アレック・ソス
ミシシッピ川沿いの人々・孤独・夢を大判カラーで記録した《Sleeping by the Mississippi》(2004年)でマグナム参加。写真集文化のロードトリップ様式を確立した。
同時多発テロ(2001年)とその後の「対テロ戦争」が写真ジャーナリズムの役割を問い直した時代。デジタル一眼レフの普及でアマチュアと職業写真家の境界が溶けた。アレック・ソスらが「ロードトリップ写真集」という新しい写真集文化を開いた。
9.11以後、報道写真の倫理と戦争イメージの流通が根本的に問い直された。同時にデジタル一眼レフの普及とブログ・SNSの台頭で「誰もが写真家」の時代が到来した。バートンスキーは環境破壊の航空写真で気候危機を視覚化し、クルードソンは映画的演出写真を精緻に極めた。日本では畠山直哉・百々新らが社会と自然の関係を問い続けた。
デジタル化以後の写真家たちは「写真はなぜ今もフィルムで、大判で、写真集で存在するのか」を常に意識せざるを得なかった。ソスの《Sleeping by the Mississippi》やバートンスキーの《Manufactured Landscapes》は、いずれもデジタル時代のアナログ的物質性を前景化した実践だ。
同時多発テロ(2001年)・イラク戦争(2003年)・スマトラ島津波(2004年)・リーマンショック(2008年)・気候変動への国際的関心の高まり。
デジタル一眼レフの普及・Flickr(2004年)・YouTube(2005年)・iPhone(2007年)が写真の生産と流通を根本的に変えた。
Paris Photoなど国際写真祭での写真集市場が急成長。独立系出版社が増殖し、写真集が批評的評価の場として確立した。
バートンスキーの製造風景・気候変動への視覚的証言が「環境写真」というジャンルを確立した。
ミシシッピ川沿いの人々・孤独・夢を大判カラーで記録した《Sleeping by the Mississippi》(2004年)でマグナム参加。写真集文化のロードトリップ様式を確立した。
製造業・石油・採掘・難破船を航空写真・大判カラーで撮影した《Manufactured Landscapes》(2003年)。環境破壊の壮大な美学と倫理を同時に提示した。
ハリウッド映画的な照明・スタッフ・予算でアメリカ郊外の日常に潜む不安を演出した大判写真。写真と映画の境界を最も贅沢に問い直した演出写真の極限。
石灰石採掘場の爆破・東京地下河川・釜石の震災前後を撮影し、自然と工業・景観と破壊の関係を問い続けた写真家。
『上海の流儀』『対岸』『White Map on the Silk Road』などで、移動する身体と土地の生活感覚の距離を写真集として編んできたドキュメンタリー写真家。『対岸』で木村伊兵衛写真賞受賞。
同一の瞬間を複数カメラで同時撮影し、写真の「単一視点・単一瞬間」という慣習を問い直した《Exposures》シリーズ。写真の知覚論的基盤を実験した。
《うたたね》《花火》(2001年)以降、世界的写真家として確立。《Illuminance》(2011年)まで一貫して光・生命・時間の循環を撮り続けた。
10代の少女たちを自然光・ソフトフォーカスで撮影し、脆弱性・成長・アイデンティティを探った。デュッセルドルフ周辺の若い写真家世代として国際的に認知された。
ライアン・マッギンレー(1977年生まれ)は、ニューヨークのダウンタウン・ユース・サブカルチャーを身近な距離から撮影し、後に屋外での演出的な裸体ロードトリップへと展開したアメリカの写真家。24歳でホイットニー美術館初の個展を開いた最年少作家として知られる。
ヴィヴィアン・サッセン(1972年アムステルダム生まれ)は、飽和した色彩・深い影・断片化された身体・隠蔽された顔を特徴とするファインアートと写真ファッションを横断するオランダの写真家。幼少期をケニアで過ごした経験が記憶・置換・夢想の主題に通底し、MoMA「New Photography 2011」…
