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PHOTOGRAPHERS/JAMES WELLING ·コンセプチュアルアート ·UPDATED 2026.07
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§ 191 — Photographer Index — コンセプチュアルアート

ジェームズ・ウェリング

James Welling
Country1990s / 1990年代 Period1990–2000s Channel写真史の論点 · コンセプチュアル
Abstract

ジェームズ・ウェリング(1951年生まれ、アメリカ)は、絵画、ダンス、映像から写真へ移り、アルミホイルやゼラチン、感光紙、色光、建築、身体を、接写、フォトグラム、フィルター、デジタル合成によって異なる像へ変えてきたアーティストである。具体物の正体を残しながら、皺、反射、色、圧力、奥行きが先に知覚される作品から、《Glass House》《Choreograph》の複層的な色彩まで、写真が身体感覚と感情へ働く条件を、シリーズごとに別の技術で検証した。

この写真家が変えたこと

ピクチャーズ世代が演出や再撮影によって像の構築性を示した時期に、ウェリングは、身近な物体と写真工程から、壮大さ、不安、触覚性をもつ像が生まれる仕組みを調べた。アルミホイル、ゼラチン、感光紙、色光を用い、表象への批評と、色・表面・尺度が鑑賞者へ与える感覚を一つの写真で扱う方法を示した。

Keywords コンセプチュアルアート ピクチャーズ世代 カメラレス写真 フォトグラム 写真の物質性 Glass House Choreograph カラーフィールド
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目次 · Table of Contents
§ 01 / 04 背景と時代

絵画、ダンス、映像から写真へ

ジェームズ・ウェリングは1951年にコネティカット州で生まれた。高校時代からカラーフィールド・ペインティングと抽象表現主義に関心を持ち、カーネギーメロン大学では第二世代の抽象表現主義画家ガンディ・ブロディに学んだ。1969年には授業でマーク・ロスコのスタジオを訪れ、黒を基調とする絵画を前に本人と議論している。*21 同校にジョン・ケージとマース・カニングハムが滞在した際には稽古と上演を見続け、後にその一週間を「人生を変えた」経験と振り返った。ピッツバーグ大学ではモダンダンスを学び、カリフォルニア芸術大学ではジョン・バルデッサリのもとで映像とコンセプチュアル・アートに接した。*2 色面への関心は、後の色光を用いる作品へ続いた。*21 ダンスとケージ/カニングハムから得た身体、時間、偶然への関心は、フォトグラム、連作、《Choreograph》へ展開した。*2

写真への入口はビデオだった。初期映像では、粗い編集のノイズやホワイトバランスの急変など、機材固有の現象を短い実演として扱い、モニター画面をTri-Xフィルムで撮影した静止画が最初の銀塩プリントになった。大型ビデオカメラと三脚の操作は1976年の4×5ビューカメラへ移り、後年のスキャナーやデジタルカメラにもつながったと本人は述べている。*3 写真は、機材の癖、暗室の反応、印刷のずれを像の一部として残しながら、絵画、ダンス、映像で得た経験を一つの制作へ集められる媒体となった。

フランプトンとモホイ=ナジ

ウェリングが近代写真へ入った経路には、構造映画作家ホリス・フランプトンの映画と批評があった。フランプトンが『Artforum』でエドワード・ウェストンとポール・ストランドを論じた文章からストランドへ関心を持ち、1972年にLACMAの回顧展を見た後、『Mexican Portfolio』の宗教彫刻と肖像の組み合わせを同時代的なものとして受け取った。*2 ウェリング自身は、フランプトンの「ナイト・ツアー」を、シリーズごとに写真の別の可能性を巡る自身の制作を説明する比喩として挙げている。*2 ラースロー・モホイ=ナジのフォトグラムと俯瞰写真からは、物体と光を感光紙へ直接記録する方法と、カメラが肉眼と異なる空間を作る可能性を受け取った。*12 《New Abstractions》をモホイ=ナジの都市写真とフォトグラムの双方へ結びつける批評もあり、カメラ写真、カメラレス写真、ネガ反転は、知覚を作り直す一続きの方法としてウェリングへ届いた。*23

