冨重利平Tomishige Rihei

冨重利平(Tomishige Rihei)は、日本写真とドキュメンタリーを考えるうえで欠かせない写真家です。このページでは、日本写真とドキュメンタリーを手がかりに、写真史の流れの中での位置づけを、関連作家・運動・出典とあわせてたどります。

基本情報
日本
生没年 1837–1922

解説

冨重利平(本姓・篠倉、1837〜1922年)は、九州における明治写真史の最重要人物の一人である。筑後国柳川(現・福岡県)に生まれ、1862年に長崎で亀谷徳次郎のもとで写真術を習い、その後、日本写真界の草分けである上野彦馬の門に入った*1。1866年に柳川で開業した後、明治3年(1870年)に熊本へ移り、同市で最初の写真館と伝わる「冨重写真所」を開設した。明治5年(1872年)から陸軍の依頼で熊本城・水前寺公園・山崎練兵場などを系統的に撮影した。これらの写真は明治10年(1877年)の西南戦争で熊本城が炎上する前の姿を伝える唯一の写真記録として今日も格別の史料価値をもつ。火災で写真所も全焼したが、上野彦馬の指導のもとで翌年に再建した*2。西南戦争では乃木希典大将の要請で3日間にわたり戦火の跡を撮影し、数千枚の印画が傷病兵に配られた。肖像写真の被写体には乃木希典・川上操六・北白川宮能久親王(写真術も指導)といった軍人のほか、熊本第五高等学校赴任中の夏目漱石、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)らの文学者が含まれる。熊本市新町の写真所建物は2006年3月に国の登録有形文化財となり、特徴的な斜壁撮影室が現存する*3。2010年から四代目・冨重利平が受け継ぎ、日本最古級の営業写真館として現在も稼働している。2014年には熊本大学五高記念館で創業140周年記念展が開催され、明治近代化の記録という写真所の歴史的意義が学術的にも確認されている*4

冨重利平 写真集

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外部リンク

出典