ナン・ゴールディンは、姉の死について家族の説明が変わっていく経験から、愛する人々との時間を具体的に記憶するために写真を撮り始めた。1970年代のボストンとニューヨークで、友人、恋人、ドラァグ・クイーン、自身を35mmカラーで撮影し、約700枚を音楽とともに上映する『性的依存のバラッド』へ発展させた。同じ人物が愛し、傷つき、病み、亡くなるまでを繰り返し登場させる形式を、主観的ドキュメンタリー、家庭用スライド、アンダーグラウンド映画の交点から読み解く。
ゴールディンは、家庭用カラー・スライドに近い写真を、同じ人物が年月を隔てて再登場する音楽付き上映作品へ発展させた。撮影者自身の恋愛、暴力、依存も画面へ含め、友人たちを、恋人、依存症者、AIDS患者といった役割に固定せず、関係のなかで変化する人物として示した。写真を一瞬の証拠から、共有した時間を繰り返し見直す静止画の映画へ広げた。
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姉バーバラの死――後から変えられる記憶への抵抗
ゴールディンの出発点には、1965年に自死した姉バーバラの記憶がある。家族の中で姉の生と死が受け入れやすい説明へ変えられていくのを見て、人や場所の細部を失わないために写真を使うようになった*23。『性的依存のバラッド』の序文では、写真を自分の世界を保存する方法と説明している*2。後年にも、撮影は芸術家になるための計画より、「すべてを記録する必要」から生まれたと語った*23。
誕生日、旅行、結婚など、家族が残したい場面を選ぶアルバムに対し、ゴールディンはセックス、口論、薬物、負傷、病も同じ生活の記憶として撮った。幸福な場面だけを選んだ人物像より、矛盾を含んだ共有時間を残すことを優先した。
「鏡」としての写真――関係が先にあり、撮影が続く
十代半ばにオルタナティブ・スクールでポラロイドを渡され、最初に撮った人物は親友デイヴィッド・アームストロングだった。ゴールディンは、多くの場合は関係が先にあり、写真は相手が自分で気づいていない美しさを見せるための「鏡」になったと説明している*1。同じ人物を二十年、三十年と撮り続け、関係の変化をそのまま作品の時間にした。
1970年代初頭にはボストンのドラァグ・バーThe Other Sideへ通い、ドラァグ・クイーンの友人たちと暮らしながら撮影した。本人はこの仕事を、友人たちの美しさを残すオマージュと位置づけている*9。ボストン美術館附属学校で交わったデイヴィッド・アームストロング、マーク・モリスロー、ジャック・ピアソンらの緩やかなつながりは、後に「ボストン・スクール」と呼ばれた。ICA Bostonは、彼らが1970年代末から80年代のボストン周辺のクィア・アンダーグラウンドを主要な対象とし、AIDS危機の時代に写真を記録の手段として用いたと説明している*29。
New Documentsと『Tulsa』――主観化したドキュメンタリーの先
ゴールディン以前にも、ドキュメンタリー写真を社会改革の手段として見る考えから、個人的な見方を前面に出す流れが進んでいた。1967年のMoMA展「New Documents」は、ダイアン・アーバス、リー・フリードランダー、ギャリー・ウィノグランドが、写真によって社会を改革するより、自分たちが生きる世界を知ろうとした世代として紹介した*30。ラリー・クラークの『Tulsa』(1971年)は、撮影者自身が薬物文化の参加者であり観察者でもある位置から、友人の生活と死を白黒写真集にした*28。
ゴールディンは19歳頃にクラークやアーバスの写真を知り、共同体の内側から撮る先行例に接した*3。彼女はこの方法を、カラー、音楽、長期的な反復、自画像を含む上映へ広げた。女性、男性、ドラァグ・クイーン、自身を同じ連作に置き、暴力を受けた自分の顔まで記録した。クラークが写真集の固定された順序で友人たちを追ったのに対し、ゴールディンは同じ人物が年月を隔てて何度も戻るライブ上映を作った。
ニューカラーと家庭用スライド――色を記憶の情報にする
