1910–1920sは、モダニズムの台頭:大戦・ダダ・ストレート写真を背景に、写真の制度や表現が大きく動いた時代です。このページでは、モダニズム、日本写真、ピクトリアリズムなどの表現を手がかりに、この時代の写真家と写真史の流れをたどります。
アウグスト・ザンダーが「20世紀の人々」という組織的肖像プロジェクトを構想するに至った根拠には、20世紀初頭のドイツで科学的信頼性をもっていた「人相学」への関心があった。
詳細を読むボストン生まれのアルヴィン・ラングドン・コバーンは17歳で写真家フレデリック・H・デイに師事して写真を学び、1902年にスティーグリッツの写真分離派に参加した。
詳細を読むチャールズ・シェラー(Charles Sheeler、1883–1965)はフィラデルフィア生まれ。フィラデルフィアで絵画を学んだのち、商業写真を手がけながら、写真・絵画・映画の三媒体を横断する実践を展開した。
詳細を読む福原信三(1883–1948)は東京生まれ。資生堂二代目社長として企業経営を担いながら、写真を芸術として位置づけるための制度的基盤の整備に尽力した写真家・文化組織者である。
詳細を読む野島康三(1889–1964)は埼玉生まれ。写真家・スタジオ経営者・展覧会主催者として活動し、絵画的写真からより近代的な写真表現への移行期において、日本の写真史上重要な役割を果たした。
詳細を読むフィラデルフィア生まれのエマニュエル・ラドニツキー(マン・レイ)が写真実践に転じた最大の契機は、1913年のアーモリーショーでマルセル・デュシャンの作品と出会い、その後親交を深めたことにある。
詳細を読むポール・ストランドが写真の転換を遂げた背景には、1907年にルイス・ハインに連れられて初めて訪れたギャラリー291での体験がある。
詳細を読むアレクサンドル・ロトチェンコ(Alexander Rodchenko、1891–1956)はサンクトペテルブルク生まれのロシアの芸術家・デザイナー。
詳細を読むアンドレ・ケルテス(André Kertész、1894–1985)はブダペスト生まれ。ハンガリーで撮影を始め、1920年代半ばにパリへ移住、1936年にニューヨークへ渡り後半生をアメリカで送った。
詳細を読む中山岩太(1895–1949)は兵庫県生まれ。1918年からニューヨーク、のちパリで当時の国際的なアヴァンギャルドを直接吸収し、帰国後は関西を拠点に日本の近代写真の展開を先導した。
詳細を読むハンガリー生まれのラースロー・モホイ=ナジは第一次世界大戦に従軍し、塹壕の中で独学でデッサンを始めた。戦後ベルリンでロシア構成主義・ダダと接触し、「芸術は社会変革の工具でなければならない」という信念を持つようになった。
詳細を読むレンガー=パッチュは、ピクトリアリズムの美化ともバウハウス的な視覚実験とも異なる立場から、事物そのものの構造的な美しさを精密に示した新即物主義写真の中心人物である。
詳細を読むジェルメーヌ・クリュル(Germaine Krull、1897–1985)はドイツ出身で、オランダ・フランスを中心に活動した写真家。
詳細を読む安井仲治(1903–1942)は大阪生まれ。関西の写真文化と密接に結びつきながら、短い生涯の中で戦前日本写真史に最も重要な軌跡のひとつを残した写真家として、没後に高い評価を得ている。
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