サイモン・ノーフォークは、《For Most of It I Have No Words》《Afghanistan: Chronotopia》《Burke + Norfolk》を通じ、戦争を銃撃や犠牲者の瞬間から、廃墟、通信施設、ミサイル実験場、考古学的遺構、帝国の物流が残る風景へ移した。大判カラー写真の細部と歴史画のような美しさを用い、土地を、異なる戦争が堆積する証拠として読む。戦争写真が何を見落としてきたかを、風景写真の形式から問い直す。
戦争写真には、ロジャー・フェントンの無人の戦場、20世紀の人間中心の報道写真、20世紀末の破壊後の場所を撮る「遅い写真」という複数の系譜がある。ノーフォークはこれらを接続し、廃墟、通信基地、兵器開発施設、国境設備、帝国期の写真、氷河を同じ「戦場」の連作へ組み込んだ。彼が表そうとしたのは、戦闘の結果に加え、暴力を事前に設計する技術、過去の征服を反復する画像、終戦後も土地に残る制度だった。風景写真の精密さと写真集の連続性を使い、戦争を一地点の事件から、帝国、情報、物流、環境が長期間作動するシステムとして読む方法を、現代の紛争写真の中で代表的なものにした。
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報道写真から離れ、「戦場」という語を引き伸ばす
サイモン・ノーフォークはナイジェリアのラゴスに生まれ、イギリスで学んだ。写真家としての初期には極右、難民、戦争を扱う報道・ドキュメンタリーの現場に関わったが、次第に、ニュースの即時性を越えて紛争の構造を長い時間で捉える必要を感じるようになった。公式CVで彼は、自らの仕事を「戦場」という語の意味をあらゆる形で探り、引き伸ばす二十年以上の試みと説明している*1。その対象は、戦争地域と難民危機から、兵器設計用スーパーコンピューター、核ミサイルの発射実験、国境施設、通信基地まで広がる。
この転換が起きた1990年代は、湾岸戦争、旧ユーゴスラビア、ルワンダ、アフガニスタンなどの紛争が衛星放送とデジタル通信を通じて世界へ流通し、戦争の可視性が拡大した時代だった。同時に、軍が提供する映像、埋め込み取材、遠隔兵器の映像は、可視化された戦闘の背後に広大な制度があることを明らかにした。ノーフォークは、人間の苦痛を生む軍事制度とインフラを画面へ取り込むため、風景へ向かった。World Press Photoの経歴は、彼を戦争地域と軍事技術の双方を撮る風景写真家として紹介している*2。
歴史画、19世紀の戦争写真、現代のアフターマス
戦闘後の場所を撮る方法には長い歴史がある。ロジャー・フェントンのクリミア戦争写真は、長時間露光と大型機材のため戦闘そのものより道路、陣地、砲弾、兵士の配置を写した。19世紀の植民地写真家ジョン・バークも、第二次アフガン戦争に従軍し、戦場、都市、人物、遺跡をガラス乾板に残した。ノーフォークはこうした先行例を、現在の戦争を歴史の層として見る手がかりへ読み替えた。公式《Burke + Norfolk》序文は、2010年にバークの写真を起点として現代アフガニスタンを再撮影したプロジェクトの成立を説明している*3。
アフターマス写真は、惨事の直後や後年の痕跡を静かな風景として撮るため、暴力を美化する危険を伴う。ノーフォークは、美しい風景写真が持つ権威と鑑賞時間を意図的に利用し、その危険も作品の内部へ引き受けた。BLDGBLOGのインタビューで彼は、軍事施設や破壊された場所に「軍事的崇高」と呼べる魅力が生まれることを認め、その美しさが権力への畏怖と批判の両方を含むと述べている*4。鑑賞者が画面に留まり、細部を読む時間を確保することが、遠隔地の戦争を長い歴史として考える条件になる。
《Afghanistan: Chronotopia》— 土地を「戦争考古学の博物館」として読む
《Afghanistan: Chronotopia》(2002)は、2001年のアメリカ主導の攻撃後にアフガニスタンを撮影し、ソ連侵攻、内戦、タリバン政権、米軍攻撃に、古代文明や過去の帝国の遺構まで重ねた。公式ページでノーフォークは、アフガニスタンの街路を歩くことを、異なる破壊の時代が堆積する「戦争考古学の博物館」を歩くことになぞらえている*5。ここで用いられる「chronotopia」は、時間と場所が一つの像の中で結びつく状態を指す。崩れた建物は、修復、再利用、再破壊を通じて複数の歴史を保持する。
大判カメラの高い解像度は、遠景の山、瓦礫、弾痕、道路、看板、生活の痕跡を同じ密度で残す。写真は「何が起きたか」という説明を抑え、鑑賞者に地層を読む作業を要求する。Belfast Exposedはこの連作を、カブールの街路に異なる戦争の瞬間が堆積する風景として紹介している*6。Halsey Instituteも、主流メディアが抑え込む長期的な苦痛を、考古学的遺構と現在の破壊をつなぐ方法として説明している*7。ノーフォークにとって風景は、事件が去った後にも政治を語り続ける資料である。