1970年代、ウィリアム・エグルストンはアメリカ南部の身近な場所をカラーで撮り、その作品は1976年にMoMAで個展と写真集『William Eggleston’s Guide』として紹介された*21。スティーヴン・ショアの《American Surfaces》も、1972年から73年の旅で食事、モーテル、道路、人々をカラーの日記として記録した*22。ゴールディンの色は、一枚の画面を整えるだけでなく、肌、口紅、バーの照明、壁紙、シーツから、誰の部屋で、誰と、いつ過ごしたのかを思い出す手がかりとして働く。別の日に撮られた同じ人物が、色によって一つの時間へつながった。
小型の35mmカメラはバー、クラブ、寝室へ持ち込みやすく、直接フラッシュは暗い室内で人物と周囲の物を同時に写した。本人も家具や物まで含め、生活環境を記憶できるよう画面を作ったと説明している*3。旅行や誕生日に使われる家庭用スライドと同じ投影形式で、セックス、暴力、薬物、病を見せたため、観客は知人のアルバムを見せられるような距離から作品を見ることになった。
ウォーホル、ジャック・スミス、ヴィヴィアン・ディック――写真を映画の時間へ置く
ゴールディンの初期の視覚経験には、写真と並んでアンダーグラウンド映画があった。本人は写真を学ぶ以前から、アンディ・ウォーホルとジャック・スミスの映画を主要な影響として挙げ、ウォーホルの「スーパースター」のように、デイヴィッド、クッキー、シャロンらを何十年も撮る自分の人物群を考えていた*1。映画の人物が場面をまたいで変化するように、彼女の友人も一枚の肖像で終わらず、年月を隔てて戻ってくる。
スライド上映は、美術学校に暗室がなく、プリントの代わりにカラー・スライドを見せたことから始まった*23。その偶然を作品形式へ発展させた背景には、映画と音楽への関心があった。ゴールディンは、ヴィヴィアン・ディックの映画から、音楽を始め、止め、別の場面へつなぐ方法を学んだと語っている*23。『性的依存のバラッド』はカラー・スナップの連作であると同時に、写真、ポピュラー音楽、クラブでのライブ・パフォーマンスを組み合わせた静止画の映画だった。
一枚では人物を残せない――反復、音楽、上映ごとの編集
ゴールディンは、一枚の写真が一人の人間全体を表せるとは考えず、複数画像、グリッド、三連画を使ってきた*23。『性的依存のバラッド』では、ナンとブライアン、クッキーとヴィットリオらが、抱擁、口論、眠り、看病、病、死をまたいで現れる。一枚だけなら「幸福な恋人」「暴力的な男性」「AIDS患者」と読まれる人物が、別の役割と表情で戻るため、一つの写真をその人の結論にすることが難しくなる。
初期上映はバー、パーティー、地下映画館で行われ、ゴールディンが手動で数百枚を送り、上映中にも編集し直した*7。客席には写っている友人たちがいて、抗議を受けた写真は外された。1990年代の私的上映でも、被写体に編集上の発言権があった*23。プリンストン大学美術館は現行版を約700枚、42分の時間作品として説明している*5。写真を撮ることに加え、どの人物を再び登場させ、どの曲の前後へ置くかが、記憶の形を決めた。
私生活が政治的に読まれた理由――ジェンダー、暴力、編集権
タイムズ・スクエアのバーTin Pan Alleyで働いた時期、共同経営者マギー・スミスは『バラッド』をジェンダー、セックス・ワーク、男性の暴力を扱う政治的な作品として読んだ。ゴールディン本人も、この指摘によって自分の作品を政治的に考えられるようになったと述べている*23。恋愛や家庭内暴力、クィアな生活、依存を同じ関係の中で繰り返して見せると、性別の力の差や、周囲が語らない暴力が具体的な場面として現れる。
MoMAのプログラムは、『バラッド』を通して写真、記憶、日記を「批評的ドキュメンタリー」として考える問いを提示している*27。同館の解説は、これらの写真が外部からの観察より、実際に続いていた人間関係から生まれたことを示す*12。撮影者は恋人、友人、暴力の被害者として画面へ現れ、観察者の位置を隠さない。一方、撮影、選択、上映を決める権限はゴールディンに残る。身近な生活の中の暴力を記録すると同時に、誰が像を選び、所有し、公開するのかも問われる。リズ・コッツは、内部者であることも覗き見や権力差を自動的には解消しないと批判している*20。
『性的依存のバラッド』――ライブ上映、写真集、美術館
『The Ballad of Sexual Dependency』は、1970年代末のバーや地下映画館で行われたライブ上映から発展した*7。1985年のホイットニー・ビエンナーレを経て、1986年にApertureから写真集が刊行され、上映版から選ばれた127点がページの順序へ固定された*8。編集に携わったマーヴィン・ハイファーマンは、毎回変化していた上映を、写真集では一つの版として定着させた過程を説明している*6。
