ジャック=アンリ・ラルティーグJacques Henri Lartigue

ジャック=アンリ・ラルティーグ(Jacques Henri Lartigue)は、プライベート写真を考えるうえで欠かせない写真家です。このページでは、プライベート写真を手がかりに、写真史の流れの中での位置づけを、関連作家・運動・出典とあわせてたどります。

基本情報
生没年 1894–1986

解説

ジャック=アンリ・ラルティーグが写真を始めたのは1901年、7歳のときだった。裕福な実業家の父から与えられたカメラで、ブーローニュの屋敷での家族の遊び・初期飛行機の実験・自動車レース・スキーを撮り続けた。ラルティーグの初期写真の特徴は、動きの捉え方の卓抜さにある。1905年の「従妹ビションナードの跳躍」では、女性が階段を飛び降りる瞬間をスナップショットで静止させ、当時の写真では難しかった空中の人物像を記録した。1912年の「グラン・プリ・ド・ロートモービル・クラブ・ド・フランス」では、走行する自動車にカメラを追従させることで車体が鮮明に写り、背景と観衆が横に流れた——「速度」の視覚的等価物として機能する結果となった*1。重要なのは、この写真群が長らく「私的な家族アルバム」として存在していた点である。ラルティーグは画家としての活動を本業とし、写真は生涯を通じて個人的な記録の手段だった。彼が写真家として「発見」されたのは1963年、ニューヨーク近代美術館のキュレーター、ジョン・シャーコウスキーによってであった。このとき彼は69歳で、MoMAでの個展は雑誌『ライフ』の大型特集と同時に行われ、世界的な注目を集めた*2。この「発見」のタイミングは批評的に重要である。1963年の時点でラルティーグの写真は「純粋な視線の喜び」という形で受容されたが、後の写真史研究では彼の記録が「ベル・エポックの上流階級の生活」を特定の立場から可視化したものであり、労働者や植民地の現実が不在であるという指摘も生まれている。ラルティーグは1986年にニースで没し、写真全コレクションをフランス国家に遺贈した。現在はラルティーグ協会(Donation Jacques Henri Lartigue)が管理している*3

ジャック=アンリ・ラルティーグ 写真集

Diary of a Century
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外部リンク

出典