ジャン=リュック・ムレーヌは、《Documents》で都市、商品、政治的記号、労働者が作った物を撮り、《Objets de grève》《Produits de Palestine》では商品写真の形式を流通の問題へ接続した。のちに《Opus》で自ら物を制作し、写真と彫刻を一つの作業体系として扱う。写真を中立的な記録から、物の価値、使用、移動、公共的な見え方を作る操作へ変えた作家である。
ムレーヌはドキュメンタリー写真を、既成の対象へ向ける中立な記録ではなく、物を見つけ、撮影し、印刷し、労組誌、美術館、商品カタログへ流通させる生産行為として扱った。写真を選んだのは、身近で携帯でき、物の状態を記録すると同時に、その物が動けない場所から画像だけを別の社会的回路へ送り出せるからだった。《Objets de grève》では労働者が会社の設備と技能を転用して作った品を広告写真の精度で撮り、《Produits de Palestine》では市場を遮断された商品を写真として国境外へ動かした。その後の《Opus》では、設計、数学、工業技術、素材の抵抗から物が成立する過程へ介入した。誰が作り、誰が所有し、どの回路を通ると物の意味と身分が変わるかを調べることが一貫した目的である。写真と彫刻の往復は、物から像へ、像や設計から物へ起こる変換を作品化するために必要だった。
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なぜ写真か―物を記録し、別の流通回路へ送り出す
ムレーヌは1976年にソルボンヌ大学で美術と文学の学位を得た後、パフォーマンス、教職、企業のコミュニケーション業務を経験した。1980年代には軍需企業Thomson-Sintraで製品プレゼンテーションに携わり、技術者や工場労働者のいる組織で、生産物が説明され、機密化され、社会へ提示される仕組みを学んだ*26。 Centre Pompidouの作家資料は、写真、印刷物、オブジェを横断する実践を、技術文化と社会的生産への関心から整理している*4。2016年のCentre Pompidou展で本人が、自身を産業コミュニケーションと七〇年代美術の身体実験が交わる場所にいたと振り返ったのは、この二つの経験が後の制作に残ったからである*1。作品をまず問題として設定し、材料と技法をその都度選ぶ態度は、同館の映像でも確認できる*8。
その中で写真が最初の主要な手段になったのは、本人が言うように「どこにでもあり」、好奇心のために記録し、社会生活と人が物へ反応する仕方を理解する道具だったからである*23。Diaの図録は、写真とドローイングが携帯しやすく、コンパクトであったため、1990年代を通じて最も頻繁に用いられたと記す*26。写真は物をその場で記録するだけでなく、複製され、新聞、労組誌、ポスター、図録、美術館へ入り、元の物とは別の範囲へ移動できる。彫刻だけでは、工場の占拠中に作られた小物や、市場を遮断された商品を同じ速度と規模で公共空間へ送り出せない。ムレーヌにとって写真は、現実を受動的に写す媒体より、物の社会的な身分と流通経路を実際に変える操作だった。この可搬性と複製性が、後に写真、印刷物、展示、彫刻を一つのプロトコルとして扱う基盤になった。
《Disjonctions》―日常の物を確定しない文書にする
1980年代末からの《Documents》には、《Disjonctions》と呼ばれる都市、路上、看板、身体、商品、風景の写真が含まれる。画面はしばしば正面性を持ち、対象を明瞭に見せるが、事件の説明や連続した物語は与えられない。Crouselは、これらを現実世界の中にある、不確定な地誌的参照として説明している*3。題名に場所、季節、日付が付く作品でも、なぜその物が撮られたかは確定しない。Centre Pompidou所蔵の《04 07 1996 (os)》は、骨と葉をカラーの静物として示す大型Cibachromeである*7。骨は自然史標本にも犯罪の証拠にも彫刻にも見えるが、写真は一つの制度へ所属させない。「文書」という名は客観性の宣言より、物を一時的に可視化して公共の読みへ渡す形式を示す。
《Objets de grève》―設備、技能、流通を取り戻す
《Objets de grève》は、フランスの労働者がストライキ中に占拠した工場で、生産設備、材料、技能を使って作った品を探し出し、撮影した連作である。帽子、煙草、香水、衣服、調理器具、切符、紙幣などは、会社の指示する商品から外れ、闘争資金を得て一般社会の連帯を集めるために小規模生産された。Paolo Magagnoliの研究は、これらが労働者を財政的に支え、公共の支持を引き寄せる目的を持ち、多くが使用後に失われたことを確認している*24。物は、会社が所有する機械と労働者が持つ技術を一時的に別の目的へ向けた記録であり、ストライキが生産停止だけでなく、誰が何を作る権利を持つかを争う場だったことを示す。Centre Pompidouの《Vingt-quatre objets de grève》は、個々の物を等価な商品図版のように並べながら、それぞれの工場と闘争へ結びつけている*6。ムレーヌは物を美術館へ保存するだけでなく、撮影し、労組誌や展覧会へ送り出すことで、工場内の行為を画像として工場外へ再流通させた。MACBA所蔵の《Trente-neuf objets de grève》が写真と印刷物を一体の作品として扱うのは、その流通までがドキュメントだからである*9。
