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PHOTOGRAPHERS/AYA FUJIOKA ·スナップショット · 写真集 ·UPDATED 2026.07
AF
§ 303 — Photographer Index — スナップショット

藤岡亜弥

Aya Fujioka 1972–
Country日本MovementスナップショットPeriod1990s — 2020sChannel写真史の論点 · スナップショット
Abstract

藤岡亜弥は、旅先、故郷の呉、ニューヨーク、広島で、人の身振りや日常の違和感をスナップし、撮影時には把握できなかった意味を、時間を置いた選択と写真集の構成によって作品にしてきた写真家。『私は眠らない』『川はゆく』『Life Studies』を手がかりに、写真が撮影者の意図を越えて何を残すのか、個人の経験が家族や都市の記憶とどう重なるのかをたどる。

この写真家が変えたこと

藤岡は、家族を撮る私的写真と、街路の偶然を捉えるストリート写真を別々の領域として扱わなかった。『川はゆく』では、広島を代表する記号を先に選ばず、街を歩いて反射的に撮った大量の写真から、自転車、濁流、子ども、原爆ドームなどの反復を見いだした。故郷に近い広島で暮らす自分の時間を写真から切り離さず、説明的な物語へまとめすぎないページ構成によって、都市の歴史と、そこに属する撮影者の位置を同時に示した

Keywords 川はゆく スナップショット 広島 私は眠らない Life Studies 写真集編集
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目次 · Table of Contents
  1. § 01 旅、呉、ニューヨーク、広島
  2. § 02 表現の核心
  3. § 03 代表作・方法・媒体
  4. § 04 批評と写真史上の位置
§ 01 / 04旅、呉、ニューヨーク、広島

藤岡亜弥は広島県呉市に生まれ、1994年に日本大学芸術学部写真学科を卒業した*1。本人は、写真家を明確に志して進学したというより、写真学科に入ったことから撮影が始まったと振り返っている*2。台湾での生活やヨーロッパ、ブラジルへの旅は、作品制作の計画より先に始まっており、移動の途中で撮りためた写真が、帰国後の選択を経て2004年の写真集『さよならを教えて』となった*7。2005年には、ベルギーを約300キロ横断する核兵器廃絶のピースウォークに参加し、その十日間を写真と言葉で記録した*23。次の『私は眠らない』では、東京と故郷の呉を往復しながら、実家、家族、母の身体や手の動きを撮影した*5。2007年には文化庁新進芸術家海外研修制度でニューヨークへ渡り、約5年間にわたって街と部屋の内外を撮影した*11。2012年の帰国後、2013年から広島市で生活し、川沿いを歩きながら〈川はゆく〉を制作した。広島県立美術館は、この時期の藤岡が街を歩き、日々の暮らしと過去の出来事が重なる広島を撮ったこと、潮の満ち引きで流れを変える川を記憶の比喩として捉えたことを紹介している*8。現在は京都と広島を拠点に活動している*1。旅、帰郷、移住の各地で撮られた写真は、時間を置いて見返され、撮影時には気づかなかった経験を知るための材料になってきた。

§ 02 / 04表現の核心

スナップショット——理屈から外れたものを残す

藤岡の方法の出発点にはストリート・スナップがある。学生時代にはアンリ・カルティエ=ブレッソンの写真集を繰り返し見て、瞬間を捉えることに憧れ、それ以来ストリート写真を続けていると本人は語っている*4。現在の藤岡は、撮影時の判断だけで写真の意味を決めていない。広島では、理屈や思惑を先にすると撮れなくなるため膨大なカットを撮り、自分が見ていたはずなのに見落としていたものを、後から画像に教えられたと話している*2。古いネガを見返した際にも、子どもや花を繰り返し撮っていたことから、自分の無意識や、なぜ写真を撮るのかを考えた*13。藤岡のスナップショットには、その場で理解した内容だけでなく、意識からこぼれた人や物の状態が残る。後年の選択は、その見落としを作品の中心へ移す作業になる。

