ナン・ゴールディン(Nan Goldin)は、ドキュメンタリーとプライベート写真を考えるうえで欠かせない写真家です。このページでは、ドキュメンタリーとプライベート写真を手がかりに、写真史の流れの中での位置づけを、関連作家・運動・出典とあわせてたどります。
1953年にワシントンDCで生まれたゴールディンは、11歳で姉バーバラを自殺で失った経験から「写真は愛する人を失う前に記録し続けることができる」という確信を抱き、16歳でカメラを手にした*1。1970年代末にニューヨークへ移り、ボウエリー周辺のゲイ・トランスジェンダー・セックスワーカーのコミュニティに住み込みながら日記代わりに撮影を重ね、積み重ねた690枚超のスライドをバーや映画館でルー・リードやヴェルヴェット・アンダーグラウンドの音楽とともに上映し続けた*2。この記録は1986年にアパーチャー財団から写真集『性的依存のバラッド』として刊行され、アルル国際写真フェスティバルのコダック写真集賞を受賞した*2。「私は写真を記憶の代わりに使う。記憶は失われるが写真は残る」というゴールディン自身の言葉が示すように、彼女の方法論は外部の観察者ではなくコミュニティ内側の当事者が「見せることを選ぶ」という権力関係の逆転を体現しており、同時代の報道写真が保った観察者的距離とは根本的に異なった*1。カメラは彼女にとってコミュニティのメンバーシップ証明であり、被写体との関係性の中から生まれた写真群は、後のSNS時代のセルフドキュメンタリー文化に先行するものとして再評価されている*2。1980年代に猛威を振るったエイズ禍は彼女の「選んだ家族」を次々と奪い、スライドショーは生の記録から悼みの場へと変貌した——バラッドに登場する多くの人物が1990年代初頭までに逝去している*3。1985年のホイットニー・ビエンナーレで美術界に広く知られ、1996年のホイットニー美術館回顧展で国際的評価を確立した*4。作品はMoMA・グッゲンハイム・テートが収蔵し、2007年にはハッセルブラッド賞を受賞した*5。2017年には自身のオキシコンチン依存症の経験から処方薬乱用問題への抗議団体P.A.I.N.(処方薬乱用介入委員会)を結成し、サックラー家の資金を受けていたメトロポリタン・グッゲンハイム・テート・ルーヴルへの抗議を主導した*3。世界の主要美術館が寄附金の返還とサックラーの冠名撤去に応じる事態となり、写真家が美術機関の資金構造そのものを変えた事例として記録されている*1。私的証言を社会変革の道具へと転化させた実践は、2022年にローラ・ポイトラス監督がドキュメンタリー映画化(ヴェネツィア映画祭金獅子賞)して広く知られた*1。