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PHOTOGRAPHERS/JITKA HANZLOVÁ ·コンセプチュアルアート ·UPDATED 2026.08
JH
§ 143 — Photographer Index — コンセプチュアルアート

イトカ・ハンツロヴァー

Jitka Hanzlová
Country1980s / 1980年代 Period1980–1990s Channelイメージを疑う · CONCEPTUAL
Abstract

イトカ・ハンツロヴァーは、チェコスロヴァキアから西ドイツへ亡命し、体制転換後に故郷の村で始めた『Rokytník』以後、人物、家、森、都市、動物、水を縦位置のカラー写真で撮る写真家。『Bewohner』『Female』『Forest』『Hier』を通じ、帰属を固定した故郷や内面の属性として扱わず、撮影者、被写体、環境が一回ごとに結ぶ距離として示した。

この写真家が変えたこと

ハンツロヴァーは、亡命者の帰郷を決定的な一枚や自伝的な告白に集約せず、何年にもわたる再訪と写真集の順序として制作した。『Rokytník』では村人の縦位置肖像の間に家、道、動物、雪景色を入れ、『Bewohner』『Female』『Forest』でも同じ高さと抑えた色調を保つ。顔だけを切り取らないため、衣服、壁、足元、樹木が人物と同じ重さで残る。ポートレートと風景を一冊の中で交互に並べ、故郷の像を人物、建物、動物、森のページへ分散させた。亡命を扱う写真に、帰還の瞬間より長く続く再訪の時間と、シリーズを編集する形式を持ち込んだ。

Keywords Rokytník Bewohner Female Forest Hier 亡命 故郷 縦位置ポートレート
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目次 · Table of Contents
§ 01 / 04 背景と時代

亡命後、写真を新しい言語として選ぶ

ハンツロヴァーは1982年にチェコスロヴァキアを離れ、西ドイツで政治亡命者となった。アルベルティーナは、生活を一から組み立て直す時期に彼女が写真を見つけたと記している*1。移住直後はドイツ語での会話が難しく、見る、聞く、観察することが生活の中心になった。ウルス・シュターヘルとの対話で本人は、視覚が再び「最初の言語」になり、1983年頃から写真を学び始めたと回想している*10。イサベル・テヘーダの論考も、母語を失った経験と、翻訳を介さずに使える写真との出会いを結びつける*21

カメラは、亡命の事情を説明するための図解より、相手の前で待ち、視線を受け取り、自分の記憶を現在の場所へつなぐ方法になった。言葉を共有しきれない状況でも、撮影の時間と一枚の画面を相手と分け合えることは、写真を選ぶ理由の一つになった。プラハ国立美術館は、東西二つの文化と政治体制の間で形成された写真言語を回顧展の軸に据え*2、ナショナル・ギャラリーズ・オブ・スコットランドも、亡命とエッセンへの再定住を、場所とアイデンティティを扱う背景として整理している*4

エッセンの写真教育と、冷戦後の帰郷

1987年から1994年まで、ハンツロヴァーはエッセンで視覚コミュニケーションを学んだ。エッセンのフォルクヴァングは、オットー・シュタイナート以後、ドイツの写真教育を代表する場所の一つとして、芸術写真とドキュメンタリーの双方を蓄積してきた*22。この環境で彼女は、人物を社会的な類型へ整理する方法と、撮影者の感情だけを前面に出す方法の間に、自分の距離を作った。1989年の体制転換後、学生のまま故郷ロキトニークへ戻り、1990年から最初の主要シリーズを始めた*1。村には社会主義期の生活が残り、市場経済と民主化が入り始めていた。彼女は政治的事件を直接示す代わりに、住民、衣服、家畜、洗濯物、道、草地を季節の順序で撮った。制度の変化を日常の表面へ現れる速度で受け取るため、継続撮影とシリーズ形式が必要になった。

