ベルント&ヒラ・ベッヒャー
ベルント(1931〜2007)とヒラ(1934〜2022)のベッヒャー夫妻はデュッセルドルフ芸術アカデミーで出会い、1959年から共同制作を開始した。20世紀後半に急速に…
コンセプチュアルアートにおける写真は、美しい像を作るためのものというより、アイデア、指示、記録、制度批評を成立させるための媒体として使われた。1960年代後半から70年代にかけて、作品の物質性より概念や手続きが重視されるようになると、写真はその実行や証拠を担う柔軟な道具になる。ここで重要なのは、写真が美術から追い出されたのではなく、むしろ美術の定義を広げる役割を与えられたことである。
アイデア・記録・制度批評を成立させるための媒体として写真を使う実践。物質的な唯一性ではなく、コピー可能で流通しやすい写真の性質が強みになった。
コンセプチュアルアートが反転させたのは、写真が記録と証拠のメディアであるという性格を、美術の中心問題へと変えたことである。行為、場所、概念、制度の連鎖を可視化するのに写真が向いていると理解された。
コンセプチュアルアートの背景には、抽象表現主義以後の美術が作品の唯一性や作者の表現神話を疑いはじめたことがある。エド・ルシェのアーティスト・ブックでは、ガソリンスタンドや街路の連続写真が、名所写真ではなく、概念的な数え上げや地理の測定として機能する。ダグラス・ヒューブラーやダン・グラハムでは、写真は行為や場所、時間の変化を示す記録であり、作品そのものの一部である。*1
ここで写真は、唯一無二のプリントである必要を失う。コピー可能で、安価に配布でき、文章や地図と並べられ、展示の外にも広がれることが強みになる。写真は「作品を支える補助」ではなく、概念を社会へ流通させるインフラになった。コンセプチュアルアートにおける写真は、見る快楽を否定するというより、見ることがどの制度に支えられているかを可視化する。*4
ベルント(1931〜2007)とヒラ(1934〜2022)のベッヒャー夫妻はデュッセルドルフ芸術アカデミーで出会い、1959年から共同制作を開始した。20世紀後半に急速に…
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