ラースロー・モホイ=ナジLászló Moholy-Nagy

ラースロー・モホイ=ナジ(László Moholy-Nagy)は、バウハウスと新しいヴィジョンを考えるうえで欠かせない写真家です。このページでは、バウハウス、新しい視覚、フォトグラム、代表作の『絵画 写真 映画』を手がかりに、写真史の流れの中での位置づけを、関連作家・運動・出典とあわせてたどります。

基本情報
生没年 1895–1946

解説

ハンガリー生まれのラースロー・モホイ=ナジは第一次世界大戦に従軍し、塹壕の中で独学でデッサンを始めた。戦後ベルリンでロシア構成主義・ダダと接触し、「芸術は社会変革の工具でなければならない」という信念を持つようになった*1。1923年にヴァルター・グロピウスに招かれてバウハウスの金属工房マイスターに就任すると、写真・映画・印刷をデザイン教育の中心に組み込み始めた。1925年の著書『絵画・写真・映画』では「写真の問題は写真らしい写真を作ることではなく、いかに人間の視知覚を拡張するかにある」と論じた。同書は「光で描くことができれば、まずそれを試みよ。絵筆は不要だ」という視点から、印刷・ポスター・書籍デザインにいたる視覚メディア全体を射程に収めた革命的な教科書だった*2。モホイ=ナジが推進した「新しいヴィジョン」の核心は、「見慣れたものを見知らぬものとして提示する」という認識論的革新にあった——真上からの俯瞰・真下からの仰角・極端なクローズアップ・放射状の光と影など、通常の人間視点には存在しない角度からの提示が認識そのものを刷新するという考え方だ*3。フォトグラム(暗室での物体の直接感光)はマン・レイと独立に実践し、「純粋な光の構成」として体系化した。1930年には鉄骨と透明素材にモーターを組み込んだ「光・空間調整装置」を完成させ、その映像記録「光のディスプレイ」(1930年)も発表した*4。「今日、写真を読めない者は文盲と同じだ」という言葉は視覚リテラシーを20世紀教育の根本問題として定式化した*5。1933年のナチス政権樹立でバウハウスは閉校となり、モホイ=ナジはロンドンを経て1937年にシカゴへ移住し「ニュー・バウハウス(現イリノイ工科大学デザイン学部)」を設立した。死後1947年に刊行された遺著『動体視力』はデザイン教育の基本文献となり、彼が持ち込んだ「見ることを教える」という教育哲学は戦後の商業デザイン・広告写真・建築写真に広範な影響を及ぼした*6。「形の知覚そのものを教育で変えられる」というモホイ=ナジの確信は、現代デザイン教育の中心原理として今日も継承されている。

ラースロー・モホイ=ナジ 写真集

Painting, Photography, Film
バウハウス的視覚教育の必読書。
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László Moholy-Nagy: Painting, Photography, Film (Bauhausbuecher)
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外部リンク

出典