ピクチャーズ世代と表現性

1970年代末から1980年代初頭のピクチャーズ世代は、写真、映画、広告の既成形式が自己像や作者の価値を作る仕組みを扱った。*17 アレクサンダー・ビッグマンは、ウェリングが初期作品を「感じるという行為についてのイメージ」と呼んだことに注目し、その制作をシンディ・シャーマン、シェリー・レヴィーン、デイヴィッド・サーレらによる「表現的であること」の再検討へ位置づけている。*15 シャーマンが演じられた人物像、レヴィーンが再撮影された名作を用いたのに対し、ウェリングはアルミホイル、フィロ生地、ゼラチンを照明、接写、露光、暗いプリントによって、黒い空間や裂け目が強く迫る像へ変えた。被写体の正体を理解しても、その像が身体や感情へ作用し続けることが彼の問題となった。*18

ウェリングが後年「腹話術」と呼んだ写真史との関係は、既存の写真形式を再現することより、その形式を支える規則を別の対象へ移すことにある。鉄道写真では収束する線路が速度と距離を作り、建築写真では正面性、斜光、反射がガラス越しの内外を重ね、ダンス写真では停止した身振りがRGBの色層として交差する。本人の言う「異なる写真の文法を通して腹話術をする」とは、撮影位置、遠近法、露光、反射、停止した動き、出力方法を、別の技術と題材の中で再び働かせることだった。*3

§ 02 / 04 表現の核心

被写体の認識を遅らせる

ウェリングの初期作品では、具体的な物体を写しながら、その名前に到達するまでの時間が引き延ばされる。《Aluminum Foil》の皺と反射は星空や岩場の奥行きを作り、《Untitled》のフィロ生地は地形や舞台のように見え、《Gelatin Photographs》の黒い塊は有機体や崩壊した物質を連想させる。*1*5*6 物の正体は画面から消えず、鑑賞者がそれを理解するまでに、尺度、空間、題名が別の読みを生む。

ウェリングは、自身の「より抽象的な方法」を身体、皮膚、触覚へ結びつけている。*21 《Torsos》では網の密度、折れ、光の透過、感光紙との接触が、遠近法よりも圧力や重さを前へ出す。*18 ここでの抽象は、具体物を起点に、表面、色、圧力、奥行きが被写体の説明より先に知覚される状態を指す。写真を見る身体が意味を組み立てる時間までが作品へ含まれている。

偶然を工程に組み込む

《New Abstractions》では、暗闇の中でブリストル・ボードの細片をフィルム上へ落とし、紙片の位置、重なり、影をフォトグラムとして定着させた。*10 ウェリングは、紙片の形、落下、露光、現像、選択、再プリントという手順を定め、その内部へ予測外の配置が入る余地を残した。ケージとカニングハムとの出会いを振り返る対話でも、完全な無計画と完全な制御の間で、予期しない結果を受け入れながら判断を続けると説明している。*2 偶然は、材料の反応を観察し、次の判断を更新する情報として工程へ組み込まれた。

色を画像内部の関係として設計する

《Flowers》では、花の輪郭を保ちながら、フィルターと露光で選んだ色が植物固有の色に代わる。*30 《Glass House》では色材、マイラー、回折格子、レンズフレアをカメラの前へ置き、フィリップ・ジョンソンの透明な建築を撮影した。*7 建築の直線を保ちながら、庭、室内、反射、レンズ前の色材を同じ面へ重ね、内外の境界と物体固有の色を一目で分けにくくする。ウェリングは撮影地点の選択、フィルターを動かす身体、光の変化、その後のプリントを二段階の「パフォーマンス」と説明している。*2 色は対象を説明する属性から、輪郭、透明性、反射、奥行きの関係を調整する手段へ移った。

アナログの操作原理をデジタルで再設計する

ウェリングはアナログとデジタルを、ポジ/ネガ、位置ずれ、色分解、粒子、支持体を操作する連続した歴史として扱う。2024年の展覧会「Thought Objects」に出品された一部の作品では、銀塩現像のウォーターハウス効果を参照し、デジタル画像のポジとネガを「二枚の仮想フィルム」として作り、わずかにずらして重ねるequidensity processingを用いた。シャープニングと見当ずれを強調した像を、UV硬化インクでアルミ複合板へ大判出力している。*3 デジタル画像にも、チャンネル処理、解像度補間、インク、支持体、出力寸法があり、その選択が輪郭、粒状感、色の縁取り、鑑賞距離を決める。ウェリングは、アナログ時代に培われた判断を、デジタル固有の工程として再設計した。

