土門拳(Ken Domon)は、社会ドキュメンタリーとリアリズム写真を考えるうえで欠かせない写真家です。このページでは、日本写真、リアリズム、戦後写真、代表作の『ヒロシマ』を手がかりに、写真史の流れの中での位置づけを、関連作家・運動・出典とあわせてたどります。
土門拳が戦後に提唱した「リアリズム写真」は、戦前のサロン写真(技巧的な美的追求)と、自身が戦時中に携わったプロパガンダ写真報道への反省から生まれた。「カメラとモチーフの直結」と「絶対非演出の絶対スナップ」を原理として、社会の現実と人間の生を加工・演出なしに提示することが写真の使命だと主張した*1。1950年から写真誌「カメラ」の月例審査員として多数のアマチュア写真家を指導し、その思想に共鳴した写真家群からは川田喜久治・東松照明・深瀬昌久らが育った*2。1955年に「リアリズム第一段階の終了」を宣言し、より深い主題性を持つ「第二段階」への移行として広島の原爆被害者記録に着手した。1957年から1年間にわたって広島の原爆病院・障害者施設・孤児院を「取り憑かれたように」取材し、5,800枚のネガから171点を収録した写真集『ヒロシマ』(1958年、研光社)を刊行した。国内外で大きな反響を呼び、戦後日本のドキュメンタリー写真の頂点とされる*3。同年代の写真集『筑豊のこどもたち』(1960年)は炭鉱地帯で生きる子どもたちの貧困を記録し、100円の廉価版として10万部が売れ、日本ジャーナリスト会議賞(第3回)を受賞した。『古寺巡礼』(美術出版社、1963–75年)は奈良・法隆寺・薬師寺などの仏像を大判カメラと多灯フラッシュで撮影した生涯の仕事となった。「日本文化とは何か」「日本人とは何か」という問いを写真で問い続けたこの仕事は、1968年に脳卒中で倒れた後も車椅子での制作を続けることで完成された*4。土門がリアリズム写真運動を通じて育てた写真家たちは、1960–70年代の日本写真の黄金時代を形成し、山形県酒田市に1983年に開館した土門拳記念館はその全作品を収蔵している*5。