大判カラーと「美しすぎる戦争写真」の緊張
ノーフォークの写真は、夕暮れの空、精密な遠近感、鮮やかな色、古典的な構図を持ち、廃墟を崇高な風景に見せる。この美しさは、戦争の惨状と不釣り合いに感じられる。彼の方法では、美と倫理の緊張が同じ画面に持続する。戦争機械は巨大な建築、光、技術、速度によって人を魅了し、その魅力が国家の権力を支える。写真はその魅力を画面に残し、軍事的スペクタクルが人を引きつける仕組みまで検討する。Deutsche Börse Photography Foundationは、ノーフォークの作品を戦争、帝国、技術の風景を精密なカラー写真で検討する実践として所蔵している*8。
一方で、美的な距離が被害者を画面外へ追いやる危険は残る。《For Most of It I Have No Words》(1998)は、20世紀のジェノサイドの場所を撮り、空の風景と歴史的説明の間に大きな隔たりを作った。Hyman Collectionはこの連作を、虐殺の現場が現在は日常的な土地へ戻っている事実と、写真が過去の暴力を直接見せられない限界に結びつけている*9。題名は、言葉とイメージが惨事を代表するときに生じる限界を示す。ノーフォークの美しい風景は、暴力の見えなさそのものを問題にする。
軍事インフラを撮る — 前線から通信網・国境へ広がる戦争
ノーフォークが「戦場」を拡張するうえで重要なのが、情報通信、監視、研究、兵器試験の場所である。《Full Spectrum Dominance》では、戦争を支える通信施設、レーダー、宇宙・ミサイル技術を撮り、戦場を前線からネットワークへ移した。公式ページは、現代軍事力が陸海空から情報空間までを支配しようとする概念を連作の背景に置いている*10。こうした施設は、遠隔攻撃や監視を可能にし、爆発や死者が現れる以前から暴力の地理を組み立てる。
国境の作品《Fantasma en la Ciudad, Nogales, Arizona/Nogales, Sonora, Mexico》(2006)では、アメリカとメキシコの双子都市を隔てる境界と都市の光が写る。Amon Carter Museumは作品画像と所蔵情報を公開し、国境景観を現代の軍事化された空間として確認できる*11。戦争を、国家間の戦闘から、移民を選別する壁、監視装置、通信網、資源管理を含む空間へ広げることで、ノーフォークは平時と戦時の境界を問い直す。
《Burke + Norfolk》— 同じ場所を撮ることと、同じ歴史を繰り返すこと
《Burke + Norfolk》(2011)は、19世紀のジョン・バークが第二次アフガン戦争で撮った写真を携え、現代のアフガニスタンを撮り直したプロジェクトである。過去と現在の画像を対話させ、帝国の軍事介入、道路、都市、人物表象の連続と差異を示す。公式序文は、バークの写真を起点に2010年から制作し、カブールでアフガニスタンの写真家とのワークショップと展示も行ったことを記している*3。現地の写真家を含む構成は、イギリス人写真家がアフガニスタンを再び代表するという植民地主義的な問題を、プロジェクト内部で検討する契機になる。
LensCultureはこの連作を、過去の写真が現在の場所を見る枠組みになり、現代写真が過去の帝国的視線を再検討する対話として紹介している*12。バークの湿板写真とノーフォークのカラー写真は技術も時代も異なるが、どちらも大型機材、長い準備、風景と建築への関心を共有する。同じ場所を撮る行為は、アフガニスタンが幾度も外部勢力の戦略的風景として画像化されてきた歴史を示す。
写真集は、離れた場所を歴史的な論証へ変える
ノーフォークの作品は単独の名作より、写真集と連作によって力を持つ。《For Most of It I Have No Words》では複数のジェノサイドの場所が並び、《Afghanistan: Chronotopia》では都市、遺跡、軍事施設、生活の痕跡が歴史の層を作る。公式CVは、これらの写真集、展覧会、受賞歴を長期的なプロジェクトの流通として記録している*1。ページをめくる行為は、地理的に離れた場所を連続させ、個々の風景を一つの議論へ変える。
Photofusionの《Afghanistan: Chronotopia》展は、写真集と展示を通じてアフガニスタンの長い破壊史を読む構成を紹介している*13。美術館の壁では、大型プリントが鑑賞者の視野を占め、画面内の小さな痕跡を探す身体的な時間を作る。写真集では、キャプションと順序が歴史的関係を補う。ノーフォークは画像に文章、地名、年代、地図、過去の写真を組み合わせ、風景を資料として読む条件を整える。
《Time Taken》— 氷河の時間と軍事・気候の長い持続