『私は眠らない』——母の手と、よく知る家族の未知

『私は眠らない』は、東京に住みながら呉の実家へ通い、家族と故郷を撮った写真から作られた。SIGMA SEINの解説は、2000年から2006年の帰省時に撮影されたシリーズで、母が正面の肖像として示されるより、背中や斜めからの姿、働く手や身振りによって現れることを指摘している*5。藤岡自身は、ニコンサロンでの展示によって写真の流れを客観視し、写真集では何を入れ、何を省くかを何度も検討したと話している*3。手、髪、衣服、花、室内の物、身体の一部を大きな判型で連続させた本には、家族への近さと、よく知っているはずの家族が不意に分からなくなる感覚が共存する。顔と関係を説明する家族アルバムではなく、親密さ、老い、故郷への違和感を、解決されないまま保つ写真集となった。 刊行年の英語版年次報告『Photographic Expression in Japan』も、家族の身体や行動に現れる生々しく奇妙な感触を本作の特徴として挙げており、親密な記録という説明だけでは収まらない受容が当時からあった*18

『ベルギーを歩く』——平和運動に巻き込まれた十日間

2005年の〈ベルギーを歩く〉は、藤岡が偶然参加することになった核兵器廃絶のピースウォークを、写真と言葉で記録したシリーズである。ベルギーを約300キロ横断した十日間、藤岡は、途中から写真を撮ることへの意識が薄れるほど行進や出会いの中へ巻き込まれたと振り返っている*23。ふげん社は、この経験を『川はゆく』の約十年前に起きた出来事として紹介し、両作を平和と戦争を考える制作の流れに位置づけている。藤岡は、主張を整理してから現場へ向かったのではなく、自分が何をしているのか十分に分からないまま運動に加わった。その写真と言葉は、出来事の外から結論を示すより、巻き込まれた経験を二十年後に振り返る形を取る。『川はゆく』との直接的な影響関係は断定できないが、歴史的な主題を象徴だけで説明せず、現場で生じる出来事と自分の反応から考える姿勢は、後年の制作にも通じている。

『川はゆく』——なぜ広島の日常を撮ったのか

〈川はゆく〉で藤岡が向き合った広島には、原爆投下の歴史が、強い既成のイメージとして存在していた。本人は、広島で暮らし始めてから、日常の厚い層を通して歴史を意識する難しさを知り、街にあふれる「平和」の催事や表現も含めて、現在の生活から広島を考えたと述べている*6。制作初期には「ヒロシマ」をどう撮るべきか考えるほど撮れなくなり、歴史を代表する写真を作る責任の重さに苦しんだという*3。そこで撮影したのは、川辺で遊ぶ人、若者のポーズ、通り過ぎる身体、季節の光、街路の出来事だった。広島を説明する象徴をあらかじめ決めず、生活の中で反応したものを撮ると、原爆ドームや、過去の出来事を連想させる形が、撮影時に中心としていなかった場所に写っていた。歴史は特別な場面だけに現れるのではなく、現在の写真を後から見返したとき、その意味を変えるものとして現れた。

『二十四時間の情事』——「見ているのに、見ていない」

『川はゆく』の制作過程で、藤岡は編集者の姫野希美、デザイナーの松本久木に、アラン・レネ監督、マルグリット・デュラス脚本の『二十四時間の情事(Hiroshima mon amour)』を見せ、「写真集でやりたいことがある」と伝えた。映画冒頭の「見た/何も見ていない」という応酬に重ね、広島に暮らし、街を知っているはずなのに、それを「これが広島だ」と示せない自分を意識し、「見ているのに、見ていない自分」について考えたと述べている*3。2025年のインタビューでも、理屈や思惑から外れたところに写真の面白さがあり、見ていたはずなのに見落としていたものを画像から教えられたと話している*2。写真は知識を裏づけるために使われるのではなく、撮影時の理解が不十分だったことを後から知る手がかりになる。曖昧な写真や説明しにくい場面を含めたのは、広島を一つの分かりやすい像に限定しないためでもあった。

