バウハウスの教育とフォトグラム実験を通じ、写真を記録ではなく知覚を更新する装置として捉えたハンガリー生まれの芸術家・教育者。新しいヴィジョンの理論と実践を、写真、映画、デザインを横断して展開した。
モホイ=ナジは、写真を記録の道具ではなく知覚を更新する装置として捉え直した。フォトグラムの実験とバウハウスでの教育を通じて、光そのものを造形の素材とする「新しいヴィジョン」を理論と実践の両面から展開し、写真・映画・デザインを横断する近代的な視覚教育の枠組みを築いた。
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ラースロー・モホイ=ナジは1895年にハンガリーに生まれ、法律を学んだ後、第一次世界大戦での従軍を経て芸術の道へ進んだ。*1 1923年にワルター・グロピウスに招かれバウハウスに参加し、基礎造形課程の教員として写真、金属工芸、グラフィックデザインにまたがる実験的な教育を担った。*2 1925年には写真・映画・デザインの統合的な思想を示す著作『絵画、写真、映画』を刊行し、新しいヴィジョンの理論的基盤を示した。*3
1928年にバウハウスを離れた後はベルリン、ロンドンを経て、1937年にシカゴへ移り「ニュー・バウハウス」(のちのインスティテュート・オブ・デザイン)を創設した。*4 1946年の没後も、この学校はアメリカのデザイン教育に大きな影響を残し、ヨーロッパ前衛の方法論をアメリカへ移植する制度的回路の一つになった。*5 モホイ=ナジ財団はフォトグラムを含む作品・資料の保存と普及を担い、研究・教育の参照点として機能している。*6
フォトグラムと光・物質の直接的記録
フォトグラムは、物を印画紙の上に置き、光を当てることでカメラなしに像を作り出す方法であり、モホイ=ナジはこれを1920年代から主要な実験の一つとして展開した。*7 物は輪郭、影、透明度として画面に直接記録され、対象の再現ではなく、物と光が接触した結果として像が現れる。この方法は写真の本質をレンズと機械的な記録にではなく、光と感光材料の関係に置き直す試みとして機能した。*8 モホイ=ナジ財団はフォトグラムのコレクションを公開しており、光の痕跡が物の形と透明度を同時に示す独特の視覚性を確認できる。*9
マン・レイのRayographと同時期に発展したが、モホイ=ナジのフォトグラムは詩的・夢幻的な方向よりも、光と形の構成的・教育的な体系へと接続される傾向が強い。*10 スミソニアンの資料は、彼のフォトグラム、フォトモンタージュ、カメラ写真を別々に収録しながら、共通して形と光を近代的に組織するという一貫した方法論として整理している。*11
新しいヴィジョンとバウハウスの視覚教育
モホイ=ナジにとって、写真は世界を写す機械ではなく、人間の知覚を更新する装置であった。*12 俯瞰、仰瞰、斜め構図、反復、フォトモンタージュ、タイポフォトといった手法は、肉眼中心の古い視覚を解体し、近代的な身体と都市を新しい知覚として組織する試みとして位置づけられる。*13 バウハウスにおける彼の教育は、写真を独立した芸術形式として正当化するのではなく、デザイン、建築、映画、印刷物すべてに通じる視覚的思考の訓練として位置づけた。*14
メトロポリタン美術館の「バウハウスの写真」に関するハイライト資料は、バウハウス全体における写真実践を概観しており、モホイ=ナジの役割を制度的・教育的な文脈から理解するために参照できる。*15 テートの解説はモホイ=ナジを単一ジャンルの作家としてではなく、写真、デザイン、映画、教育を統合したメディア思想家として扱っている。*16
アメリカへの移植とインスティテュート・オブ・デザイン
シカゴへの移住後にモホイ=ナジが設立したニュー・バウハウスは、バウハウスの教育方法論をアメリカのデザイン教育へ移植する試みであった。*17 インスティテュート・オブ・デザイン(現イリノイ工科大学)は、写真を基礎的な視覚訓練の中心に置いた教育を継続し、アメリカの写真教育に影響を与えた。*18
MoMA、テート、メトロポリタン美術館、ゲティ美術館、グッゲンハイム美術館などが作品を所蔵し、バウハウスと20世紀写真実験の中心的な作家として評価されている。*19 センター・ポンピドゥーやAICも関連作品を所蔵している。*20 後年の評価では、単一ジャンルの作家ではなく、写真・デザイン・映画・教育を統合したメディア思想家として重要視されており、ヨーロッパ前衛がアメリカのデザイン教育へ移植される制度史としても研究が続いている。*21 バウハウスの閉校とナチズムによる追放、そしてアメリカへの移住という歴史的文脈を背景に、モホイ=ナジの仕事はヨーロッパ的なモダニズムとアメリカのデザイン教育の接点として固有の位置を持つ。視覚教育と写真の関係を論じる研究においても、彼の著作と実践は基本文献として繰り返し参照されている。
- マン・レイ ― 同時期に独立してフォトグラム(Rayograph)を展開し、カメラレス写真の詩的な方向を示した比較対象。
- アレクサンドル・ロトチェンコ ― 同じモダニズムの視覚実験を担いながら、ソ連の政治的・制度的文脈の中で展開した作家として比較される。
- アルベルト・レンガー=パッチュ ― 物の形態を即物的に提示するという方向でモダニズムを探った同時代の作家で、モホイ=ナジの教育的ユートピアとは異なる位置を示す。
- ジェルメーヌ・クリュル ― 近代都市の骨格を断片と斜線で捉えた実験的写真集『Métal』が、バウハウスの視覚言語と同時代的に共鳴する。
同じ作家を別の編集や視点でたどれる関連写真集。