アルヴィン・ラングドン・コバーン(Alvin Langdon Coburn)は、モダニズムとヴォルテクシズムを考えるうえで欠かせない写真家です。このページでは、モダニズムとヴォルテクシズムを手がかりに、写真史の流れの中での位置づけを、関連作家・運動・出典とあわせてたどります。
ボストン生まれのアルヴィン・ラングドン・コバーンは17歳で写真家フレデリック・H・デイに師事して写真を学び、1902年にスティーグリッツの写真分離派に参加した。ロンドンとニューヨークを行き来しながら都市の高所からの俯瞰写真や著名人の肖像(ロダン・マーク・トウェイン・バーナード・ショウら)を制作し、写真集「ロンドン」(1909年)・「ニューヨーク」(1910年)でピクトリアリズムの優れた実践者として名声を得た*1。転機は1916–17年にエズラ・パウンドおよびウィンダム・ルイスのヴォルテクシズム運動と交流したことにある。ヴォルテクシズムは機械と運動のエネルギーを芸術に取り込もうとしたイギリスの前衛運動だった。第一次世界大戦中の閉塞した創作環境の中で、コバーンは既存の対象を「そのまま写す」ことへの限界を感じた*2。そこで三枚の金属鏡を正三角柱に配置した万華鏡装置「ヴォルトスコープ」を自作し、レンズ前方に装着することで被写体を幾何学的抽象パターンへと変換して撮影する技法を開発した。1917年2月のロンドン・カメラ・クラブで発表した「ヴォルトグラフ」18点は、写真史上最初の純粋抽象写真の展覧会として記録されている*3。パウンドは「カメラは現実から解放された!」と評し、美術史家キース・F・デイヴィスは「完全な抽象を意図した最初の写真群」と位置づけた*4。しかしコバーンはその後まもなく神智学・フリーメーソンに専心して写真から離れ、北ウェールズに隠棲した。この短命な実験は、ピクトリアリストとして成功した写真家が表象の限界に突き当たり、装置の変換によって「見ること」の概念そのものを問い直した試みとして後世に再評価されている*5。