七つの川と写真集編集——ページの反復で歴史を示す

『川はゆく』では、広島のデルタを流れる七つの川が、撮影場所であると同時に、一定方向へ進まない時間の感覚を示している。赤々舎は、スナップが歴史と現在、社会と個人の関係を瞬間の中で発見し、逆行し、渦を巻く流れを持つ本として紹介している*7。藤岡と姫野が物語を意識して作った順序に対し、松本は説明の流れを切り、一般的な意味で「良いスナップ」と判断しにくい、ぼんやりした写真も採用した*3。自転車、子ども、川、身体、原爆ドームは、一対一の意味を与えられず、離れたページで反復する。伊奈信男賞の選評は、現在の自転車や濁流が、被爆資料や1945年8月6日の川を連想させる配置を評価した*6。過去と現在は同一視されず、離れたページの反復によって、現在の光景から過去が連想される構成になっている。

フィルムからデジタルへ——膨大な写真をどう選ぶか

〈川はゆく〉は、藤岡がフィルムからデジタルカメラへ移行した時期の仕事でもある。本人は、機材の変更によって撮り方と写真の出し方が大きく変わり、制作の「体質」を変えるほどの転換だったと述べている*3。撮影枚数が膨大になると、一枚の完成度だけで作品を決めることは難しくなり、何を残し、どの曖昧な写真を含めるかという選択が大きな比重を持つ。広島の街を長期間歩いた写真群には、撮影時に意識した主題だけでなく、フレームの端や背景に偶然入ったものも蓄積した。膨大な画像を後から選ぶ工程では、撮影時に理解していた広島と、画像の集積から見えてくる広島のずれが明確になった。

『Life Studies』——十三年後に見つかったニューヨーク

『Life Studies』は、2007年から約5年間ニューヨークで撮った写真を、長い時間を経て選び、2025年に刊行した写真集である。赤々舎によれば、街と部屋を往復して撮影したカラーとモノクロ168点を収め、ストリートから始まり、移民としての彷徨を経て、より私的な場面へ至る構成を持つ*11。藤岡は完成まで約13年を要し、早い段階で骨格がありながら、写真を出し入れし、文章も校了直前まで直したと話している*4。当時は退屈しのぎに撮ったと思っていた写真が、時間を経て重要になったという発言は、撮影時の価値判断が最終的な作品を決めないことを示す*4。都市の代表的な風景より、子ども、室内、影、物、通りの小さな出来事が中心となり、ニューヨークで暮らした時期の経験が、街路から私的空間へ移る構成で示される。

写真を記録として残す——小田の古写真と地域の記憶

藤岡の現在の活動には、東広島市河内町小田で住民と進める「小田みんぞく事始め」がある。写真教室では、遠くに特別な被写体を探さず、家の中や庭など、身近な場所で各自が面白いと思うものを撮るよう勧めた。さらに地域の古写真を集め、それを囲んで話すと、一枚の写真から人によって異なる記憶が引き出され、公式の史誌には残りにくい生活や風習が語られたという*2。藤岡は、写真や言葉を残さなければ、地域の出来事がなかったことになるかもしれないと述べている*2。大きな歴史を代表する一枚を求めるより、個人の記憶が消える前に、写真を手がかりとして複数の語りを残す。この活動は、日常の写真から広島の歴史を考えた〈川はゆく〉とは形式が異なるが、身近な生活を歴史の外へ追いやらないという姿勢を明確にしている。

写真集と展覧会——固定された本、変化する展示

藤岡の作品は、写真集と展覧会で同じ順序を反復しない。本人は、展覧会では壁の高さ、会場の大きさ、順路に応じて写真の位置を決め、会場での見え方に応じて変更できるため、実験的な場になると説明している*4。一方、写真集では写真の大きさとページ順が印刷によって確定し、一人の鑑賞者が繰り返しページをめくる。『私は眠らない』では展示で得た流れが本の基礎となり、『川はゆく』ではデザイナーとのやり取りによって説明的な物語が切られ、『Life Studies』では十三年間の選択が一冊の形を得た。展示では壁面と鑑賞者の移動が写真の関係を変え、写真集では判型とページ順が見る速度を決める。藤岡は両者を同じ写真の再現として扱わず、それぞれに異なる構成を作っている。

