エティエンヌ=ジュール・マレー(Étienne-Jules Marey)は、科学写真と実験的技法を考えるうえで欠かせない写真家です。このページでは、科学写真と実験的技法を手がかりに、写真史の流れの中での位置づけを、関連作家・運動・出典とあわせてたどります。
コレージュ・ド・フランスで生理学を研究していたマレーは、心臓・筋肉・神経の運動を計測する研究を進める中で、「肉眼では観察できない速い動作をどう記録するか」という問題に直面していた。1878年頃にマイブリッジの連続写真に接したことで、写真を科学的計測の道具として採用することを決意した*1。ただしマイブリッジが複数のカメラで各瞬間を別々に記録したのに対し、マレーは「運動の軌跡全体を一枚の乾板に収める」ことで動作の連続的な変化を可視化することを目指し、1882年に回転式ガラス板カメラ「クロノフォトグラフィック・ガン」を発明した。毎秒12コマで撮影し、鳥の飛翔・人体の歩行・落下する猫などを一画面に多重露光した*2。「時系列の動きを空間として表現する」このアプローチは、1910年代にイタリア未来派(フュトゥリスモ)の画家ジャコモ・バッラらが絵画における動体表現の視覚的参照源とし、マルセル・デュシャンの「階段を降りる裸体No.2」(1912年)にも影響を与えたとされる。フランス政府の支援のもとで行った研究は医学・体育・軍事訓練の分野にも応用され、リュミエール兄弟の映画開発の直接的な前史をなすと位置づけられている*1。