シャノン・エブナーは、コンクリートブロック、段ボール、木材で文字を作り、それを写真に撮り、文字間の空白、アスタリスク、スラッシュ、反復によって文章の読み方を変える。言葉へ写真を添えて意味を説明するのではなく、文字そのものを撮影対象として制作する*1。印刷文字は通常、素材と制作労働を意識させずに情報を届ける*5。エブナーは文字を重く不揃いな物体として組み立て、設置場所の光と地面を写し込み、複数のプリントへ分けることで、政治的な標語や詩の言葉が、どの素材、場所、間隔によって力を持つのかを具体的に示した*11。
写真史では、ウォーカー・エヴァンスやエド・ルシェが街路の看板を撮り、コンセプチュアルアートは言語そのものを作品にしてきた。エブナーは既存の標語を撮影する代わりに、木材、段ボール、コンクリートブロックで文字を作り、風景へ一時的に設置し、一文字ずつ写真にした。写真を看板の記録や文章の挿絵として使わず、文字を作る労働、政治語が掲げられる場所、露光、プリントの間隔までが、言葉の意味を決める作品を作った点に、彼女の位置がある。既成フォントでは制作した身体と材料が消え、完成写真へ文章を重ねるだけでは文字が現場に存在した事実を扱えないため、この工程が必要だった。
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エブナーは1971年にニュージャージー州で生まれ、バード・カレッジを卒業した後、詩と写真の双方に取り組み、2000年にイェール大学でMFAを取得した。1990年代には詩人アイリーン・マイルズのもとで働き、写真を一時中断して詩へ集中した経験がある*12。後の作品で言葉を被写体にしたのは、写真へ文章を付けるためではなく、詩の時間、行間、発音を画像の構造へ移すためだった*19。
詩から写真へ戻った後も、エブナーは一つの媒体を他方の説明に使わなかった。詩では、改行や沈黙が語の意味を変える。写真では、フレームの外、露光されない部分、複数のプリントの間隔が同じ役割を担える*12。言葉を撮影する方法は、書かれた内容を保存するためではなく、読む行為に時間と身体の移動を与えるために選ばれた*16。
写真史では、ウォーカー・エヴァンスやエド・ルシェが街路の看板を撮り、バーバラ・クルーガーやジェニー・ホルツァーが公共空間へ言葉を提示した。エブナー自身は、自分を「アジェからルシェまで」に連なる看板写真の歴史へ置き、エヴァンス、クルーガー、ホルツァー、スティーヴン・ショア、リー・フリードランダーらを挙げている*25。既存の看板を撮るだけでは、文字の形と設置場所を誰が決めたのかを作品内部で操作できない。完成写真へテキストを重ねるだけでは、文字が光を受け、風景の中へ一時的に立っていた物体であることが残らない*6。そこで、撮りたい言葉を自ら制作し、見せたい場所へ設置してから撮影する方法を選んだ*19。
《Dead Democracy Letters》《The Sun as Error》から《The Electric Comma》へ至る過程で、政治的な語句、写真技術の用語、詩の断片は、意味を直ちに伝える文章から、読みに時間を要する文字列へ変わった*17。社会的な言葉をわざと難解にすることが目的ではない*18。標語が一瞬で理解されるときに見えなくなる命令口調や省略を露出させるためである*19。
なぜ文字を作ってから撮影するのか
コンクリートブロックや木材で作られた文字は、印刷フォントのように均一ではない。組み立てる身体、素材の重さ、地面の傾き、光、天候が輪郭へ入り込む*1。撮影によって文字は現場から切り離され、別の場所へ複製できるが、傷、影、支え方は写真に残る*2。言葉を公共へ運びながら、その言葉を作った材料と労働を消さない媒体として、写真が使われた*11。
〈STRIKE Alphabet〉では、コンクリートブロックで一文字ずつ形を作り、アルファベットとして使用できる写真群にした。文字の物体は撮影後に解体されるため、共通の書体として残るのは写真だけである。これは現場の物体を忠実に保存する記録であると同時に、実在したことのない統一フォントを写真が作り出す例でもある*7。MoMAの展覧会資料とチェックリストは、このアルファベットが写真、映像、壁面の文章へ再利用されたことを示している*8。