広告写真のコードを転用する
ストライキ・オブジェは、背景を整理し、物の形や色を明瞭にする商品写真の外観で撮られる。ただしムレーヌはスタジオ照明で表面を均質化せず、大判カメラと自然光を使い、それぞれの傷、歪み、素材を残した。Centre Pompidouの作品解説は、労働者が企業の資源を転用したのと同様に、作家も広告のコードを借りながら、自然光と大判撮影によって各物の固有性を強調したと述べている*5。商品写真は通常、購買を妨げる歴史や労働を画面外へ置く。ここでは整った表示が、物の異例な生産経緯をかえって前面へ出す。写真の中立的な見え方と、ストライキ、占拠、連帯という政治的背景が一致しないことが、作品の緊張を作る。
《Produits de Palestine》―物が動けないとき写真を動かす
《Produits de Palestine》(2002–04)では、パレスチナで作られた食品、煙草、医薬品、衣類、生活用品を収集し、商品写真に近い正面性で撮影した。Bidounは、オリーブ油から下着までを含む製品写真が、占領下にも生活と生産の広がりが存在することを具体的に示すと報告している*14。Carlier | Gebauerの資料も、この連作を生産、表示、流通をめぐる《Documents》の中核に置く*20。写真は物の代用品として市場を解放するわけではないが、「パレスチナ製品」が存在しないかのように扱われる視覚的な空白へ、名称、包装、色、用途を持つ具体的な物を置く。ここで画像の移動は政治的内容の象徴にとどまらない。包装、商標、製造地を国際的な閲覧空間へ出し、占領と制裁が「何が商品として存在できるか」を決める仕組みを、写真の実際の流通によって迂回する。 ICPに収蔵された写真集『48 Palestinian Products』は、この迂回が一時的な展示だけでなく、図書館で閲覧される刊行物として持続したことを示す*10。
作者名より「提示する」行為を前面に出す
《Objets de grève》の正式題名には「Jean-Luc Moulèneによって提示された」という言い回しが入る。物を自作した作家として所有するより、見つけ、撮影し、配布し、展示する中継者の位置を示すためである。Centre Pompidouは、写真を展覧会、配布用冊子、新聞への差し込みとして流通させる段階まで作品に含め、「提示」という語が作者の後退を示すと説明している*5。この後退は責任を消すものではない。何を選び、どの順番で見せ、どの媒体へ送り出すかという編集権が強くなるため、写真家の仕事はシャッターを切る瞬間から、画像の社会的経路全体へ広がる。
《Documents》―異質な物を写真の共通面へ置く
《Documents》には、ストライキ・オブジェやパレスチナ商品だけでなく、都市風景、裸体、動物、植物、工業製品、政治的記号が含まれる。対象の種類を統一しないことで、写真が異質な物へ同じ平面、縮尺、閲覧距離を与える作用が明らかになる。Kunstverein Hannoverは、初期のプロトタイプ的な商品写真から、時間的・社会的な状況を後から文書化する連作までを、写真の機能を問う仕事として整理した*15。 Friezeの批評が述べるように、ムレーヌの写真は支持体や展示環境に応じて大きさと用途を変え、再利用、拡張、再配置される像として設計されている*13。四巻組『Documents 1999–2016』は、個別シリーズを横断して画像を再配置し、写真群そのものを可変的なアーカイブとして提示した*11。Galerie Chantal Crouselの「Documents 2016」も、写真を一つの主題へ分類せず、物が置かれた社会的状態を検査する連続した仕事として示す*12。一枚の意味は被写体の属性だけでなく、隣にどの文書が置かれ、どの印刷物と制度を通るかによって変わる。この段階でムレーヌが調べていたのは、既に存在する物が画像になることで身分を変える過程だった。
《Opus》―物の制作を「プロトコル」として考える