サラ・ヴァンダービーク(1976年生まれ)は、美術史・アーカイブ・都市の断片を一時的な彫刻として組み上げ写真に収め、その後解体するアメリカのアーティスト。写真はオブジェクトの唯一の痕跡として残り、記憶・時間・場所・集合的歴史の問いを担う。
シャノン・エブナー(1971年生まれ、ロサンゼルス拠点)は、段ボール・木材・コンクリートブロックで文字や語句を構築して写真に撮り、言語を視覚的構造として問うアメリカのアーティスト。「The Electric Comma」など詩と写真を横断するプロジェクトで知られ、MoMAに複数作品が収蔵されている。
ジェシカ・イートン(1977年カナダ生まれ)は、RGBフィルターと多重露光を用いたカメラ内加算色分離によって抽象的な色彩構造を生成するカナダの写真家。代表作「cfaal(Cubes for Albers and LeWitt)」は、ポスト制作によらず光学的プロセスのみで視覚的に飽和した色彩を作り出…
アイリーン・クインラン(1972年生まれ)は、スモーク・鏡・マイラー・偏光ゲル・期限切れフィルムといった素材を使ったスタジオ実験でフェミニスト的写真抽象を展開するアメリカの写真家。MoMA「New Photography 2013」参加。
ルーカス・ブレイロック(1978年生まれ)は、消しゴムや靴などの日常物を大判カメラで撮影し、Photoshopの加工痕をあえて残すアメリカの写真家。デジタル操作の「隠蔽」という慣習を逆転させ、加工の労働それ自体を写真の構造として可視化する。
ケイト・ステシウ(1978年生まれ)は、インターネットやストックイメージ・データベースから画像を採取し、デジタル加工・プレキシグラス・コラージュと組み合わせた写真的構造物を制作するアメリカのアーティスト。商業的画像経済と写真のオブジェクト性をめぐるポストインターネット的実践を展開する。
ラシード・ジョンソン(1977年シカゴ生まれ)は、ヴァン・ダイク・ブラウン印画などの歴史的写真プロセスと演出的なポートレートを通じ、黒人のアイデンティティ・二重意識・表象の政治を問うアメリカのアーティスト。スタジオ美術館ハーレム「Freestyle」(2001年)に参加しポストブラック芸術の文脈で…
アーティ・ヴィアカント(1986年生まれ)は、写真・彫刻・デジタルファイル・オンライン流通を横断するアメリカのアーティスト。2011年開始の「Image Objects」シリーズで、展覧会ドキュメント画像をアーティスト自身が加工して独立した作品とし、物理的オブジェクトとその複製・流通の境界を問う。
ケリー・コネル(1974年生まれ)は、一人のモデルを複数の役割で撮影しデジタル合成した「Double Life」シリーズで知られるアメリカの写真家。架空の二人の関係として提示されるその光景は、アイデンティティ・ジェンダー・親密性をめぐる内的葛藤を、ドキュメントの形式を借りて外在化する。
ナタリー・チェコ(1976年生まれ、ベルリン拠点)は、雑誌・新聞・商品パッケージなどの印刷物の中に既存の詩を「発見」し、文字をマーキングして写真に撮る「Hidden Poems」シリーズで知られるドイツのコンセプチュアル写真家。カメラを読書の装置として使い、見ることと読むことの重なりを問う。
松江泰治(1963年東京生まれ)は、地平線と空を排し正面光で影を消し去った「地表面」の写真を撮り続ける日本の写真家。東京大学で地理学を学んだ背景を持ち、写真を景色の窓ではなく地理情報・密度・縮尺の場として扱う。
林典子(1983年生まれ)は、キルギスの花嫁誘拐・ヤジディ教徒の祈りなど国際社会で報道されにくい問題を長期取材するドキュメンタリー写真家。2013年にVisaポール・イマージュのVisa d'Or受賞(日本人初)。
ピーター・ヒューゴは、南アフリカを拠点に、正面性の強いポートレートでポスト・アパルトヘイトの記憶、白人性、周縁化、電子廃棄物、他者表象の不安を扱う写真家。『The Hyena and Other Men』『Permanent Error』『Kin』では、人物・場所・動物・廃棄物・家族を強い画面の中…