なぜ空白、コンマ、遅延を使うのか
《The Electric Comma》では、コンマ、空白、表示の遅れが、意味のない余白ではなく読解を変える単位として扱われる。エブナーは、道路用電光掲示板に語句を一度にすべて表示せず、点灯の順序、回転、画面間の空白を調整した*1。鑑賞者は前の語を記憶し、次の表示と結び直す。通信が言葉の内容だけでなく、表示速度と間隔によって成立することを、読む時間として経験させる形式である*2。
なぜ写真で「文」を作るのか
一枚の写真に文章全体を収めると、写真は文字を運ぶ背景になりやすい。エブナーは一文字や短い語を複数のプリントに分け、壁面、ライトボックス、映像の順序で文を作る*1。鑑賞者は移動しながら読み、前の写真を記憶して次の写真と結ぶ*3。静止画の連続が、句読点と呼吸を持つ文として働く*4。
《ETC》のような短い語では、三文字が文章の終わりを示さず、「ほかにも続く」という省略を示す。写真が一場面を切り取る媒体であることと、etc.が情報の残りを省略する記号であることが重なる。作品は言語の意味を説明するより、写真と省略記号がどちらも見えない外部を想定させる仕組みを示す*9。
公共の言葉をそのまま引用しない理由
政治的標語や広告をそのまま撮影すると、写真は掲げられた命令を記録すると同時に、その言葉をもう一度流通させる。《Dead Democracy Letters》が始まった2002年春、アメリカはアフガニスタンで軍事行動を進め、「war on terror」「freedom」「democracy」といった語が政策を正当化する言葉として反復されていた*25。エブナーは既成の標語を引用せず、撮りたい文字を自作して別の場所へ置いた*19。その結果、鑑賞者は語の意味だけでなく、誰がその言葉を作り、どの土地へ掲げ、どの情報を省いているのかを考える*22。
《Dead Democracy Letters》
《Dead Democracy Letters》(2002–06)は、9月11日以後の政治的言語と「対テロ戦争」への直接的な応答として始まった。本人は、最初の作品を2002年春、アフガニスタンへの爆撃が続く中で制作し、シリーズを、政治的事件と言葉が作られていく状況を受け止める試みだったと説明している*25。段ボールの文字は南カリフォルニアの未開発地、海岸、都市周辺へ置かれ、「USA」「LANDSCAPE INCARCERATION」などの語を一時的に作る*19。Hollywood Signを思わせる大きさを持ちながら、撮影後には解体される。エブナー自身はこれらを権威的な記念碑として扱うことを拒み、写真が、その言葉が一時的に土地へ存在した事実を残すと述べている*25。
《The Sun as Error》
《The Sun as Error》では、太陽、露光、写真材料、エラーという語が写真集の設計と結びつく。LACMAとDexter Sinisterによる出版は、写真を作品図版として並べるだけでなく、印刷、紙、文字組みを含む一冊の装置とした*17。光が画像を作る一方、過剰な光は情報を失わせるという写真の基本条件がタイトルに含まれる*18。
《The Electric Comma》
《The Electric Comma》は、2011年に書かれた13行の詩から始まり、その詩が後の撮影と展示の指示になった*1。エブナーは道路工事や事故情報に使われる可搬式の電光掲示板を借り、文章をプログラムし、掲示板とカメラの位置を変えながら撮影した*21。語句はHammer Museum、LAXART、ヴェネツィアへ分けられ、後には写真と映像になった。文章は一つの画面で完結せず、会場間の距離、点滅、回転、表示速度によって途切れる*23。即時の情報伝達に使われる掲示板を、戻って読み、聞き違い、前の語を記憶する詩へ変えるため、装置、写真、映像を併用した*24。