§ 03 / 04 代表作・方法・媒体

《Aluminum Foil》と《Gelatin Photographs》

1980–81年の《Aluminum Foil》では、勤務先のレストランから借りたアルミホイルを折り、時に黒く塗り、4×5カメラで撮影した。ネガと同寸の暗いコンタクトプリントは物体と像を一対一の尺度で結びながら、皺を星空や岩場のような空間へ変える。*1*4 1984年の《Gelatin Photographs》では、銀塩印画紙の感光層を結着するゼラチンを食材として煮て黒いインクを混ぜ、商品撮影用の背景紙に置いた。写真を作る材料と、写真に写る物体が同じ物質で重なり、写真の自己言及が制作物の構造として現れる。*6

《Degradés》と《New Abstractions》

《Degradés》では、クロモジェニック印画紙を色光に露光し、緩やかに移る色面を定着させた。ホイットニー美術館は、この作品がカラーフィールド・ペインティングを想起させると説明している。*18 絵具を塗る代わりに、光と感光紙の反応から色面を作った。《New Abstractions》では、暗闇で落とした紙片の位置、重なり、影がフォトグラムとして定着する。*10 二つのシリーズは、絵画的な構成に見える形を、露光、遮光、接触、時間の記録として成立させている。

《Diary / Landscape》、鉄道、建築

《Diary of Elizabeth and James Dixon / Connecticut Landscapes》では、曽祖母の日記や古い筆跡の写真と、家族の土地を現在撮影した風景を同じ連作へ置いた。*11 現実の場所、家族資料、撮影時の現在が並ぶことで、過去は一枚の像へ固定されず、異なる資料と時間の間で読み直される。後の《Railroad Photographs》やH・H・リチャードソンの建築写真では、鉄道写真の収束する遠近法や建築写真の正面性、斜光、反復を用い、場所の説明に速度、距離、リズムを加えた。材料実験で像の変換を調べたウェリングは、ここで既存の記録写真の文法が、場所の見え方と記憶をどう方向づけるかへ問題を広げた。*3

《Wyeth》—絵画で知られた土地を撮る

アンドリュー・ワイエスは、ウェリングが少年期に水彩を始めた頃からの形成的な影響源だった。2010年以降、ワイエスが制作したペンシルベニア州とメイン州の土地、建物、室内を訪ね、色彩写真の連作《Wyeth》を制作した。*27 抑制された色調、表面の対比、光の効果を受け取りながら、ポストプロダクションによってワイエスの非写実的な構成へ接近したと展覧会資料は説明する。*29 ウェリング自身も、ワイエスが視界の端に一瞬現れる形を「抽象的な閃き」と呼んだことに注目した。*28 すでに絵画として知られた土地を撮ることで、現実の場所、ワイエスの画面、ウェリング自身の記憶と色彩処理が一枚の写真へ重なっている。

《Flowers》と《Glass House》

《Flowers》は、花を白黒フィルムへフォトグラムとして定着させ、そのネガを色フィルターを介してクロモジェニック印画紙へプリントした。*30 《Glass House》では、透明な近代建築を撮る際、色材や回折素材をレンズ前へ置いた。*9 日本での「Notes on Color」展は、両シリーズを光、影、時間の制御を中心に紹介している。*7 両シリーズでは、フィルターが色補正の道具から、色そのものを露光・撮影する道具へ変わった。

《Choreograph》—三つの写真をRGBで重ねる

《Choreograph》では、ダンス、建築、風景の三枚の白黒写真を、それぞれ赤・緑・青のチャンネルへ割り当て、一枚のインクジェットプリントへ合成した。身体の動き、建築空間、植物や地形は、互いの輪郭と奥行きを変える色層となり、三つの撮影場所を一つの知覚空間へ接続する。*13 「空間で描く」choreographと「光で描く」photographを結びつけた題名は、若い頃のダンス経験を、写真の色チャンネルと身体感覚へ戻している。

§ 04 / 04 批評と写真史上の位置

作風を変えることを方法にする

ウェリングは、接写、風景、建築写真、フォトグラム、三色分解、デジタル合成をシリーズごとに選び直してきた。フランプトンの「ナイト・ツアー」にならい、一つの様式を完成させるより、各作品群で写真史の別の地点を実際に通過する制作観を語っている。*2 ハマー美術館の回顧展も、彼の仕事を、リアリズムと透明性、抽象と再現、光学と記述、写真の物質的・化学的性質を横断する実践として整理した。*22 作風の変化そのものが、技法ごとに何が見え、何が遅れ、どのような時間と身体感覚が生じるかを比較する方法となった。

