Photo & Culture, Tokyoも、陸上の初期作と水面作品に、手持ちでその場に応じて撮る方法の継続を見ている。*25楢橋は、街で偶然に出会うものへ反応するスナップショットを水中へ持ち込んだ。そこで偶然は、写真家の反射に加え、波、足場、身体、カメラの動きからも生まれる。

海から見た日本——海外批評と現在の研究

Friezeは楢橋朝子の水面作品を、日本の陸地を海側から見る写真として取り上げ、画面では海が大きな塊として手前を占め、陸が細く遠く見えると論じている。*21楢橋自身も、水面作品を始めた頃に「日本を島として見て、写したい」と考えていたと話している。*19水面が画面の大半を占めると、建物や山は海の向こうに細く現れ、陸地の方が不安定に見える。Friezeの批評は、海中で撮る珍しさより、海側から見た陸が画面上でどう変わるかに重点を置いている。2025年には、フロリダ州立大学のFranz Prichardが、Society for Cinema and Media Studiesの年次大会で「Submergent Opacities: Asako Narahashi’s Photographic Surfacing of Gazes」と題する研究発表を行った。発表原稿や要旨は公開されておらず、題名以上の議論はまだ公にされていない。*27

§ REL 関連する写真家・運動
Photographers
  • 森山大道 — フォトセッションを通して楢橋が写真を制作として意識する契機の一つになった写真家。
  • 石内都 — 1996年から2000年まで写真誌『main』を共同で編集、発行した写真家。
  • マーティン・パー — 2007年の写真集『half awake and half asleep in the water』の編集とセレクトに関わった写真家。
Movements / Contexts
  • 自主ギャラリー — 03FOTOSを通じて、撮影、プリント、展示の間隔を作家自身が組み立てた活動。
  • 写真集文化 — 『NU・E』や水面作品で、単写真だけでなく選択とページ順序が作品の見え方を変える文脈。
  • 風景写真 — 安定した陸上の視点を水面へ移し、撮影者の位置そのものを画面の条件にした文脈。
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§ SRC 出典