アン=ミー・レーは、《Viêt Nam》《Small Wars》《29 Palms》《Events Ashore》で、ベトナム戦争の記憶、戦争再演、海兵隊の訓練、米海軍の世界展開を大判カメラで撮影した。戦闘の決定的瞬間から距離を取り、戦争が準備され、演じられ、風景と歴史の中へ残る過程を写真の主題にした作家である。
戦争写真が前線の負傷者や爆発を決定的瞬間へ集約してきたのに対し、レーは、戦争が始まる前の訓練、終わった後の再演、映画、記念碑、故郷の記憶までを撮影対象にした。1994年のベトナム帰還で、自分が保持してきた故郷像と現在の土地が一致しないと知ったことが出発点にある。写真を選んだのは、亡命者の記憶を言葉で一つの物語へ確定するより、目の前の土地にある細部と、そこへ重なる過去の不一致を同じ画面に残せるからだった。大判カメラの細密さと遅さによって、人物、装備、空、植生、距離を等しく記述し、戦争を社会が想像し、準備し、反復し、記憶する仕組みとして見せた。レーは戦争写真の範囲を、前線の証拠から、風景と制度に蓄積する長い時間へ広げた。
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なぜ写真か―亡命後の記憶と現在の風景を同時に見る
レーはサイゴンで育ち、1975年に家族と国外へ逃れ、アメリカへ政治難民として移住した。スタンフォード大学では生物学を学び、写真の授業を経て制作へ進み、1993年にイェール大学でMFAを取得した*2。1994年に約十九年ぶりにベトナムへ戻ると、亡命生活の中で保持してきた記憶が、目の前の国と一致しないことに気づいた。本人は、文化へ接近できない亡命者の記憶は信頼できるものではなかったと振り返り、帰還後も大判カメラを携えて同じ土地を繰り返し訪れた*24。枯葉剤の被害や戦跡を撮る案も提示されたが、それでは戦争を既知の徴候へ固定し、自分が探していたベトナムをあらかじめ決めてしまうと考えた*23。《Viêt Nam》では水田、河川、都市、労働、余暇を撮り、個人の記憶、長い地域史、戦争後の日常が同じ地形へ重なる状態を探った。 Art21の《Vietnam》解説も、この帰還を、記憶された故郷と戦後の日常を風景の中で照合する制作の起点としている*3。
ここで写真は、記憶が正しいことを証明する媒体として選ばれていない。レーは、写真が真実と結びつけられる一方、画角や距離によって構成されたフィクションでもあると述べている*23。言葉で故郷を一つの回想へまとめると、現在の土地と記憶の食い違いは説明の中で解消されやすい。写真なら、水田の作業、植生、建物、遠景を現在の具体として残しながら、何が過去の記憶と対応するのかを確定しないまま提示できる。ハーバード大学での講演記録が示すように、取り回しの難しいビューカメラを携えた反復的な訪問は、幼少期、戦争、さらに古い歴史が一枚の風景へ偶発的に現れる余地を作った*24。この方法によって、帰還は故郷の回収より、記憶が現実の場所からどれほど離れていたかを測る行為になった。そこからレーは、自分の記憶だけでなく、アメリカ社会が映画、報道写真、再演を通じてベトナム戦争をどう記憶し直すかへ対象を進めた。
大判カメラ―戦争を人物、地形、制度から記述する
レーが大判カメラを選んだ理由は、戦争を即時のニュースへ変える速度から離れ、人物、軍事装置、地形、空、植物を一つの空間として観察するためだった。本人は、ビューカメラが大きなネガに微細な情報を残し、物と物の間の空気まで感じられるような経験的空間を記述すると説明している*23。機動性の高い小型カメラも試したが、時間、距離、記憶が何層にも重なる風景を捉えられず、取り回しの悪い大判カメラへ戻った*24。三脚を据え、構図とピントを確認する時間は、発生した事件を追うより、何が戦争を準備し、どの地形が軍事行動を可能にしているかを見続ける時間になる。SFMOMAが示すように、レーの風景では地形そのものが、戦争を準備し、演じ、記憶する場として扱われる*5。兵士だけを主人公にせず、訓練を可能にする土地、装備、植生、光、撮影者の位置を同じ解像度で残すため、遅さは主題と切り離せない。Art21が作品をドキュメンタリーと演出写真の間に置くのも、現実が軍事訓練、再演、既存の戦争像によってすでに構成されている状態を撮るからである*2。
《Small Wars》―他者が演じるベトナム戦争