§ 03 / 04代表作・方法・媒体

『さよならを教えて』——目的のなかった旅から作品へ

『さよならを教えて』は、台湾、ヨーロッパ、ブラジルなどへの移動の中で撮られた初期作品をまとめた写真集で、2004年にビジュアルアーツ・フォトアワードのグランプリを受賞した*1。旅は撮影計画より先に始まり、名所や文化の説明よりも、路上で偶然出会った人物、子ども、身体、看板、理解できない場面が多く残った*2。帰国後の選択では、旅程の説明より、異国で反応した人物や場面が前面に出た。撮影時の目的より、後になって写真から見つかるものを重視する方法は、この初期作から『Life Studies』まで続いている。

『私は眠らない』——私的な写真を家族の説明にしない

私は眠らない』は2009年に赤々舎から刊行され、呉の実家と家族を撮った写真を大判の本にした。編集者の姫野希美は、当時「女の子写真」の文脈で見られがちな私的スナップでありながら、藤岡の写真には個々の場面を俯瞰する視点と、地方で生きる女性の圧力が含まれていたと振り返っている*3。母の頭頂部、働く手、背中、室内の物を大きく見せるページは、家族関係を説明せず、近づきたい視線と距離を取りたい視線を同時に示す。写真の大きさと連続によって、私生活の公開よりも、身近な人がなお未知の存在であることを前面に出した作品である。

『川はゆく』——広島の現在から歴史を意識する

『川はゆく』は2017年に赤々舎から刊行され、第41回伊奈信男賞(2016年度)、2018年の林忠彦賞と木村伊兵衛写真賞を受賞した*1。東京都写真美術館は、2013年から2017年に制作された同シリーズの発色現像方式印画を収蔵している*9。林忠彦賞の紹介は、四季を通じて街を歩き、現在の生活を淡々と撮りながら、何気ない風景に過去の記憶が現れる点を評価している*10。被爆の歴史を直接再現せず、現在の生活を撮った写真の反復によって、歴史が日常の内部で意識される。この構成は、被爆の直接的な痕跡を中心にした従来の「ヒロシマ」写真とは異なる、現在の広島の表し方として評価された。

『Life Studies』——撮影時の価値判断を保留する

『Life Studies』は2025年刊行、192ページ、カラーとモノクロの写真168点と作家自身の長篇テキストで構成される*11。ニューヨークの写真をすぐには刊行せず、広島での制作を挟み、十年以上後に過去の画像を選んだ。退屈しのぎに撮った茄子や室内の物も、後年には当時の生活を示す重要な写真となった*4。初期の旅、呉の家族、広島の川と同じく、撮影された瞬間と作品が完成する時間は一致しない。この本では、撮影時の評価と後年の選択が一致しないこと自体が、構成の重要な条件になっている。

§ 04 / 04批評と写真史上の位置

「女の子写真」だけでは捉えられない初期作品

藤岡は1990年代に活動を始め、自身も「女の子写真」と呼ばれた一人としてトークに招かれた経験を振り返っている*4。その経験をきっかけに、後年、学生時代のネガを見返した。2021年の「花のゆくえ」や2022年の「New Stories」では、子どもや花など、当時から無意識に反復していた被写体を集め、自分がなぜ写真を撮るのかを考えている*13。長島有里枝、川内倫子、楢橋朝子らと同時代の女性写真家として比較できる一方、藤岡の仕事には、旅、家族、地方都市、広島の歴史を、数十年分の写真へ何度も戻る時間軸がある。学生時代の写真は、「花のゆくえ」や「New Stories」で、後年の作品とは異なる分類によって再提示された。

