ジェフ・ウォール(Jeff Wall)は、シネマトグラフィック写真とステージド写真を考えるうえで欠かせない写真家です。このページでは、シネマトグラフィック写真とステージド写真を手がかりに、写真史の流れの中での位置づけを、関連作家・運動・出典とあわせてたどります。
1946年バンクーバー生まれのウォールは、ブリティッシュ・コロンビア大学で修士号を取得した後、1970〜73年にロンドンのコートールド美術研究所でT.J.クラークに師事しマネと近代絵画論を研究した。クラークのマルクス主義的美術史——絵画を特定の社会関係とイデオロギー的緊張の文書として読む方法——はウォールに「絵画は美の記録ではなく社会的知識の一形式だ」という認識をもたらし、「19世紀の絵画が担った都市的現実の記録という機能を写真でいかに更新できるか」という問いを抱いて1970年代末に写真に転じた*1。絵画史の文脈を写真に持ち込む手法は具体的な参照として機能する。1977年にマドリードのプラド美術館でベラスケスとゴヤに圧倒されたウォールは、バス停の広告用バックライト透過式ディスプレイに近代的な絵画的発光の等価物を見出した。この形式が最初の大型ライトボックス作品「破壊された部屋」(1978年)に結実した——ドラクロワ「サルダナパールの死」(1827年)の左上から右下へ走る強い対角線構図と赤を基調とした暴力と性のイメージを借用し、荒廃した賃貸室の「事後」として再配置したものだ*1。「女性のための絵(1979年)」はマネ「フォリー=ベルジェールのバー」(1882年)の内部構造を借用——バーメイドと客、鏡の反射という構成要素を現代のスタジオに移し、カメラをマネの絵における不安定な反射の位置に置くことでまなざしの機構そのものを可視化した。「突然の一陣の風(葛飾北斎に倣って)」(1993年)は北斎「富嶽三十六景・駿州江尻」の構図をブリティッシュ・コロンビアの農業地帯に移し100枚超のカットを1年かけてデジタル合成した作品で、テート・モダンが収蔵している*3。「映画的写真(cinematography)」という概念が演出と記録の写真的本質論争を無効化するメカニズムとはこうだ。ウォール自身は「私はこれをシネマトグラフィーと呼ぶ——映画制作から切り離しただけだ」と述べた。映画はつねに演出・俳優・セット・照明・編集を伴うが、「現実を偽造している」と非難されない——映画的なものとは「起こりえた状況の構築された表象」であり、実際の空間と身体の物理的リアリティを保ちながら現実を再現する様式だ。ウォールはこの様式を写真に持ち込むことで、「ドキュメンタリー対演出」という二項対立を溶解させた。彼の「ニア・ドキュメンタリー(near documentary)」概念はこれをさらに精緻化する——実際に目撃した出来事を俳優と小道具で同じロケーションに再構築することで、「記録したもの」でも「作り話」でもない第三の位置を占める*2。1995年に「Marks of Indifference: Aspects of Photography in, or as, Conceptual Art」(ロサンゼルス現代美術館刊行カタログ所収)という重要な理論的テキストを発表した。ここでウォールはコンセプチュアルアートが写真のドキュメンタリー的主張を利用したことが逆説的に「絵画的イメージ制作の再導入」を準備した、という歴史的論拠を展開し、自らの実践を正当化した。批評家マイケル・フリードはウォールの写真が「吸収(absorption)とシアトリカリティ(theatricality)」というシャルダンからマネに至る絵画の問題系と格闘していると論じ、ウォールを「これまでのどの時期よりも写真が芸術として重要になった」時代の中心に位置づけた。写真を絵画史と同等の解釈的深さを持つ芸術形式として位置づけた功績は、写真がギャラリーの壁を絵画と同等に占有し、批評・収集・美術館展示に絵画と同じ制度的重力を持つようになった1990年代以降の変容に決定的に寄与した*1。2002年ハッセルブラッド賞受賞。2005〜06年テート・モダンおよび2007年MoMAで大規模個展が開催された*4。