《Time Taken》では、アフガニスタンの氷河と山岳を長期的に撮影し、戦争史と気候変動を同じ時間軸で結びつける。Michael Hoppen Galleryは、氷河を時間の記録装置として扱い、人間の紛争より長い地質学的時間と現在の環境変化を結ぶプロジェクトとして紹介している*14。ここで「戦場」はさらに拡張され、資源、気候、国家の脆弱性を含む。
氷河の写真は、水資源の減少、農業、移住、紛争の条件を、長い地質学的時間から示す。ノーフォークの風景観は、過去の暴力のアーカイブから、未来の危機が形成されつつある場所へ広がる。公式《Time Taken》ページは、写真、科学的観測、時間の表現を組み合わせた連作を公開している*15。
報道写真の人間中心主義を越えることと、その代償
戦争写真は、被害者、兵士、抗議者の身体によって緊急性を伝えてきた。ノーフォークが人間を小さく、あるいは不在にする風景へ向かうと、個々の苦痛が抽象化される危険が生まれる。Teesside Universityの戦争写真シンポジウム評は、現代の紛争表象が「何も見えない」状況、遠隔戦争、アフターマス、制度的制約へどう応答するかをめぐる議論の中にノーフォークを置いている*16。彼の写真は被害者の証言と役割を分けながら、身体のイメージからこぼれる時間とインフラを示す。
人間の不在は、風景写真の限界を検討する契機として扱われる。《Burke + Norfolk》が過去の植民地写真と現地写真家の視点を交差させ、《For Most of It I Have No Words》が写真の不十分さを題名にするのは、風景写真にも撮影者の立場と歴史的な視線が含まれることを示すためである。Tateの《Burke + Norfolk》展は、19世紀のジョン・バークの写真とノーフォークの新作を並置し、アフガニスタンを帝国によって繰り返し撮影されてきた土地として提示した*17。
ロジャー・フェントンから「遅い写真」へ — 戦場の不在をシステムとして読む
フェントンの《死の影の谷》は、砲弾の散らばる道路を撮り、死体や戦闘の不在によって戦争を示した。20世紀末以後には、事件後の物質的な痕跡を高精細で静かに撮る「遅い写真」が一つの潮流になり、軍事施設や紛争後の土地を扱う写真家も現れた。Open Arts Journalの論文は、ノーフォークをアンガス・ボールトン、ギラッド・オフィール、ロイ・クーパーと並べ、軍事景観と記憶を扱う「late photography」の文脈で論じている*19。
したがって、ノーフォークの重要性は「無人の戦場」の発明より、その系譜を現代の軍事システムへ接続した点にある。彼はアフターマス写真の静けさを、古代遺跡、植民地期の写真、コンピューター、人工衛星、国境管理、気候変動まで連結し、別々に見えていた場所を一つの軍事システムとして編集した。SFMOMAの所蔵作品には、アフガン警察の訓練とアセンション島のBBC中継基地が並び、前線の身体と遠隔戦争の通信網が同じ作家の「戦場」に含まれる*18。写真の証拠性は、決定的瞬間に居合わせたことだけでなく、戦争を可能にする条件を可視化したかという問題へ移る。
写真史上の位置 — アフターマス、帝国写真、軍事インフラを接続する
同時代には、破壊後の土地、軍事施設、監視空間を通じて紛争を扱う「遅い写真」が広がっていた。その中でノーフォークは、土地の表面に残る痕跡からさらに、現在の風景を19世紀の帝国写真、軍事研究、通信網、国境、将来の環境危機へ接続した。風景を記憶の容器から、戦争が設計され、反復され、先送りされる仕組みの証拠へ変えた点に固有性がある。
大判カラーの美しさは、廃墟や軍事施設へ長い視線を向けさせる一方、暴力を崇高な景観へ変える危険も残す。ノーフォークはこの矛盾を保ったまま、写真集のキャプション、歴史資料、再撮影、現地写真家との協働によって、美しい風景が誰の歴史として作られたのかを問い返した。彼の仕事が写真史にもたらしたのは、「戦場」という新しい主題の発明より、アフターマス写真、歴史写真、軍事インフラ、環境写真を一つの長期的な論証へ統合する方法だった。これによって戦争写真は、爆発の瞬間と被害者の身体を伝える役割に加え、暴力が姿を現す以前と、終結を宣言された後の時間を検討できるようになった。
- ロジャー・フェントン ― 大型機材の制約から戦闘そのものより地形、道路、砲弾、兵士の配置を撮り、戦場の不在を写真史に残した。
- ジョン・バーク ― 第二次アフガン戦争を撮影した19世紀の写真家。《Burke + Norfolk》で帝国的視線と再撮影の相手になる。
- ドン・マッカラン ― 戦闘と被害者の身体を中心にした戦争写真の系譜。ノーフォークの風景的距離との比較で方法の差が見える。
- アフターマス写真 ― 惨事の後に残る場所、物、記憶から暴力を考える写真。
- ニュー・トポグラフィクス以後の風景 ― 自然景観を人間の制度、開発、インフラが作る風景として読む潮流。
- 批評的ドキュメンタリー ― 証拠の提示とともに、写真が情報を作り流通させる条件を作品内で問う実践。