横山松三郎
写真・写真油絵・石版印刷・文化財調査を横断し、明治国家の視覚制度形成に関わった複合的実践者。江戸城撮影・壬申検査への参加・博覧会記録など明治初期の視覚記録制度の核にあり、関係写真群は重要文化財に指定されている。
日本に関わる写真家を、各作家がどの時代・運動と結びつくのかとともにたどるページです。
写真・写真油絵・石版印刷・文化財調査を横断し、明治国家の視覚制度形成に関わった複合的実践者。江戸城撮影・壬申検査への参加・博覧会記録など明治初期の視覚記録制度の核にあり、関係写真群は重要文化財に指定されている。
熊本で冨重写真所を創業し、肖像写真・熊本城記録・夏目漱石や小泉八雲の肖像を残した写真師。地方都市における写真の制度化を担い、継承される写真館として地域近代の自己表象を支えた拠点を築いた。
冨重写真所の二代目として、利平が築いた写真館の制度と記録文化を持続させた写真師。個人の表現者というより、地方近代における写真館の継承そのものを体現した存在として、写真史の中に位置づけられる。
鹿島清兵衛は「写真大尽」と呼ばれた明治の写真パトロンで、銀座に玄鹿館スタジオを構え、国産乾板製造会社の設立、日本写真会の組織化、X線写真の公開実演などを通じて、明治写真界の制度的基盤を作った人物。富士山写真24枚を明治天皇に献上したことでも知られる。
亀井茲明は公家・伯爵の身分から写真に関心を持ち、日清戦争(1894–95)の記録写真チームを組織した明治の写真パトロン。300枚を超える従軍写真を『明治廿七八年戦役写真帖』にまとめ、明治天皇に献上した。
屋須弘平は幕末に生まれ、グアテマラで「フォトグラフィア・ハポネサ(日本写真)」スタジオを開いた日本人写真家。フアン・ホセ・デ・ヘスス・ヤスの名でカトリックに改宗し、アンティグアの宗教行列や上流市民の肖像を記録した。
鳥居龍蔵は独学で人類学を修め、1895年から台湾・満洲・朝鮮・沖縄・アイヌ・モンゴルなどで現地調査を行った日本の人類学者・考古学者。約2500枚のガラス乾板写真を残し、考古学的遺跡と民族誌的分類を視覚的に記録した。
資生堂初代社長として企業文化を形成しながら、写真芸術社の設立と資生堂ギャラリーの創設を通じて日本の写真芸術制度を整えた写真家・文化人。制度形成と表現の双方から日本近代写真を支えた。
絵画主義的な印画の質感と近代的な人物把握を結び、日本近代写真の肖像表現を切り開いた写真家。ピクトリアリズムから日本固有の写真モダニズムへの移行期に、身体と顔の存在感を写真として立ち上げた作家として位置づけられる。
ニューヨークとパリでの経験を神戸・芦屋の写真文化へ接続し、日本モダニズム写真の形成に関わった写真家。商業写真と構成的実験の双方を担い、阪神間モダニズムの視覚文化を支えた。
浪華写真倶楽部・丹平写真倶楽部など関西写真文化の中で活動し、ピクトリアリズムから構成写真、合成ネガまで幅広い実験を展開した写真家。戦前日本写真の実験性を代表する作家として国内外で再評価が進んでいる。
戦前の報道写真から出発し、戦後は子ども・古寺・ヒロシマを連作で記録した日本の写真家。「絶対非演出・絶対スナップ」を原則とするリアリズム論を写真雑誌で展開し、木村伊兵衛との論争を通じて戦後日本写真の言語を整備した。
植田正治は、鳥取の砂丘と家族を舞台に、日常を演出された場面として提示した写真家。記録でも報道でもない、配置と余白によって日常を劇場化する「植田調」は、日本写真のモダニズムに独自の系譜を刻んだ。
金丸重嶺は、商業写真・写真教育・批評を束ねて日本モダニズム写真の制度を作った人物。撮影者としてより、欧米の新興写真を日本へ移植し、広告写真の語法を教育によって定着させた媒介者としての役割が、写真史における独自の位置を与えている。
写真家・編集者・写真史家の三役を担い、1930〜40年代の日本写真文化を支えたインフラ的人物。撮影技法書の執筆、雑誌編集、写真教育、外地写真展への関与を通じて、日本の写真文化の制度的基盤の一角を担った。
満洲、ヒマラヤ、インドを撮影地とする旅行・探検写真集を相次いで刊行し、1930〜40年代日本の外地表象と出版写真文化の交点に位置した写真家。戦後は国内の仏像・古寺写真へと活動を転じ、旅行写真から文化財写真にまたがる幅広い仕事を残した。