ストリート写真は街を誰の視点から撮ってきたのか

ストリート写真は、街路で起こる偶然や人の身振りを、演出せずに捉える近代写真の主要な形式の一つとして発達した。1930年代のアンリ・カルティエ=ブレッソンは、移動する人々と都市空間が一瞬だけ作る配置を捉え、その仕事は「決定的瞬間」の考えと強く結びついた*20。戦後日本では、占領、急速な都市化、政治的動揺を経験した写真家たちが、街路を社会変化の現場として撮影した。1960年代末の『PROVOKE』周辺では、粗粒子、ブレ、ボケ、偶発的な画面を通して、写真が世界を明瞭かつ中立的に説明できるという前提が疑われた*21。その直前の1968年に開かれた「写真100年」展では、写真家の戦争責任とドキュメントの信頼性が公に問われ、同展の編集に参加した中平卓馬、多木浩二らが『PROVOKE』を創刊した*22。カルティエ=ブレッソン、『PROVOKE』、藤岡を直接の影響関係で結ぶことはできない。ただし、街路の一瞬を外部から捉える写真から、撮影者の立場や、場所との歴史的な関係までを画面の条件として考える写真へ、論点が広がった過程を理解する比較軸にはなる。

「再帰的転回」——藤岡亜弥は広島をどこから撮ったのか

甲斐義明は、1990年以降の日本のストリート写真に、撮影者自身と撮影場所との関係を写真の問題に含める「再帰的転回」が生じたと論じ、藤岡亜弥と笹岡啓子の広島作品をその事例に挙げている*15。ここで「再帰的」とは、街の様子を示すだけでなく、誰が、どの立場から、その場所を撮っているのかまで写真の主題になることを指す。ストリート写真の代表的な語りでは、匿名の通行人や一瞬の出来事が、公共空間で発見された場面として提示されてきた。呉出身で、広島市へ戻って暮らした藤岡にとって、街路は自分と無関係な観察対象ではない。呉の家族を撮った私的写真と、広島の川や街路を撮ったストリート写真も、別々の領域にならない。原爆ドームの前で踊る高校生、川辺の遊び、生活用品で満ちる部屋には、都市の現在とともに、帰郷、家族の記憶、広島に住むことで生じた歴史との距離が現れる。学生時代に憧れた「瞬間」の感覚を保ちながら、撮影時には意識しなかったものを後から選んでいる。写真の選択が後年まで続くため、シャッターを切った瞬間だけで作品の意味は完結せず、その場所との関係が時間を経て見えてくる*4。『川はゆく』では、街路の偶然を捉える方法が、撮影者自身の帰属や記憶を含む形式として使われている。

『Things She Carries』——戦争表象を現在の生活から考える

2023年にニューヨークのSEIZAN Galleryで開かれた「Things She Carries」は、ミネ・オオクボ、藤岡亜弥、畑由起子の作品を通して、第二次世界大戦がどのように表象され、その歴史が現在を生きる女性の経験にどう残るかを扱った*16。同展は〈川はゆく〉を、故郷との関係を取り戻す個人的な記録から始まり、災厄の記号として固定された「ヒロシマ」より、現在の都市を撮ろうとした仕事として紹介している。現地のアーティストトークでは、原爆ドームの前で高校生がダンスを練習する写真が、犠牲者の記憶を汚すとしてSNSで批判されたことも報告された*17。藤岡は、ドームがなければ作品として意味を持たず、教訓を一方向に示すより、写真に含まれる象徴を鑑賞者が考える契機にしたかったと説明している。東京で同じ写真を展示した際には反発がなかったという藤岡の報告は、作品の受け取られ方が展示地によって異なることを示している。一方、World Socialist Web Siteは、2025年にロンドンで開かれた「ひろしま/hiroshima」展について、日常や個人的記憶から戦争を扱う方法が、原爆投下を生んだ政治的・歴史的原因を後景へ退かせる危険を指摘した*19。〈川はゆく〉では、日常が歴史の代わりになるのではなく、現在の生活を撮る行為そのものが、広島で何を記憶として守るのかという対立に触れている。