§ 02 / 04 表現の核心

『Rokytník』―縦位置で人物と場所を一緒に見る

『Rokytník』(1990–94)は、村人、家、道、家畜、植物をほぼ一貫して縦位置で撮ったシリーズである。アルベルティーナは、風景にも縦位置を使い、彩度を抑えたカラーで社会主義期の空気と変化の手前にある村を捉えたと説明する*1。横長の全景では村が一つのまとまりとして見えやすい。縦位置では、一人の身体、一本の木、一軒の家が画面の中心となり、その周囲に足元、壁、草地、空が残る。

この構図によって、故郷は一枚の象徴的な風景へ集約されず、目の前の人物や場所へ分けて示される。小さなプリントも、遠くから全体像を受け取る見方より、近づいて表情と周囲を同時に読む見方を促す。こうした形式を亡命経験の直接的な結果と断定することはできないが、帰還者と村のあいだに残る距離を、消さずに保つ働きは明確である。フォトミュージアム・ヴィンタートゥールの所蔵解説も、肖像と風景が帰属を同時に語る構造を作品一点から確認している*5

撮影の待ち時間が、言葉に代わる接触になる

移住直後のハンツロヴァーは、会話を十分に理解できない環境で、見ること、聞くこと、観察することへ依存した。本人はウルス・シュターヘルとの対話で、画像を通して他者や自分自身と対話したと回想する*10。写真は言葉の内容を画像へ移すより、出会いの時間をそのまま受け取る。カメラを持って相手の前に立ち、同意を得て、相手がこちらを見るまで待つ。その間に生じた警戒、好奇心、ためらいが、姿勢や視線へ現れる。顔だけを切り取らず、衣服、壁、草地、光を残すことで、その反応を個人の内面だけに帰さず、場所と社会の条件を含めて示せる。

『Bewohner』― 開けた村から、壁と柵の都市へ

『Bewohner』(1994–96)は、ベルリンやエッセンなどの都市で撮られ、『Rokytník』の直接的な対作品として構想された。ALBERTINAは、村の開けた地平に代わり、柵、幾何学的な壁、荒れた建築、下層中産階級の日用品が人々を囲むと説明する*1。ここでも人物と環境は一つの撮影条件として扱われる。都市の表面、境界、空白が、住民の姿勢や孤立感を作る条件として写る。

『Female』― 女性の類型を避け、路上の交渉を写す

『Female』(1997–2000)は、ニューヨーク、ロサンゼルス、ロンドン、ベルリンなどを歩き、偶然出会った女性へ声をかけて制作された。ALBERTINAは、このシリーズを写真行為そのものがコミュニケーションになる作品として位置づける*1。ウルス・シュターヘルは、作品が「女性らしさ」の本質や統計的な類型を示す意図を退け、個別の出会いに留まることを強調する*10。全員がカメラを見返すため、撮る側の一方的な観察を越え、短い合意と緊張が画像へ刻まれる。

『Forest』― 森を主観的な経験として撮る

『Forest』(2000–05)は、幼少期に知ったチェコの森へ繰り返し入り、樹木、地表、霧、蜘蛛、光を撮影した。ジョン・バージャーは、これらの写真が森を外から眺める観光的な自然像から離れ、内部にいる身体が枝、下草、空隙の「あいだ」を感じる経験を作ると論じた*17。縦位置の画面は樹木の立ち上がりと撮影者の身体方向を重ね、入口や見晴らしを明確にしない。森は故郷を象徴する背景より、過去へ進む動きと未来を見ようとする動きが同時に生じる場所になる。

§ 03 / 04 代表作・方法・媒体

『Hier』― ルール工業地帯で、自然と都市の傷を並べる

『Hier』はエッセンとルール地方で長期に撮影され、人物、動物、荒れた建築、汚染の痕跡を一つの系列で連ねる。ALBERTINAは、採炭や戦争、インフラによって変形した土地と、そこへ植物が戻る兆候を記す作品として説明する*1。ヤンシー・リチャードソンの展覧会ページは、牛、遊具、樹木、工業景観、人物が同じ小さな縦位置で連なる実際の構成を公開する*6。題名の「ここ」は安定した新しい故郷を宣言しない。生活の場に残る複数の歴史と、自然が人間の利用を越えて回復しようとする時間を、断続的な写真の集積として示す。