1990年代末以降、ムレーヌは写真と並行して、自ら設計した彫刻的な物を制作する比重を高めた。《Documents》が既存の物を探索し、撮影と流通によって変換したのに対し、《Opus》は、物が作られる前の設計、素材、製造技術へ介入する。Diaの展覧会は《Opus》と写真を「object and image」として同じ会場で扱い、両者の変換関係を主題にした*2。《Body》(2011)はその接続を具体化する作品である。トポロジーと分岐の考えから形を設定し、ルノーの自動車技術者と十二本の帯状部品を成形して、車体のようで機能を持たない中空の物を作った*26。ここでは図、計算、三次元モデルという像が工業的な工程を通って物になる。Kunsthal Extra Cityは、写真と彫刻の双方で、媒体、作者性、委任、素材との共同制作を分離できない操作として扱う点を指摘している*18。素材が計画へ抵抗し、技術者や職人の判断が形を変えるため、完成物は作家の頭にあった形の忠実な実現ではない。《Documents》と《Opus》をつなぐのは外観ではなく、像、物、労働、技術の間で変換がどこに起こるかを検証するプロトコルである。
回顧展ではなく「プロトコルの回顧」
2016年のCentre Pompidou個展で、ムレーヌは既存の代表作を年代順に並べる代わりに、約三十点の新作を制作する「プロトコルの回顧」を構想した*1。展覧会は材料、数学、集合、交差、切断という規則を空間全体へ展開し、作品同士が互いを読む道具になるよう設計された。作家自身は理想的な展示について、一つの作品を使って他の作品を読み、次の作品へ移る反復を語っている*1。Kunsthal Extra Cityの「ENDWARDS」も、写真とオブジェを、時間、素材、委任、共同制作を横断する同時進行の操作として提示した*18。したがって「プロトコルの回顧」は方法論の抽象的な宣言ではない。《Objets de grève》の設備転用、《Produits de Palestine》の流通迂回、《Body》の工業的成形を、異なる物へ適用された問題設定として比較する展覧会形式だった。
労働者の創造性を保存し、美術が回収する両義性
《Objets de grève》を美術館で見ると、労働者が作った品は明瞭な静物写真となり、作者名はムレーヌに帰属する。この変換には生産者の技能と闘争を保存する働きがある一方、美術家が他者の労働を回収し、商品価値を与え直す危険もある。Magagnoliは同作を、労働者階級の創造性の称揚とも、その不当な専有とも読め、労働運動の記憶にも忘却と物象化にもなりうる両義的なアーカイブとして分析した*24。ArtReviewの展覧会評も、ムレーヌの物が政治的意味を明快なメッセージへ固定せず、制作と展示の矛盾を残す点を評価している*17。この批判は作品の外部にある欠点ではなく、ムレーヌが「提示者」と名乗り、作者、生産者、所有者、展示制度の位置を分けて見せる理由に関わる。広告写真の整った外観も、政治性を消す中立性ではない。労働者が作った物を商品、美術品、歴史資料のどれとして見るのかを鑑賞者へ返し、画像化が必ず新たな価値づけを伴うことを露出させる。
撮影、印刷、流通を一つのドキュメントにする
ベッヒャー夫妻の産業写真やコンセプチュアル・アートは、写真を表現的な一枚から、記録、類型、情報の体系へ開いた。ムレーヌが加えたのは、記録対象が生産され、商品となり、政治的に制限され、画像として別の回路へ入るまでを作品の内部に含めることだった。Diaは彼の経歴を、周囲の現実を収集し、再配置し、別の枠へ置く「一つの連続したパフォーマンス」と紹介している*25。Secessionの個展は、写真と制作物を一つの空間的操作として提示し、媒体別に実践を分けない受容を早い段階で示した*16。Beirut Art Centerの展覧会も、写真、オブジェ、制作資料を横断する構成によって、この連続性を国際的に紹介した*19。Centre Pompidouの展覧会図録は新作のプロトコル、対話、制作資料をまとめ、写真から《Opus》への接続を検討する主要資料になっている*21。Bibliothèque Kandinskyに蓄積された刊行物と記録は、写真集、印刷物、彫刻、対話を横断して制作を研究する基盤を作る*22。 アラン・バディウの『Matter and Form』が五点のオブジェを個別に分析したことは、物質、形、操作を哲学的な問題として読む受容が形成されたことを示す*27。ムレーヌが明確にしたのは、ドキュメントが完成した現実の後から作られる証拠とは限らないということだった。物を探し、撮影し、印刷し、移動させる操作、さらに図やモデルから新しい物を製造する操作までが、現実の生産と所有へ働きかけるドキュメントになる。
- ベルント、ヒラ・ベッヒャー ― 産業の構造物を写真の類型へ変え、記録と美術の制度を接続した先行例。
- トーマス・ルフ ― 既存画像、肖像、建築を通じて、写真の情報形式と流通を検討する同世代。
- ルイーズ・ローラー ― 美術品が所有、展示、複製の制度によって意味を変える過程を撮影した比較対象。
- コンセプチュアルアート ― 本文で、写真・オブジェ・彫刻・インスタレーションを横断する現代美術の実践として位置づけられる。
- ドキュメンタリー ― 本文で、ドキュメンタリーの外観を用いながらその確実性を解体するポストドキュメンタリー写真として説明される。