ヴィヴィアン・サッセンは、ファッション撮影で用いる照明、スタイリング、ポーズ、カラーを、『Flamboya』『Parasomnia』『UMBRA』などの個人的作品にも用いてきた。顔を腕や影で覆い、身体と衣服、壁、植物の輪郭を重ねることで、モデルと商品を即座に読み取るファッション写真の仕組みを遅らせる。ケニアの幼少期の記憶、女性が自分の身体像を作ること、アフリカを撮る白人写真家の立場が、同じ撮影方法の中で交差する。
エドワード・スタイケン以来、ファッション写真は商業媒体の中で照明、ポーズ、構図を芸術的に展開し、ギイ・ブルダンやヘルムート・ニュートンは衣服を物語、性、権力の場面へ組み込んだ。サッセンはその後の雑誌文化で、衣服を判別できる情報を残しながら、顔を腕や影で覆い、手足と背景を重ね、モデルの物語的な役割を弱め、色と形が交差する身体として見せた。モデル時代に求められた「カメラを誘惑する」振る舞いへの違和感、画像が大量に消費される環境で視線を長く留めたいという意図、ファッション撮影の速度と共同制作が、この形式に結びついた。『Flamboya』『Parasomnia』では、同じ操作によってケニアの幼少期を光、色、姿勢、恐怖の断片から想起した。商業画像の即効性を利用しながら顔、衣服、場所の認識に時間をかけさせ、ファッション写真と美術写真の間を往来し、同じ撮影技術を販売、自己像、記憶、アフリカ表象へ使い分けた点に、サッセンの仕事の特質がある。
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ケニアの幼少期と、二つの地域に対する距離
サッセンは2歳から5歳まで、父が診療所で働いていたケニアで暮らした。オランダへ戻った後、ヨーロッパへの帰属感が弱く、アフリカへ行けば自分が外国人であることを感じたと語っている*3。『Flamboya』や『Parasomnia』では、ケニアを失われた故郷として再現する代わりに、幼少期に残った光、色、身体、恐怖、夢の感覚を現在の撮影へ重ねた。
この個人的記憶と、白人の西洋人がアフリカの黒人を撮影する歴史は同じ作品に含まれる。植民地期の民族誌写真、旅行写真、広告は、人物を地域や人種の典型として見せてきた。サッセンは撮影者が持つ権力と被写体への責任を意識していると述べている*9。国名や人物名を省き、身体を形として扱う方法は、記憶の曖昧さを表す一方、個人差と社会状況を画面から遠ざける。その両方が作品の受容を形作ってきた。
モデル経験から、自分で身体像を作る撮影へ
サッセンは1990年代初頭にファッションを学び、モデルとして撮影される経験を持つ。男性写真家から「カメラを誘惑する」演技を求められた際の居心地の悪さから、自分の身体像を自分で作るためにセルフポートレートへ向かったと語っている*13。男性の視線(male gaze)は、女性を行動する主体として扱う前に、鑑賞される身体として配置する仕組みを指す。これは絵画、ヌード写真、映画、広告、ファッションに広く見られる。*1
サッセンが選んだのは、顔を腕や影で覆い、肘や膝を画面外で切り、複数の身体部分を重ねる撮影だった。本人は、男性の視線が作るイメージと異なる性の表現を「fractured and disjointed」と説明している*19。ここでの断片化は、誰の顔か、身体がどの方向を向くか、衣服がどこから始まるかを一度で判別しにくくする、ポーズとトリミングの具体的な操作である。
ファッションの依頼では、衣服とブランドを伝える役割が残る。サッセンはその条件の中で、光、ポーズ、トリミングを使い、商品の情報と身体の判別しにくさを同じ画面に共存させた。美術作品では、同じ操作が記憶、欲望、匿名性を扱うために用いられる。掲載媒体、依頼内容、写真集のシークエンスが、同じ撮影技術の役割を変えている。
顔を隠し、衣服と身体の境を読みにくくする
サッセンの写真では、腕が顔を覆い、肘や膝が画面外で切れ、二人の手足が重なり、肌と壁や布の色が連続する。上半身と下半身のつながり、人物の数、衣服の形を一見で追いにくい構図も多い。一般的な肖像では顔が人物の同一性や心理を示す中心になるが、サッセンの画面では、姿勢、皮膚、布、背景の配置が先に認識される。本人は、特定個人の説明を抑え、一般化された像や元型へ関心を向けていると語っている*5。
顔を隠す操作は、モデルを定型的な美人像から外し、見る者が表情から性格や感情を即座に読むことを難しくする。その一方で、人物名や地名が示されないアフリカの写真では、個人の社会的背景も弱くなる。近年の批評は、サッセンの黒人像が、西洋写真がアフリカの人々を匿名の身体として一般化してきた視線へ近づく可能性を指摘し、本人も過去作を再検討している*17。
強い日差しの中で顔や胴体を暗く落とすと、人物の細部が消え、周囲の色面と輪郭が強くなる。同時に影は、光源、人物、撮影者の位置関係を記録する。『UMBRA』では写真、映像、詩、鏡を組み合わせ、鑑賞者の影と反射まで作品へ入れた*8。影は、画面を劇的にする効果と、人物のどの情報を見せるかを決める撮影操作を兼ねている。
ファッション撮影の速度と制約を実験に使う