『There Is Something I Don’t Know』― ルネサンス肖像の型と現在の顔

このシリーズでは、15、16世紀の肖像画を思わせる顔立ちの人物を探し、現代の服装のまま簡潔な背景の前に立たせる。ヤンシー・リチャードソンは、歴史的なポーズと現在の身体が重なり、時間を特定しにくい肖像になると説明する*3。ALBERTINAは、姿勢、背景、家具が古い表象規則を引用しながら、撮影者と被写体の集中した相互作用を残すと記す*1。ヤンシー・リチャードソンの展示記録は、シリーズの作品画像を比較できる形で公開している*13。似ている顔を歴史の反復として固定せず、肖像という形式が個人をどう読ませるかを問い直す。

『Horse』『Water』― 人間中心の肖像を越える

『Horse』(2007–14)は、口、耳、たてがみ、眼などを大きく切り取り、人と馬の長い関係を、具体的な一頭との接触から考える。ヤンシー・リチャードソンは、細部の近接が動物の力と感情的な結びつきを伝えると解説する*3。『Water』(2013–19)は雲、氷、融解、反射など水の状態を扱い、ALBERTINAは生態学的な問題への関心が強まったシリーズと位置づける*1。ヤンシー・リチャードソンの「Water That Dreams」は、液体、気体、固体を六章に分けた展示と作品画像を公開する*14。人物を撮るときと同じ注意が、動物や自然現象へ向けられる。

写真集のシークエンス―故郷を人物、道、動物、空白へ分散する

『Rokytník』『Bewohner』『Female』『Forest』『Hier』は写真集として構成され、顔、道、壁、動物、植物の順序が場所の感触を作る。ケーラー出版社の回顧展図録は、主要シリーズを139点のカラー図版で収録し、客観性と共感、計画性と偶然性が同居する画面を特徴として挙げる*16。一枚の代表作だけでは、故郷は象徴的な人物や風景へ集中しやすい。写真集では、人物の次に空の道が現れ、家畜の次に壁や草地が続き、空白ページも像の間隔を決める。帰属は一人の心理や一つの場所に属する性質から、環境の断片を往復する読書時間として経験される。Steidlの作家ページは、主要写真集をシリーズごとに整理し、作品が本の単位で発表されてきた継続性を示す*11。シリーズと写真集は発表形式の選択に留まらず、帰還を一度の回復として完結させないための構造だった。

§ 04 / 04 批評と受容

亡命の経験と、縦位置・カラー・プリントの距離

縦位置、抑えた色、小さなプリント、自然光、写真集の順序には、それぞれ撮影上・編集上の理由がある。そのすべてを亡命経験だけで説明すると、作品の形式を経歴へ還元してしまう。一方、主要シリーズを通して見ると、対象へ近づきながら相手や場所を所有しない距離が繰り返されている。Fundación MAPFREの大規模回顧展は、村、都市、森、日本、花、馬、肖像を横断し、複数のシリーズが同じ視覚言語で接続されることを示した*7

抑えたカラーは、衣服、壁、植生の差を残しつつ、郷愁を強い調色で演出することを避ける。小さなプリントは鑑賞者に近づくことを求めるが、人物の名前や場所の物語を代弁し切るほどの近さは与えない。亡命によって生じた距離を直接「表した」と言うより、被写体の前で待つ時間、環境を残す画角、像へ接近する鑑賞距離が、その経験と響き合っていると捉える方が正確である。

