アルベルト・レンガー=パッチュAlbert Renger-Patzsch

植物、工業製品、機械部品、建築の細部を、接写と高い技術的精度で「物そのものの構造」として記録し、1920年代のドイツで新即物主義写真の中心に位置した写真家。1928年の写真集『Die Welt ist schön(世界は美しい)』を通じて、絵画的な美化でも視覚変革の実験でもない即物的な第三の路線を提示し、アウグスト・ザンダー、カール・ブロッスフェルトとともに新即物主義写真の三本柱を形づくった。対象を美化するのではなく、形態秩序と素材の肌理を精密に提示するその写真観は、戦後のドイツ産業写真やベッヒャー夫妻以降の類型的記録にまで長く波及している。

基本情報
ドイツ
生没年 1897–1966

経歴

1897年、ドイツ・ヴュルツブルクに生まれ、父の手ほどきを受けて少年期から写真に親しんだ*1。第一次世界大戦に従軍したのち、1920年代前半は植物写真や印刷媒体向けの仕事を中心に活動し、同年代半ばから工業製品、機械部品、建築細部を主題へ広げていく*2。1928年にはドイツ国内で写真集『Die Welt ist schön(世界は美しい)』を刊行し、新即物主義写真の代表的な言明としてただちに受容された*3。1929年にエッセンへ移り、Museum Folkwang にスタジオとオフィスを構え、ルール工業地帯と自然景観の長期的な撮影に取り組んだ*5。1944年のエッセン空襲によって Museum Folkwang にあった彼のアーカイブの大部分が破壊され、その後、家族とともにゾースト近郊のヴァンメへ移った*5。戦後もルール工業地帯や樹木の精密撮影を晩年まで継続し、1966年にヴァンメで没した*5

表現解説

ピクトリアリズムでもバウハウスでもない第三の路線

1920年代のドイツで、写真は表現としての行き場を二つの方向へ絞り込みつつあった。一方にはピクトリアリズム的な絵画的美化の系譜があり、ソフトフォーカスや手仕事的プリントを通じて写真を既存の美術言語へ同調させようとする姿勢が残っていた*1。もう一方にはバウハウス新しいヴィジョンを通じて展開された写真があり、俯瞰、極端なアングル、フォトモンタージュなど、視覚と知覚そのものを組み替える実験として写真が捉えられていた*6。レンガー=パッチュが切り開いたのは、このいずれとも位置を違える第三の路線だった。彼はピクトリアリズムの装飾的な介入も、ラースロー・モホイ=ナジアレクサンドル・ロトチェンコらが試みた視覚変革の劇性も採らず、対象そのものの形態、表面、反復、素材の質感を最大限の技術的明晰さで提示するという位置取りを選んだ*2

『世界は美しい』と百点の並列

1928年刊行の『世界は美しい』は、工場の煙突、鉄道橋、植物の細部、陶磁器の反射、鋳物工具といった主題の百点の図版からなるが、この書物を貫いているのは、対象を美化せず、対象がすでに備えている構造の美しさをそのまま差し出すという単一の方針である*3。図版は植物、工業製品、動物、建築、人物が意図的に混ぜて配列されており、自然物のフォルムと工業製品の幾何形態とが並置されることで、「物」の構造を横断的に比較できる一種の視覚的な並列表として機能している*10。この並列性は、1931年にルール地方の鉄鋼業を主題とした写真集『Eisen und Stahl(鉄と鋼)』においてより徹底した形で現れ、高炉、圧延ライン、コークス炉、クレーンといった重工業のモチーフが、植物撮影と同質の近接と均質光で扱われている*10。本人が当初想定していたタイトルは「物(Die Dinge)」であり、出版社側の判断で現行の表題に改められたとされる経緯は、彼自身の関心が風景の情緒や生活の物語ではなく、「物」の即物的な提示に置かれていたことを示している*10。方法の面では、植物撮影で培ったマクロ接写の経験が、工業製品にもそのまま持ち込まれている。被写体への近接、均質な光、中判カメラの深い焦点深度、細密な階調、装飾を避けた構図が一貫して選ばれ、肉眼ではしばしば見逃される素材の肌理、反射、反復するモジュールのパターンが画面の主役として扱われる*2。ここで行われているのは、対象を美しく「見せる」ことではなく、対象が本来持っている秩序のほうを画面の側へ引き出す操作である。植物の葉脈がつくる分岐のリズム、機械部品における円、円弧、格子の反復パターン、鉄骨の垂直と梁の水平が交差する構造といった、対象にもともと備わっている形態的な関係を、カメラ位置、フレームの比率、光の方向、トリミングの取り方によって画面の上で明瞭に読める状態へ整え直していく、という手順である*2

新即物主義の三本柱と、中立ではない編集

この方針は、同時代のアウグスト・ザンダーによる人物類型のアーカイブ、カール・ブロッスフェルトによる植物のマクロ拡大写真と並行して進み、三者はいずれも新即物主義写真の中心に位置づけられている*11。ザンダーが社会の総体を類型として束ね、ブロッスフェルトが植物の形態を建築的な構造として切り出したのに対し、レンガー=パッチュは工業製品、日用品、建築、自然物の細部までを、同じ距離と精度で扱う全領域的な観察者として振る舞った*8。こうした即物的な提示は、しかし中立的な記録にとどまるものではない。撮影距離の選択、光の角度、トリミングの厳密さ、プリント時の階調統御が、対象の形態美を強く構成しており、「物の側に任せる」ように見える外観の背後には、被写体の構造を際立たせるための多くの編集的判断が畳み込まれている*10。つまり、レンガー=パッチュの写真は「物そのものが勝手に姿を現したもの」ではなく、被写体を正面またはわずかな仰俯角から真っ直ぐに捉えるカメラ位置の選択、影を固めないための拡散光や弱い補助光の採用、機械部品の輪郭や葉脈のエッジを画面の辺と平行に揃えるフレーミング、周囲の情景を切り落として対象の形を孤立させるトリミング、暗部を潰さず深い階調を残すための露光と現像の調整、白黒プリントでの中間調の細やかな統御、といった多くの操作の積み重ねの結果として、「対象の構造が自ずから現れているように見える画面」が組み立てられている、ということである*10