MoMAは、手動で送られる35mmスライドと音楽から成る作品として展示し、ライブ・パフォーマンスから発展した経緯を示した*4。近年の回顧展「This Will Not End Well」は六つのスライドショーを中心に構成し、ゴールディンの仕事を静止画、音、上映時間の組み合わせとして再評価している*17。ライブ上映、写真集、美術館では同じ写真でも観客との距離が異なり、被写体が客席から介入できた作品が、保存・反復される美術作品へ変わる過程も見える。
《Nan One Month After Being Battered》――忘れないための自画像
《Nan One Month After Being Battered》(1984年)は、恋人ブライアンから暴力を受けた一か月後の自画像である*11。腫れた目、傷、整えた髪、赤い口紅が同じ画面にあり、被害者、撮影者、写真を残す決定者が一人に重なる。MoMAは、この自画像をブライアンとの関係の終わりを示す写真として位置づけている*12。この作品は、愛情と暴力を別々の物語へ分けず、同じ関係の帰結として写真家自身の顔に残した。
AIDSと『Witnesses』――共同体が失われるなかで名前を残す
1980年代後半には、ゴールディンが撮影してきた友人の多くがAIDSによって亡くなった。クッキーとヴィットリオの結婚、病、死へ至る写真では、恋愛の記録が看病と喪失の記録へ変わる*5。本人は現在の上映で、客席後方から亡くなった人数を数え、スライドを通して彼らへ話しかけていると語る*23。制作の目的は、生きている共同体の欲望と関係を記録することから、死者との接触を保ち、匿名の「犠牲者」へまとめられる前の生活を残すことへ変化した。
1989年、ゴールディンはArtists Spaceで『Witnesses: Against Our Vanishing』を企画し、AIDSの影響を受ける友人たちの作品と文章を集めた*13。共同体へ戻ろうとしたとき、多くの友人がすでに亡くなっているか死にかけていたことが企画の背景にあった*14。デイヴィッド・ウォジナロウィッチの文章をめぐるNEA助成撤回は、AIDSへの政府対応、宗教保守、芸術検閲を公の争点にした*15。
『Sisters, Saints, Sibyls』――姉の死を資料から検証する
三面映像作品『Sisters, Saints, Sibyls』(2004–22年)は、聖バルバラの伝説、姉バーバラの生と死、ゴールディン自身の入院を重ねる*18。家族写真、精神科医の報告書、精神科病棟の写真、声、動画を使い、家族と精神医療が姉をどう扱ったかを検証した*19。三画面には宗教、家族、医療、自伝の説明が同時に現れ、どれか一つを決定版にしない。『バラッド』で友人の時間を反復した方法が、ここでは姉について残された資料を照合し、家族が作った記憶を問い直す形式へ戻っている。
ティルマンス、ビリンガム、ファッション写真へ何が渡ったのか
「インティメイト・ライフ」は、家族、恋人、友人を撮り、撮影者自身もその生活の登場人物となる現代写真を比較するための文脈である。ICPは家族アルバム、日記、自画像から続く系譜にゴールディン、エメット・ゴウィン、サリー・マン、キャリー・メイ・ウィームスらを置く*25。MEPの「Love Songs」も、ゴールディンと荒木経惟を軸に恋人を撮る写真を複数世代で構成した*26。
ヴォルフガング・ティルマンスは、友人やクラブ文化の写真から抽象作品や社会運動へ対象を広げ、スライド投影を含む展示を組み立てた*10。リチャード・ビリンガムの『Ray’s a Laugh』は、アルコール依存と貧困の影響を受けた実家の生活をカラー写真集として構成した*16。1990年代のファッション写真では、直接フラッシュ、乱れた室内、無防備な身体が、理想化されたモデル像に代わる「日常らしさ」として使われた*24。後続作家が引き継いだのは、直接フラッシュやスナップの外観に加え、誰を長く撮るか、複数の写真をどう並べるか、親しい関係から生まれた像を公開後までどう扱うかという課題だった。
撮影、上映、出版、再流通――同意が変わる四つの段階