戦時の報道写真と戦後の家族・子ども・都市の記録を長期にわたって撮り続けた日本の写真家。報道の文脈と私的な記録の眼が混在する写真群は、昭和期の生活史を視覚化する資料として東京都写真美術館などに収蔵されている。
荒木経惟は電通の広告写真家として働く傍ら、同社の秘書として働いていた青木陽子(ヨーコ)と1971年7月7日に結婚した。その新婚旅行(柳川・九州)で撮影した写真を私家版写真集『センチメンタルな旅』(1971年)として自費出版したのが、彼の写真家としての出発点となった。
東松照明は1930年に名古屋で生まれ、戦時中に軍需工場に動員された世代として、終戦と同時にアメリカ軍の占領を直接経験した。占領軍の兵士に対する個人的な親切と、その存在が日本社会に与える暴力性への反感が同時に存在する、「愛憎」の複雑な感情が、その後の生涯のテーマを形成した。
田沼武能は、終戦直後の東京から始めた60年以上にわたる記録活動で、戦後日本の市民生活と都市の変容を写し取った。人間の存在を歴史の尺度とする市民的・人道的なまなざしが、同時代の対抗的な日本写真とは異なる位置を与えている。
1921年生まれ、2022年没。日本各地の祭礼・民俗・民間習慣を主な被写体とし、急速な近代化が進む戦後日本において失われつつある風俗・文化を長年にわたって記録した。
1933年山形生まれ。戦後日本の前衛文化を背景に、舞踊家・作家との協働による演劇的・象徴的なモノクロ連作を発表した。
1940年生まれ、2024年没。セレブリティのポートレート・ヌード写真・建築・雑誌・写真集にわたる広範な活動で知られる。
岩宮武二は、寺社・庭園・工芸・仏像・民具といった日本の伝統的文化形態を主題に、ドキュメントと形式的探求の境界に立つ写真実践を展開した。伝統を観光的に再現するのではなく、写真の語彙で再構成するという姿勢が、戦後日本写真の流れの中に独自の位置を与えている。
1933年生まれ、2021年没。写真家集団「VIVO」のメンバーとして知られ、代表作『地図』(1959〜1965年)でフォトブック史に独自の位置を占める。
1934年生まれ、2012年没。家族・妻・孤独・自己崩壊を主題とした強烈に個人的な写真で知られる。
占領後の横浜で、赤線地帯・診療所・女子プロレス・婦人保護施設など「働く女性」の生活を撮った写真家。写真集『危険な毒花』では一人称の文章と写真を組み合わせ、女性が写真家として働くことと、被写体である女性の生活を同じ実践のなかで結びつけた。
東京や日本各地の路上、劇場、歓楽街、広告、雑誌やテレビのイメージを、粗い粒子、ブレ、強いコントラストのスナップでとらえ、1960年代後半以降の日本写真に大きな転換点をつくった写真家。『にっぽん劇場写真帖』『写真よさようなら』『記録』を通じて、写真を現実の透明な記録としてだけでなく、都市にあふれる複…
1938年東京生まれ、2015年没。写真家・批評家。
自然史博物館のジオラマ、映画館の投影光、海の水平線、蝋人形の肖像、数理模型や光学実験を、大判カメラと長時間露光で撮影してきた作家。杉本博司は、被写体の内容だけでなく、展示・映画・肖像・科学模型・暗室技術が「本物らしく見える像」を生む過程を作品化し、写真が時間や歴史をどのように像へ変えるかを問い続け…
1940年生まれ、2019年没。《風姿花伝》(1976年)を代表作とし、祭・街・日常の断面に潜む異質な時間と身振りを独自の白黒写真で記録した。
1946年生まれ。アフリカ・中東・チベットなど過酷な自然環境と宗教的な巡礼地を長年にわたって記録し、祈りの形と大地の関係を写真で追い続けた。
1950年東京生まれ。ガラパゴス諸島での撮影を契機に野生動物写真の道に入り、アフリカ・海・ネコなど多彩な対象を世界各地で撮影してきた。
1947年群馬生まれ、横須賀育ち。1970年代から写真活動を始め、横須賀・身体の傷跡・女性の経験・衣服の残留物を通じて個人の痕跡と歴史的記憶を重ね合わせる写真を展開してきた。
1948年生まれ。ベトナム・カンボジア・ラオス・沖縄・コソボなど戦争の傷跡が残る地域を長年にわたって記録した日本のドキュメンタリー写真家。
1954年生まれ。森山大道のワークショップ写真学校で学んだのち、直接フラッシュと近接距離による対立的なストリート写真《Photo Express: Tokyo》などで1970〜80年代の日本写真を代表する作家のひとりとなった。
1939年生まれ。《俗神》(ゾクシン)《ヒロシマ 1945–1979》など都市・民俗・原爆後の日本を主題とした長期連作で知られる。