ベッヒャー派への波及と、写真固有の方法という議論

こうして組み立てられた判断の型は、のちのベルント&ヒラ・ベッヒャー夫妻による工業建築の類型的記録、さらにその流れを受けたデュッセルドルフ派タイポロジー写真の実践へ、形を変えながら引き継がれていくことになる*11。1920年代後半から1930年代のドイツの広告写真、工業製品カタログ、建築雑誌の誌面もまた、このスタイルを参照点の一つとして形づくられたと指摘されており、ジェルメーヌ・クリュルの金属構造写真などと並べて読むことで、近代産業の「物」を視覚化する語彙が同時多発的に組み上がっていった様子が見えてくる*11。共有されていた造形の型を具体的に挙げると、煙突やクレーンを真下から仰ぎ見る極端な仰角の構図、歯車、軸受け、碍子、絶縁体といった機械部品を画面いっぱいに拡大する接写、工場外観を装飾性を排した幾何学的ファサードとして正面から捉えるフラットな撮り方、鉄骨やトラスの組み上がりを対角線やX字の抽象パターンとして読み換えるトリミング、反復するモジュールを画面の一面の模様として提示する構図、鋳造物や金属面の鈍い反射と肌理を引き出すクローズアップ、といった一群の手つきが、同時期の誌面や写真集のあいだを行き来していた*11。こうした手つきは、レンガー=パッチュ、クリュル、ロトチェンコ、モホイ=ナジという四人の、ほとんど重なりのない政治的、理論的な立場のもとで発展したものだった。ロトチェンコは十月革命後のソヴィエトで構成主義の写真実践を展開し、極端な仰角・俯瞰・斜めの構図を通じた新しい視覚的語彙を開拓した*14。モホイ=ナジはバウハウスを拠点に「新しい視覚(Neues Sehen)」を提唱し、光学的実験と写真教育を結びつけた*15。クリュルは1920年代のパリを拠点に、写真集『Métal』(1928年)で鉄橋やクレーンなど金属構造物を写真主題として展開した*16。レンガー=パッチュ自身は、こうした革命運動とも知覚変革の教育プログラムとも距離を置いた位置から、物の構造を即物的に提示するという限定された目的のなかで、結果として隣接する造形を選び取っていた*10。こうして出発点の異なる四つの実践が交差した結果、1920年代後半のヨーロッパの写真誌、広告、産業カタログの誌面では手つきが次第に混ざり合い、近代の「物」に触れるときの共通の視覚的ボキャブラリーが形成されていくことになる*11。とはいえ、新即物主義からベッヒャー派、さらに現代のタイポロジー的実践までをひと続きの直線として描き切ってしまうと、それぞれが抱えていた問題意識、制度的条件、被写体との距離の取り方の違いが見えにくくなる。実際に引き継がれているのは方法の全体ではなく、客観性という姿勢が実作として成立しうるという事実のほうであり、レンガー=パッチュの位置は「のちの道筋を決定づけた起点」というより、後続の試みが参照し続ける基礎線を早くに引いた作家として記述するほうが実像に近い*11。理論の側面でも、彼の論考、書簡、エッセイは長らくドイツ語圏の限定された資料群にとどまっていたが、2010年代にゲッティ研究所の協力で英訳集『The Absolute Realist』が刊行され、作品だけでなく言説の側からも再検討できる基盤が整った*9。そこで繰り返し主張されているのは、写真の課題は絵画の模倣ではなく、物の構造を正しく提示するための写真固有の方法を見つけることだ、という議論であり、この姿勢はモダニズムにおける媒体固有性の追求と強く共鳴している*10

批評と受容

レンガー=パッチュへの同時代批評で決定的な参照点になり続けているのは、ヴァルター・ベンヤミンが1931年の論考「写真小史」で投げかけた異議である。そこでは、世界の苦難や矛盾までもが「世界は美しい」という肯定の下に回収されてしまう危険が指摘され、物の形態美への集中が社会的条件の不可視化と結びつきかねないことが問題化された*4。この批判は、新即物主義写真の核心にある客観性の要求そのものを、政治的な中立の不可能性の側から問い直す契機となり、以後の写真批評にも長く引き継がれている*11。戦後の美術館的受容のなかでは、フォルクヴァング美術館やピナコテーク・デア・モデルネなどを中心に、研究・展示の対象として継続的に扱われている*7。ピナコテーク・デア・モデルネでは、アン・アンド・ユルゲン・ヴィルデ財団の旧蔵による1927年から1935年のルール地方工業風景写真83点が展覧会として公開されている*12。日本の新興写真をめぐる記述では、ピクトリアリズムから離れた新しい写真表現の参照点として、ドイツの新即物主義が取り上げられることがある*13。ゲッティ研究所による書簡、原稿、写真資料のアーカイブ化と英訳刊行も加わり、現在では作品史と理論史の両面から、対象の即物的な提示という彼の写真観が、近代写真の客観性をめぐる議論の起点の一つとして読み直されている*10

アルベルト・レンガー=パッチュ 写真集

Die Welt Der Pflanze
新即物主義の冷たい美学の決定版。
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The Absolute Realist: Collected Writings of Albert Renger-Patzsch, 1923–1967
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外部リンク

出典