初期上映では、写っている友人が写真の削除を求め、ゴールディンが応じた*23。その後、『性的依存のバラッド』は写真集、美術館、複製画像となり、撮影から数十年後も流通している。撮影を許したこと、仲間内の上映に同意したこと、写真集への掲載を認めたこと、死後も美術館や市場で公開されることは、それぞれ範囲が異なる。
コッツは、同じ共同体に属していても、編集、展示、販売の決定権には差があり、観客は親密な生活を安全な距離から見ることができると批判した*20。被写体が客席から写真を外せた初期上映と、固定された順序が反復される美術館展示の差は、ゴールディンの方法の強さと限界を同時に示す。人間関係を撮影の根拠にしたからこそ、その関係が変わった後の公開を誰が決めるのかが残る。
『Witnesses』からP.A.I.N.へ――記憶を制度の責任へつなぐ
2017年に設立したP.A.I.N.は、ゴールディン自身のオピオイド依存から出発し、サックラー家の製薬利益と、その寄付を受ける美術館を批判対象にした*23。本人はACT UPを組織上の手本とし、美術館のロビーや展示室を抗議の場所に選んだと説明している*14。
P.A.I.N.は、それ以前の制作と同じく、個人の経験を誰が説明し、誰が責任を負うのかを問う活動だった。姉の死では家族が作った説明に抗い、『バラッド』では恋人や友人の矛盾した時間を残し、『Witnesses』ではAIDSによって失われる共同体と検閲を記録した。P.A.I.N.では、依存を個人の失敗として処理する説明から、製薬会社の販売、美術館への寄付、社会的な羞恥へ視線を移した。ゴールディンの制作と活動には、愛する人の姿を保存し、その記憶の意味を決める家族、政府、企業、美術制度の力を示す姿勢が一貫している。
写真史上では、1960年代以降の主観的ドキュメンタリー、1970年代のカラー写真、ラリー・クラークの内部者による記録、家庭用アルバム、アンダーグラウンド映画の編集を、一つの音楽付き上映へ結びつけた点に固有性がある。『性的依存のバラッド』は、人物を一枚で説明せず、共有した時間を何度も見直す形式を作った。同時に、親しい相手の写真を誰が選び、いつまで公開できるのかという問題を、後続作家と美術館に残した。
- デイヴィッド・アームストロング ― 十代から互いを撮り続けた親友。同じ人物を長期に記録する方法と、ボストンの作家共同体を考える基点
- ラリー・クラーク ― 『Tulsa』で自らの友人を参加者兼観察者として撮った先行例。ゴールディンとの共通点と、カラー・上映・自己登場の違いを比較できる
- ウィリアム・エグルストン ― 家庭用カラー写真の彩度を日常の風景と室内へ取り込んだ先行世代。ゴールディンは色を同じ人物と夜の記憶をつなぐ連作へ使った
- スティーヴン・ショア ― 1970年代の日常的なアメリカをカラーで記述した同時代の比較対象。ゴールディンとは一枚の場所の記述と人物の時間的反復で方向が異なる
- ヴォルフガング・ティルマンス ― 友人やクラブ文化の写真から抽象作品、社会運動、スライド投影へ展示の範囲を広げた後続作家
- リチャード・ビリンガム ― アルコール依存と貧困の影響を受けた実家の生活をカラー写真集として構成し、親密圏写真を家族と階級の問題へつないだ
- デイヴィッド・ウォジナロウィッチ ― AIDS下の友人と作家を固有名で残し、検閲と社会的沈黙を争った作家・活動家
- インティメイト・ライフ ― 家族、恋人、友人を撮り、撮影者自身も生活の登場人物となる現代写真を比較する文脈
- 内部者ドキュメンタリー ― 取材対象の外から説明する立場を取らず、撮影者が共同体の参加者として記録する方法。参加している事実だけでは編集権の差は消えない
- カラー写真 ― 1970年代に家庭用スナップの色が美術写真へ入り、ゴールディンが人物、室内、夜の時間を連作で記録するために使った写真史
- 私写真 ― 日本で形成された、自身と身近な生活を撮る別系統の実践。荒木経惟などとの比較に必要な文脈
音楽付き上映から127点を選び、性愛、依存、暴力、友情、喪失をページの順序へ固定した代表的写真集。上映版との違いを意識して読むと、編集の判断が見えやすい。
1970年代ボストンのThe Other Sideから始まる、ドラァグ、トランスジェンダーの友人たちへの長期的なオマージュ。初期白黒写真と後年のカラーをつなぐ。