土門拳『ヒロシマ』との比較——歴史は写真のどこに現れるのか

土門拳は1957年に広島を撮影し、翌年に写真集『ヒロシマ』を刊行した。The Metは、被爆者、病院、孤児院、失明した人々、生活を立て直す家族を収めた、日本の写真集史における重要作として説明している*24。ARTnews JAPANは〈川はゆく〉について、原爆ドームの前で踊る高校生や、同じ方向を見る小学生といった穏やかな日常から、そこに潜む「ヒロシマ」を土門とは異なる方法で示したと評している*25。両者の違いを、直接表現と間接表現、古いリアリズムと新しい表現の優劣に単純化することはできない。土門の写真にも病院や家族の生活があり、藤岡の写真にも原爆ドームという歴史的記号が写る。違いが明確になるのは、被爆の歴史が写真のどこに現れるかである。土門は傷ついた身体と現在進行する被害を画面の中心に据え、原爆が過去になっていないことを示した。藤岡が撮ったのは、被爆から七十年以上を経て、川遊び、ダンス、通学、家族の生活と歴史的記号が同じ都市の時間に存在する広島である。〈川はゆく〉は被害を見えないものにしたのではなく、直接的な痕跡が日常から見分けにくくなった時代に、写真同士の距離や反復から過去を意識させる方法を選んだ。

受賞と再評価——広島以後も続く写真への問い

『川はゆく』の三賞受賞後、藤岡は過去のネガから写真を選ぶ「New Stories」、花を長期にわたって撮った「花のゆくえ」、ニューヨークの写真をまとめた『Life Studies』を発表した。2023年の東川賞新人作家賞は、「New Stories」、第三波フェミニズムを扱うグループ展、「花のゆくえ」など近年の複数の活動を対象にしている*13。2024年以降は、日本の女性写真家を1950年代から現在まで見直す『I’m So Happy You Are Here』と関連展で『私は眠らない』が紹介された*3。2025年には東京都写真美術館の開館30周年展でも現代作家の一人として取り上げられた*12。同年、英紙The Guardianは〈Here Goes River〉を、広島の現在の日常に過去の重みが残るシリーズとして紹介した*14。受容の対象は『川はゆく』だけでなく、初期の家族写真、過去のネガからの選択、ニューヨーク作品へ広がっている。

§ REL関連する写真家・文脈
比較できる写真家
  • 長島有里枝 ― 1990年代の女性写真家をめぐる呼称と、私的な写真をジェンダーや制度の問題から検討するための比較。
  • 川内倫子 ― 日常の断片と写真集の連続を、異なる光、距離、時間の扱いから比較できる同世代作家。
  • 楢橋朝子 ― 1990年代以降のスナップショットと身体的な撮影位置を考える比較対象。
  • 志賀理江子 ― 場所の記憶、共同体、現在と過去の重なりを、より演出的な方法から扱う作家。
関連する文脈
  • スナップショット ― 撮影時の意図だけで意味を決めず、後の選択によって画像の潜在的な内容を確かめる藤岡の基礎的な方法。
  • 写真集文化 ― ページ順、見開き、判型、デザインを通じて、写真同士の関係を作品化する媒体。
  • 広島と戦後記憶 ― 記念碑的な歴史表象と、現在の都市生活のあいだを撮る文脈。
§ REFさらに読む
写真集
川はゆく / Here Goes River
藤岡亜弥 / 赤々舎 / 2017年、2025年重版

広島の七つの川と現在の日常を、歴史と個人の時間が交差する写真集として構成した代表作。

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私は眠らない / I Don’t Sleep
藤岡亜弥 / 赤々舎 / 2009年

呉の実家と家族、母の身体や手の動きを、大判のページと写真の連続によって示した初期の重要作。

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Life Studies
藤岡亜弥 / 赤々舎 / 2025年

ニューヨークで撮影した写真を十三年以上にわたって検討し、長篇テキストとともにまとめた写真集。

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関連データベース・アーカイブ
§ SRC出典