ICAフィラデルフィアの対話企画は、ウェリングをギュスターヴ・ル・グレイ、エドワード・スタイケンに続く、写真と絵画の交点に立つ作家として紹介している。その理由を、感覚世界の具体性へ結びつきながら、コンタクトプリント、デジタル・レイヤリング、インクジェットなど、技術ごとに異なる絵画的可能性を用いる点に求めている。*24 《Degradés》の色面、《Glass House》の透明な色層、《Choreograph》のRGB合成は、光、感光紙、フィルター、デジタル処理から写真固有の色面と層を作った。

物質性を出力工程まで捉える

初期作ではゼラチン、感光乳剤、薬品、紙、物体との接触が像の表面を決める。2015年のゲティ美術館「Light, Paper, Process」は、ウェリングを感光紙の光感受性と化学処理を調べる作家として、20世紀の実験写真から続く材料研究へ位置づけた。*20 デジタル作品では、画面上の処理と、インク、支持体、出力寸法を一続きの制作として扱う。MoMAの討議でも、フィルムと感光紙の後に何が写真を構成するのか、インクジェットプリンターを写真技術としてどう考えるかが議論された。*8 ウェリングは材料への郷愁より、材料ごとに写真家が行う判断と、その痕跡がデジタル処理へどう残るかに関心を向けている。*3 同じ原画像を銀塩、インクジェット、手製乳剤で出力し、顔の年代や性別の印象まで変化させた近年作も、この考えを具体化している。*16

クリス・ワイリーは、支持体、薬品、レンズレス技法、デジタル表面を扱うワリード・ベシュティ、リズ・デシェネス、マライア・ロバートソン、アイリーン・クインランらの実践を、タルボット、モホイ=ナジ、マン・レイからウェリングへ続く系譜の中で論じた。*25 2008年のホイットニー・ビエンナーレも、ウェリングとベシュティを、写真の表象領域そのものを主題とし、日常的な物から抽象的な構成を作る作家として同じ公開セミナーへ招いている。*26 両資料は、写真の支持体と制作技術を主題化する実践の歴史的な並びを示す。その並びでは、ウェリングは、ピクチャーズ世代による像の構築性の検討と、後続世代による支持体、露光、化学処理、デジタル表面の検討との間に置かれる。

構成された像の感情と受容

ビッグマンは、ウェリングの1980年代初頭の写真を、近代主義的な自己表現への信頼が揺らいだ時期に、表現性を再検討した仕事として論じている。*15 《Aluminum Foil》《Drapes》《Gelatin Photographs》では、壮大な空間や傷ついた物質に見えた像が、素材名を知ることで身近な物体へ戻る。その落差によって、感情は作家の内面が直接現れたものから、材料の準備、照明、接写、露光、題名、プリントの暗さが生む効果として捉え直される。像が人工的に作られたと理解することと、その像から強い感覚を受け取ることが同時に起こる。

2012年の「Mind on Fire」は、初期の接写、フォトグラム、色面作品を制作時期の資料とともに再提示した。*19 2014年のICPインフィニティ・アワードは、再現的な像と抽象的な像の双方を制作し、写真へ実験的な感覚を持ち込んだ作家として評価した。*14 これらの展覧会と受賞は、初期の材料実験、建築と風景の記録、カメラレス写真、色彩、デジタル出力を、技法ごとに知覚と感情の生じ方を検証した継続的な制作として再提示した。

§ REL 関連する写真家・運動
Photographers
  • シンディ・シャーマン ― 同時代のピクチャーズ世代。 人物像の演出から写真の構築性を示し、ウェリングは材料と工程から同じ問題を扱った
  • シェリー・レヴィーン ― 再撮影によって作者性と複製を扱った作家。ウェリングは写真史の技法や画面構成を別の対象へ移した
  • トーマス・ルフ ― 写真の技術、流通画像、デジタル処理をシリーズごとに検証する比較対象
  • アクセル・ヒュッテ ― 建築と風景を記録と知覚の両面から扱う同時代の写真家
Movements / Contexts
§ REF さらに読む
James Welling: Monograph
James Crump, Mark Godfrey, Eva Respini, Thomas Seelig / Aperture / 2013年

初期の暗い接写やカメラレス作品から、ニューイングランドの風景、建築、色彩作品までをまとめた包括的なモノグラフ。

Aperture で見る ↗
James Welling: Choreograph
James Welling / Lisa Hostetler / Aperture / 2020年

ダンス、建築、風景をRGBチャンネルで重ねた《Choreograph》を、色彩知覚と身体空間から検討する。

Aperture で見る ↗
§ SRC 出典