《Small Wars》(1999–2002)は、アメリカの森林で行われるベトナム戦争再演を撮った連作である。再演者たちは史実を模倣するだけでなく、装備、役割、地形、映画や報道写真の記憶を使って「ベトナム戦争らしい場面」を組み立てる。レーは撮影を許される条件として参加も求められ、ベトコン兵の役を演じた*21。撮影者、難民としての記憶をもつ当事者、再演の参加者という位置が重なるため、作品は外部から観察した民族誌にも、個人的な追憶にも固定されない。Museum of Contemporary Photographyは、彼女が衝撃的な実戦報道を避け、戦争が心理的に予期され、処理され、追体験される場所を撮ったと説明している*6。穏やかな森と煙、武器、伏兵が同じ調子で写り、風景そのものが戦争イメージを成立させる舞台になる。
《29 Palms》―実戦前の演習を戦争表象として見る
《29 Palms》(2003–04)は、イラクやアフガニスタンへの派遣を控えた海兵隊が、カリフォルニア州の砂漠で行う訓練を撮影した。MoMA所蔵の《Infantry Platoon (Machine Gunners)》では、兵士と機関銃が画面の一部を占め、その背後に乾燥した広大な土地が続く*7。ここに写る行為は現実の軍事活動でありながら、標的、模擬集落、役割演技によって将来の戦場を先取りしている。レーは白黒を選ぶことで、当時の即時的なカラー報道から距離を取り、ベトナム戦争や十九世紀の戦争写真を含む長い画像史へ演習を接続したと説明している*4。《Mortar Impact》では爆発そのものが劇的な中心になりつつ、地形の広さがその力を相対化する*8。兵士の勇敢さか軍事批判かという二択へ収めず、戦争を可能にする訓練、想像、技術、環境の全体を見せる方法だった。
《Events Ashore》―海軍の世界展開とカラー写真
《Events Ashore》(2005–14)では、レーは米海軍に同行し、七大陸に及ぶ演習、輸送、救援、科学調査、人道支援をカラーで撮影した。Apertureの写真集は、軍事力が戦闘時だけでなく、災害対応、外交、物流、技術提供を通じて世界へ現れる多様な姿を収めている*14。《Suez Canal Transit, USS Dwight D. Eisenhower, Egypt》は五点組で、巨大な空母、運河、周辺の土地を連続した視界として示す*10。それ以前の白黒は、ベトナム戦争の記憶、再演、演習を過去の戦争写真へ接続する働きを持った。一方、《Events Ashore》が扱うのは同時代の海軍が、異なる気候、都市、海域、民間活動へ接触する現在進行形の世界である。レーは当初「白黒写真家がカラーで撮っている」感覚だったが、やがて色を心理的、記述的に使うようになったと述べている*25。灰色の艦船と青い海、制服と救援物資、土地ごとの植生を分ける色は、軍隊を一枚岩の象徴へまとめず、その活動が現地環境と結ぶ具体的な差を残す。カラーへの移行によって、記憶の層を扱う白黒から、軍事、外交、資源、労働が同時に動く現在の記述へ重点が変わった。
《Silent General》と循環する歴史
《Silent General》は、南北戦争記念碑、映画撮影、国境地帯、環境災害、抗議運動、首都の政治空間を章のように連ねる。題名はウォルト・ホイットマンの『Specimen Days』に由来し、直線的な年代記より、過去が現在の場所へ反復して現れる構造を採る*11。MoMAの《Fourteen Views》は、ベトナム、フランス、ルイジアナなどの写真を巨大な連続面に置き、軍事的勝利を一望させた十九世紀のパノラマと異なる、断絶を残す歴史像を作った*1。Marian Goodman Galleryで発表された同連作も、南北戦争の遺産と現代政治を土地の配置として扱っている*19。
《Dong Thap》―記憶と現在が一致しない風景
《Dong Thap, Southern Vietnam》(1994)は、川辺の植生と人間の活動を遠くから捉え、戦争の痕跡を直接示す標識をほとんど置かない。The Metは、この作品を帰還後の写真として、記憶または夢のような質を備えると解説している*9。情報の不足は歴史を消すためではない。故郷を知っているという感覚が、現在の風景を前に崩れる経験を、細部の多い写真として保持する。レーの戦争表象はここから始まり、後の再演や演習でも、過去を直接再現できないという条件が一貫して残る。
