ポール・ストランドPaul Strand

ポール・ストランド(Paul Strand)は、ストレート写真とモダニズムを考えるうえで欠かせない写真家です。このページでは、291、ストレート写真、モダニズム、代表作の『Wall Street』を手がかりに、写真史の流れの中での位置づけを、関連作家・運動・出典とあわせてたどります。

基本情報
生没年 1890–1976

解説

ポール・ストランドが写真の転換を遂げた背景には、1907年にルイス・ハインに連れられて初めて訪れたギャラリー291での体験がある。セザンヌはリンゴや山などの自然物を「球・円柱・円錐の組み合わせ」として捉え直し、ピカソ・ブラックはそこからさらに踏み込んで対象を複数の視点から見た幾何学的平面に分解し、ひとつの画面上に再構成した——これが「形の構造的分解」である*1。ストランドが直感したのは、現実の世界にはすでにその幾何学が潜んでいるということだった。柵の縦板が刻むリズム、窓の格子が床に落とす平行四辺形の影、テラスに置かれたボウルが描く円弧と楕円——それらをシャープなフォーカスと高コントラストでそのまま写し取ることで、絵画のような筆触の模倣なしに純粋な構造的美を引き出せる。逆に言えば、ピクトリアリズムのソフトフォーカスや印画技法はそれらの幾何学をぼかして曖昧にするものであり、暗室での操作なく現実をありのままに写し取る「ストレート写真」こそが、この発見を実現できる方法だったのだ*1。1912年頃まで彼はピクトリアリズムの技法を実践していたが、この論理的な転換を経てシャープなフォーカスと大胆な幾何学的構成へと向かった。1916年のニューヨークで制作された「白い柵」「裏庭のボウル」は視点と形の純粋な相互作用のみを主題とし、同年のロウアーイーストサイドで撮影した「盲目の女」は、隠しプリズムレンズで被写体に気づかれずに正面から撮影した先駆的なストリートポートレートだった*2。これらはスティーグリッツ主宰の『カメラ・ワーク』最終号(第49–50号、1917年)に掲載され、「これまで写真界に現れた最も直接的で最も率直な仕事」と評された。「カメラという道具のもつ、絵画とは関係しながらも絵画を侵犯しない、純粋かつ知性的な使用」というストランド自身の言葉がストレート写真の宣言として後世に引用される*3。第一次世界大戦中は軍の医療部門でX線技師として従軍し、戦後にチャールズ・シェラーとのドキュメンタリー映画「マンハッタ」(1921年)を発表。1930年代はメキシコに招かれてムラリスモ政府文化局の映画部門を率い、農地改革を主題とした映画「波」(1936年)を制作した*4。その後ニューメキシコ・ニューイングランド・フランス・イタリア・ガーナなど各地で農民の生活を記録し続け、「時代を超えた普遍的な人間の尊厳の記録」という一貫した主題のもとで半世紀以上にわたる制作を続けた。1936年にはニューヨーク写真リーグを支援し、社会変革を写真で実践するという理念を次世代に継承した*5。彼の1916–17年の仕事は写真が絵画の模倣を脱して独自の表現媒体として自立した歴史的転換点であり、アンセル・アダムズ・エドワード・ウェストンらに受け継がれたアメリカ「ストレート写真」の直接の源流とされている。スティーグリッツがピクトリアリズムからの脱却を主導したとすれば、ストランドはその脱却の具体的な方法論を実証した写真家だった*3

ポール・ストランド 写真集

Aperture Masters: Paul Strand
モダニズムと社会的まなざしの接点。
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Paul Strand: Photographs from The J. Paul Getty Museum (In Focus)
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外部リンク

出典