《Black Box Collision A》《A Public Character》
《Black Box Collision A》では、看板、広告、都市の痕跡から文字Aを撮影し、分類する。ICA Miamiの展覧会は写真、彫刻、映像を通じて、同じ文字が都市ごとに異なる役割を持つことを示した*14。アルファベットを普遍的な記号として扱わず、公共空間に残る個別の形として収集する仕事である*15。
ウェブ作品《Language Is Wild》では、言葉を美術館の壁からウェブページへ移した。画面上の文字はリンク、スクロール、表示順によって読まれ、印刷物とは別の時間を持つ。Diaが作品そのものをウェブ上で公開したことにより、オンライン版は展示の宣伝画像ではなく、鑑賞される本体となった。写真、印刷、公共空間に続き、言葉の伝達媒体そのものを変える試みである*13。
写真と言語のどちらを説明しているのか
エブナーの写真は、言葉の意味を画像で説明する図解ではない。文字を作る工程は、語が素材、重さ、設置場所を持つことを示し、撮影はその一時的な物体を複製可能な文字へ変える*11。印刷文字や写真は、制作工程を見せずに情報だけを運ぶように見える。彼女の作品では、傷、影、露光、配置、改行が読み方を決める*12。文字と写真の双方に、制作した人、選ばれた材料、編集の判断があることを同じ画面で確認できる*16。
《PHOTORAMA》では、店頭の閉じた扉と「PHOTOGRAPHY」と書かれた幕が撮影される。写真という語は、媒体を定義する見出しでありながら、街路にある一つの看板でもある。エブナーはこの二重性を利用し、写真を抽象的な制度名として語ることと、具体的な文字のある場所を見ることを同じ画面にした*10。
コンセプチュアルアート以後の違い
1960〜70年代のコンセプチュアルアートでは、命題や指示書が物体に代わり、言語そのものが作品になる方法が広がった*6。エブナーはその歴史を引き継ぎながら、言葉を印刷された理念だけとして提示しない*7。重い材料で文字を作り、設置し、撮影し、プリントや映像として並べ直すため、語の意味と制作工程を同時に読める*20。看板を撮影したアジェ、エヴァンス、ルシェらの歴史に対し、彼女は記録する看板そのものを自作し、写真によって一時的な物体を共通の文字へ変えた*25。
ここで「物質性」と呼ばれるのは、文字を重い材料で作れば批評的になるという意味ではない。どの材料を選び、誰が組み立て、どこへ設置し、どの角度で撮り、どの順番でプリントを並べたかを追えることが重要である*14。公共の言葉が自然に存在するのではなく、人と制度によって制作されることが、ブロックの継ぎ目、影、支柱、プリント間の空白から分かる。写真はその制作物を別の場所へ運ぶ一方、元の土地から切り離して別の文へ再利用する*20。
読みやすさを拒むことの批評性
広告、道路標識、政治演説は、短い言葉を即座に理解させ、行動を促す*1。エブナーは文字を別々の写真へ分け、電光掲示板を回転させ、映像の表示を速めることで、その速度を止める*2。鑑賞者は立ち止まり、前の文字を思い出し、読めなかった部分を補う*14。この遅さによって、標語が省いた話者、場所、暴力を考える余地を作った点に、彼女の批評性がある*24。
- エド・ルシェ ― 道路、看板、単語を写真集と絵画で扱った先行者。エブナーは文字を自ら製作し、文の時間まで組み立てる。
- バーバラ・クルーガー ― 写真と強い言葉でメディアの命令を批判する作家。エブナーは語を分解し、読みの遅延を作る。
- ウォーカー・エヴァンス ― 看板や店頭文字をアメリカの社会的風景として記録した写真家。
- アイリーン・クインラン ― 写真の制作材料と失敗を可視化する同時代作家。エブナーは同じ問題を文字と通信へ向ける。
- コンセプチュアルアート ― 言葉、規則、指示を作品の主要素材とした歴史的な前提。
- ストレート写真 ― 文字の物体的な傷や光を明瞭に記録する技術的基盤として比較できる。
- 写真と言語 ― キャプションを添えるのではなく、写真と文字が互いの読み方を作る実践。