1990年代の欧州写真―亡命、都市、体制転換のなかで

ハンツロヴァーの初期活動は、亡命者の経験と東西欧州の変化を扱う展覧会の中で受け止められた。Artlistの展覧会・文献記録には、1988年の「チェコスロヴァキア亡命写真」、1992年のフォルクヴァング美術館「Im Fremden Land」、1995年のEuropean Photography Award、1996年のManifesta 1が並ぶ*8。『Rokytník』と『Bewohner』は、故郷の村と西ドイツの都市を別々の文化紹介として扱わず、人物の立つ場所、衣服、壁、道路、光を通じて、社会制度の変化が生活へ現れる速度を記録した。1990年代の欧州という同時代性は、国境という主題だけでなく、縦位置の一枚ごとに人物と環境を同時に残す形式へ現れている。 Deutsche Börse Photography Foundationは、場所の光と人物の環境を切り離さない撮影を、主要シリーズに共通する特徴としている*9。ラファエラ・コルテーゼの作品資料でも、人物、都市、動物、自然現象が同じ縦位置とカラーの方法で並ぶ*18

受賞と回顧展が示した、シリーズ単位の評価

1995年のEuropean Photography Awardに続き、ハンツロヴァーはシティバンク写真賞の候補となり、2007年にはBMW–Paris Photo Prizeを受賞した*3。ブラウンシュヴァイク写真美術館の「Between Continuum」は、1990年以後の主要シリーズを通じ、故郷への帰還が一度の出来事で完結せず、撮影のたびに現在の場所との距離を測る制作として続いていることを示した*20。その後のFundación MAPFRE、プラハ国立美術館、ブラウンシュヴァイク写真美術館、ALBERTINAの展覧会は、亡命を説明する数点だけを選ぶ構成から、『Rokytník』『Bewohner』『Female』『Forest』『Hier』『Horse』『Water』をシリーズの連続として見る構成へ移った*1。受容の変化によって、経歴の象徴として読まれがちだった作品が、色、縦位置、写真集の順序、人物と背景の比率を持つ長期的な方法として検討されている。 Mai 36 Galerieは東西二つの社会制度をまたぐ仕事として回顧展を紹介し*12、ヤンシー・リチャードソンはALBERTINA展をオーストリア初の美術館個展として記録している*15

同じ縦位置で、村・都市・森の違いを保つ

『Rokytník』では村人の身体の周囲に草地や家畜が残り、『Bewohner』では人物の背後へ壁、柵、道路が迫る。『Forest』では一本の木や葉の暗部が、人の肖像と同じ縦位置に収まる。ゲオルク・カーグルの展覧会資料は、五年間にわたる森の撮影を、過去へ戻ることで未来を見るための道という本人の言葉とともに紹介した*19

同じ形式を村、都市、森へ繰り返すことで、各場所は異国情緒や経歴の象徴として分離されない。人物の立つ高さ、背景までの距離、光の量をシリーズ間で比較できる一方、それぞれの環境差は消えない。縦位置とシリーズ形式は、チェコの村、西ドイツの都市、幼少期の森を一つの故郷像へまとめず、同じ撮影条件の中で違いを保ち続ける役割を担っている。

§ REL 関連する写真家・運動
Photographers
  • エリナ・ブロテルス ― 自己、風景、移動を、北欧・欧州の環境と結びつける比較対象。
  • 川内倫子 ― 日常の光と小さな生命を連続した写真集の時間へ編む。
  • ベルティアン・ファン・マネン ― 移住者や私的空間を、長期的な関係から撮る欧州写真の系譜。
Movements / Contexts
  • カラー写真 ― 故郷・移住・帰属を主題に、ポートレートと風景をカラーで撮り、ノスタルジーに回収されない距離と親しさの緊張を保った。
  • ポートレート写真 ― 人物の顔だけでなく、背景、衣服、姿勢、距離を同じ重要度で扱う。
  • ニュー・ドキュメンタリー ― 社会的説明を前面化せず、個別の出会いと環境から歴史を捉える。
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§ SRC 出典