《29 Palms》―軍事的崇高を内部から揺らす
《29 Palms》には、砂漠、山脈、夜間の閃光、装甲車が作る壮大な景観が現れる。こうした美しさは軍事力を魅力的に見せる危険を含むため、レー自身も戦争を美的に扱う問題から逃げず、Art21でその選択を論じている*4。一方、兵士や車両はしばしば広大な地形の中で小さく、訓練用の虚構も画面に残る。研究者ボグミラ・コワルチュクは《Small Wars》《29 Palms》を、見えない暴力がアメリカの風景へ付きまとう構造として分析した*17。作品の批評性は美を排除することより、美と軍事的支配が結びつく瞬間を観客に見分けさせる点にある。
写真集と展示で連作を読む
2005年の写真集『Small Wars』は、《Viêt Nam》《Small Wars》《29 Palms》を三部構成にし、帰還、再演、実戦前訓練を一続きの問題として読む枠組みを作った。Prix Pictetの作家資料も、この三連作を戦争の神話と記憶を追う約十年の仕事として整理している*18。2020年のカーネギー美術館展「On Contested Terrain」は七連作、百点以上を集め、風景写真、軍事表象、ディアスポラを総合的に検討した*11。2023年のMoMA展は写真に加えて映像、刺繍、彫刻を示し、戦争の像が写真だけでなく、映画、報道、装飾、展示空間を通じて循環することを明らかにした*1。
戦争を美しく見せる危険と、距離の働き
レーの作品は、精密な大判写真と均整の取れた構図によって、軍事演習や兵器を魅力的に見せる可能性を抱える。この点は作家自身も「戦争を美的に扱う」問題として継続的に検討してきた*4。Apertureのインタビューでは、ベトナムの記憶、戦争の混乱、写真によって触れられる記憶の関係が論じられている*13。彼女の距離は苦痛を中和する装置にもなりうるが、同時に一人の犠牲者や爆発へ歴史を代表させず、周囲の土地、労働、制度、観客が既に知っている戦争映画まで視野へ戻す。The MetのArtist Projectでレーが他作家の戦争、風景、権力のイメージを読み解く姿からも、自作を長い視覚文化の中で検討していることがわかる*22。『The New Yorker』は、再演、訓練、映画セットを通じて紛争が物理的・心理的地形へ埋め込まれる点を、MoMA回顧展の中心として評価した*16。本人が「写真は真実と同一視されるが、すべての写真はフィクションでもある」と述べるのは、出来事を捏造するという意味ではない。画角、距離、光、撮影許可、連作の順序が、何を戦争として理解するかを作る以上、自らの構成を隠さないことが写真の倫理になるという認識である*23。
前線の外部へ広がった戦争写真
写真史におけるレーの位置は、戦場を撮らずに戦争を語ったという逆説だけにない。再演者の森、派遣前の砂漠、海軍の輸送路、撤去される記念碑、映画スタッフ、抗議する学生を、戦争表象を生産する連続した場所として扱った点にある。Brooklyn Railの対話で彼女は自らを風景写真家と呼び、軍事介入をより長い暴力の歴史へ置いている*15。カーネギー美術館の図録は、この実践を風景の伝統と戦争の複雑さを結ぶものとして整理した*12。MoMAが初期の《Viêt Nam》から《Silent General》までを「二つの川の間」という移動と対立の構造でまとめたことも、個々の戦争を年代順に説明するより、複数の土地と歴史が同時に作用する制作として評価したことを示す*20。レーが明確にしたのは、戦争写真が前線の証拠だけでなく、演習、物流、環境、メディア、記憶が紛争を持続させる仕組みまで扱えるということだった。本人の言葉にある「普遍的な歴史、個人の歴史、文化の歴史」を一つの地形から同時に立ち上げることが、前線を直接撮らない形式の目的になっている*24。
- ルック・ドラエー ― 現実の戦場を大型写真へ置くドラエーと比べると、レーが再演・演習・兵站へ向かった意味が見える。
- ジェフ・ウォール ― 映画的な準備と大判タブローを用い、写真の出来事がどのように構成されるかを問う先行例。
- ソフィ・リステルユベール ― 戦闘後の地形、建築、傷を通じて、戦争を出来事の残存として扱う比較対象。
- コンセプチュアルアート ― 本文で、戦争を出来事ではなく制度・風景・記憶として扱う現代写真の方法として位置づけられる。
- ドキュメンタリー ― 現実との接触を保ちながら、前線報道とは異なる時間と距離を選ぶ。