ファッション撮影には、掲載期限、衣服の情報、ブランドの要望、モデル、スタイリスト、メイク、照明を短時間でまとめる条件がある。サッセンは、ファッションの速さとエネルギー、チームで働ける環境を「playground」として評価し、制約がある方が実験の自由を感じることもあると語っている*11。
同時に、画像が大量に流通する文化の中で、写真が一目で消費されず、見る者を混乱させたり長く引き留めたりすることを重視している*11。衣服を判別できる状態を保ちながら、身体全体を抽象形へ変えすぎない範囲で操作する。そこで顔、手足、影、背景の接続だけをずらし、商品画像として読める範囲と、人物や姿勢をすぐに把握できない範囲を同じ画面に作る。
この形式は、商業撮影の条件の内部で、色、ポーズ、身体と背景の接続を繰り返し試す中から形成された。ファッションの共同制作と速い判断は、色、ポーズ、身体と背景の接続を多数試す実験環境となり、個人的作品では、その成果が記憶や匿名性を扱うために使われた。
『Flamboya』『Parasomnia』―記憶を人物と場所の断片から組む
『Flamboya』(2008)は、東アフリカ各地で撮影した人物、建築、植物、影を、高彩度カラーと強い形の連鎖として編集した。写真集は国ごとの社会状況を順に説明せず、同じ赤、斜線、身体の曲がり、日差しをページ間で反復する。Foamは、このシリーズに記憶の回復と、写真が人物をどのように登録するかという問題が含まれると紹介している*18。*6
『Parasomnia』は睡眠に関わる異常状態を意味する題名を持ち、サッセンが意図的に国名を示さなかったアフリカの場所と匿名の人物から成る。MoMAは、ケニアで育った記憶と夢の残片を取り戻そうとするシリーズとして紹介した*3。人物や地理の説明を省く編集は、記憶の断続性を表し、アフリカの複数の国を一つの夢の舞台としてまとめる危険も生む。作品の形式と批判は、同じ省略から生じている。*7
『In and Out of Fashion』『Analemma』―依頼写真を季節と反復として編集する
『In and Out of Fashion』は、雑誌や広告のために制作された写真を元の誌面から取り出し、サッセンのファッション仕事を一つの作品群として再編集した。衣服やブランドが変わっても、顔を覆う腕、影、身体の折れ、背景との色の連続が反復し、依頼ごとの差と作家の判断が同時に見える。
「Analemma: Fashion Photography 1992–2012」では約350点をループ映像として壁と床へ投影し、鏡と投影面が身体をさらに分割した*14。季節ごとに更新されるファッション写真を、時間とともに流れ続けるループ映像として展示し、商業媒体で消費される速度そのものが作品の構造になった。
『UMBRA』『Hot Mirror』『PHOSPHOR』―写真から本、映像、空間へ
『UMBRA』では、強い光が作る影を写真、映像、詩、鏡の中で反復した。映像インスタレーション《Totem》では、鑑賞者の影と反射が投影像へ重なり、作品を見る身体も画面の一部になる*8。一枚の写真で行っていた隠蔽と露出の操作が、展示空間の光と観客の位置へ広がった。
「Hot Mirror」は過去十年の写真と新作コラージュを再編集し、接写、反転、切り抜き、異なる画像の隣接を写真集と展示の構造へ広げた*15。「PHOSPHOR」は30年以上のファッション仕事と美術作品を同じ回顧展に並べ、写真、絵具、コラージュ、映像の往来を示した*2。媒体を変えるたびに、身体の一部を隠す操作が、ページの順序、壁面の配置、投影と反射へ移っている。
リー・ミラーとの比較―モデル経験から身体像を作る側へ
ミラーはソラリゼーション、極端な接写、日常物の異化を用い、シュルレアリスムの技法を作者として扱った。サッセンは高彩度カラー、スタイリング、ロケーション撮影、コラージュを、雑誌の依頼と個人的なシリーズの両方で用いる。『Guardian』の批評は、モノクロームとカラーの差を越えて、風景、身体、暗部、日常の奇妙さを二人の接点として挙げている*16。サッセンの場合、衣服を掲載する商業的な条件が、身体をどこまで隠し、どこまで商品として読める状態に保つかという判断を加える。
2018年、ヘップワース・ウェイクフィールドは「Lee Miller and Surrealism in Britain」とサッセンの「Hot Mirror」を同時開催した*15。リー・ミラーとサッセンは、ともにモデルとしてカメラの前に立った経験を持ち、その後、自分と他者の身体像を作る撮影者となった。ミラーはモデルの受動性への反発から撮影へ進み、サッセンは1990年代のファッション撮影で経験した男性の視線と異なる性の表現を求めた*19。
スタイケン、ブルダン、ニュートン、テラー以後のファッション写真
シャーロット・コットンは『In and Out of Fashion』の後書きで、サッセンの仕事をファッション写真における「axis shift」と評した。ショーン・オヘイガンも、ブルダンやテラーと同様にジャンルの見え方を変えたと論じている*10。その変化は、奇抜なポーズや鮮烈な色だけに由来しない。衣服を伝える商業上の機能を残したまま、誰が写り、身体がどうつながり、どの空間にいるかを一度で把握できない写真を反復した点にある。