潮田登久子は、冷蔵庫、本、豪徳寺の部屋に残る光や生活用品を通じて、近しい人の時間を人物の表情だけに頼らず写してきた写真家である。桑沢で石元泰博、大辻清司に学び、街の人物写真から出発したが、人を撮ることへの躊躇を経て、生活に触れたモノを正面から記録する方法へ進んだ。
1951年大阪生まれ。西洋美術史の正典的なイメージ——ヴェラスケス、マネ、フリーダ・カーロなど——に自らの身体を挿入することで知られる。
1972年滋賀県生まれ。2001年の写真集デビューから《うたたね》《花火》《Illuminance》《Ametsuchi》など連続する書物形式を通じて、日常の細部・光・生死の瞬間を連ね、小さな知覚が生と時間の巡環を示唆する写真実践を確立した。
1972年滋賀生まれ、東京拠点。日用品や家庭的な空間を精密にステージングし、スケール・配置・フレーミングによって対象の大きさや実在性への確信を揺るがす写真で知られる。
1958年岩手県陸前高田生まれ。採石場・爆破・地下水路・都市河川など産業的に変容した風景を大判カラーで長期にわたり記録してきた。
1962年東京生まれ。《Tokyo Suburbia》で木村伊兵衛賞を受賞し、日本の郊外・消費空間・家族という主題を冷静で繊細な観察で記録してきた。
1965年日本生まれ。モデル・女優が自らの「架空の死のシナリオ」を発案し、写真家がそれを精密にステージングするという協働的方法論で知られる。
1957年生まれ、彫刻を出自とする写真家・教育者。長時間露光・光の軌跡・身体的な介入を通じて、日常的な環境を時間と行為が堆積するフィールドへと変換する。
1936年生まれの写真家・批評家・編集者。舞台公演や人物の記録写真を撮影する傍ら、日本の美術館写真コレクションの形成に関する執筆・編集にも携わった。
星野道夫は1952年、千葉県市川市に生まれ、アラスカの野生動物、風景、人々の暮らし、神話を写真と文章で記録した写真家。十九歳のときに見たシシュマレフ村の航空写真をきっかけに土地へ入り、以後、極北の自然を「人間の外にある景色」ではなく、移動、狩猟、記憶、死生観を含む長い時間として読ませた。
オノデラユキ(1962年生まれ)は、ルール駆動の連作・暗室実験・大判手製プリントを特徴とし、写真過程を概念的な問いの生成装置として扱う写真家。「新宇宙の写真」賞を受賞し、コンセプチュアルな手続きと視覚的な驚異を結びつける実践を展開してきた。
長島有里枝(1973年生まれ)は、セルフポートレートと家族写真を通じて女性の身体的自律・ジェンダー・表象の政治を問う写真家・作家。1990年代の日本に登場し、写真家としての実践とフェミニスト批評の言説の両方からいわゆる「女の子写真」の枠組みに異議を唱えてきた。
蜷川実花(1972年東京生まれ)は、高彩度の色彩・花・金魚・ポートレートを軸に写真・映像・空間インスタレーションを展開する写真家・映画監督。2001年度木村伊兵衛写真賞受賞。
松江泰治(1963年東京生まれ)は、地平線と空を排し正面光で影を消し去った「地表面」の写真を撮り続ける日本の写真家。東京大学で地理学を学んだ背景を持ち、写真を景色の窓ではなく地理情報・密度・縮尺の場として扱う。
志賀理江子(1980年愛知生まれ)は、宮城県北釜に長期滞在し地域住民と協働で撮影を続けた写真家。2011年の東日本大震災で拠点と多くの住民を失いながら活動を継続した「螺旋海岸」は、コミュニティの記憶・喪失・神話的時間を演出・フラッシュ・アーカイブ回収を通じて可視化する。
林典子(1983年生まれ)は、キルギスの花嫁誘拐・ヤジディ教徒の祈りなど国際社会で報道されにくい問題を長期取材するドキュメンタリー写真家。2013年にVisaポール・イマージュのVisa d'Or受賞(日本人初)。
横田大輔(1983年埼玉生まれ)は、フィルムを反復的に現像・スキャン・再撮影・焼損・折りたたむなど物理的・化学的・デジタルなプロセスを連鎖させ、写真の物質性そのものを主題とする写真家。第45回木村伊兵衛写真賞受賞(2019年)。
小林健太(1992年神奈川生まれ)は、自ら撮影した写真をPhotoshopのスミアツールで引き伸ばす《#smudge》などで知られ、撮影後の編集画面・ピクセル・AI生成までを写真の現場として扱い、デジタル環境で現実がいかに編集されるかを問う写真家。