サッセン自身は、ヘルムート・ニュートン、ギイ・ブルダン、ユルゲン・テラーを、ファッションと強い個人的様式を結びつけた先行者として挙げている*11。ブルダンやニュートンが、衣服を性、危険、権力を含む物語的な場面へ置き、テラーが私的で即興的な外観を雑誌へ持ち込んだのに対し、サッセンは顔の表情と物語上の原因を弱め、衣服、皮膚、影、背景を一つの平面上の配置として読ませる。
エドワード・スタイケンは、1920〜30年代のCondé Nast誌で、芸術家の照明と構図を商業的な大量媒体へ導入した。The Photographers’ Galleryのクレア・グラフィックは、スタイケンとサッセンを、ファッション画像を純粋美術の制約から離れた創造の場として扱った異なる時代の作家として比較している*12。
MoMA「New Photography 2011」―商業技術で記憶を扱う
MoMAの「New Photography 2011」は六人の作家を選び、現代写真の国際的な広がりと多様な制作方法を示す展覧会だった*4。モイラ・デイヴィーは郵送した写真、ダグ・リカードはGoogle Street View、張大力はプロパガンダ資料を用いた。サッセンは、アフリカの人物と場所を通じて、ケニアで育った記憶と夢を再構成する作家として紹介された*4。
当時の「New Photography」における「新しさ」は、若手という年齢区分だけを指さず、写真の境界や用途を変える制作も含んでいた*20。サッセンの作品は、ファッション撮影で培ったカラー、照明、ポーズを用いながら、帰属感と記憶を報道的な説明や自伝的な年代記にまとめなかった。商業画像の即効性を持つ画面で、人物、場所、物語の特定を遅らせる方法が、同展の多様な写真実践の一つとして提示された。
ファッション、美術、アフリカ表象をつなぐ撮影操作
ファッション仕事では、照明、ポーズ、色、スタイリングが衣服とブランドへの注意を作る。サッセンの個人的作品では、同じ技術が、幼少期の記憶を色と姿勢の断片から想起し、顔を隠し、人物と背景の境を読みにくくするために使われる。本人が述べるように、ファッション写真には商品を伝える目的があり、美術作品にはその役割が課されない*10。二つの領域の差は様式の違いだけでなく、同じ操作が何に奉仕するかによって生じる。
アフリカで撮影した作品では、顔を隠す操作が、人物を定型的な美人像から外すと同時に、個人名と社会的背景を弱める。サッセン自身の幼少期の記憶を扱う写真と、白人の西洋人が黒人の身体と場所を編集する権力は、同じ画面に含まれる。作品の評価は、高彩度カラーや影の形式だけで完結せず、誰の記憶が中心となり、撮られた人物の情報がどこまで残るかという編集の選択に及ぶ。
サッセンは、照明、キャスティング、スタイリング、ポーズが、衣服を見せると同時に身体の読み方を設計していることを画面の中心へ出した。見る者は鮮烈な色へ引き寄せられた後、顔、衣服、手足、場所を判別するために視線を動かす。その時間差によって、商品としての魅力、撮影者の記憶、モデルの匿名化が、同じ技術から生じる異なる作用として比較できる。
- リー・ミラー ― モデルからVogueの写真家、シュルレアリストへ転じ、女性を見られる対象から見る主体へ変えた先行者
- マン・レイ ― 影、身体断片、偶然を用いたシュルレアリスム写真の先行例
- 蜷川実花 ― 高彩度カラーとファッション領域を用い、欲望と身体を美術写真へ接続した比較対象
- デアナ・ローソン ― 黒人の身体と室内を演出し、個人の尊厳と類型化の緊張を扱う同時代の比較対象
- カラー写真 ― 飽和した色彩と深い影で身体を断片化し、ファッションとファインアートを横断しながら安定したアイデンティティを保留した。
- シュルレアリスム写真 ― 身体や日常物を断片化し、現実を夢と不安の像へ変える系譜
- ファッション写真 ― 身体、衣服、欲望を商業媒体の中で構成する写真
- ポストコロニアルな視線 ― 誰が誰を撮り、どの歴史的権力が画像へ持ち込まれるかを問う枠組み
- National Galleries of Scotland - Viviane Sassen
- Foam - PHOSPHOR Press Material
- Huis Marseille - Viviane Sassen
- Stedelijk Museum Amsterdam - Viviane Sassen
- The Hepworth Wakefield - Viviane Sassen: PHOSPHOR
- 1854 Photography - Viviane Sassen on creativity and experimentation
- Document Journal - Viviane Sassen, Phosphor
- Prestel - Viviane Sassen: Phosphor Sample
- TIME - Waking Dream: Viviane Sassen's Fashion Photography
- Viviane Sassen Official - Paint Studies