ダゲールはダゲレオタイプを発明し、1839年8月19日の公開により写真を事実上「全人類の所有物」とした。各プリントが複製不可能な一点物であるこの形式は、肖像写真の民主化を一方で進めながら、複製性というタルボットが切り開く方向とは根本的に異なる道を歩んだ。
ダゲールはダゲレオタイプを実用に足る技術として確立し、1839年の製法公開によって、光が刻んだ精密な像を社会が現実に所有できるものへと押し出した。各板が複製不可能な一点物であるこの方式は、かつて絵画家に頼るしかなかった肖像を中産階級の手に届く商品とする写真の民主化を進める一方で、一枚のネガから複製を重ねるタルボットの方向とは異なる道を選んだ。「記憶を持つ鏡」と評された解像力は、現実をそのまま写し取る装置としての写真への驚きと、芸術か記録かという問いを早くに呼び起こし、のちに湿板法の複製性に乗り越えられながらも、写真が社会へ広がる出発点を画定した。
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ルイ=ジャック=マンデ・ダゲールは1787年にフランス・ピカルディ地方のコルメイユ=アン=パリジに生まれた。パリで舞台美術や建築の修業を積み、1822年に「ジオラマ」と呼ばれる視覚的見世物を共同発明・開業した。ジオラマは透過光と反射光を切り替えて巨大な透明画布を昼から夜へと変化させる装置であり、光と像の定着への強い関心を育てた*1。
ニセフォール・ニエプスの実験成果を知ったダゲールは、1829年にニエプスと正式な共同研究契約を結び、ニエプスの死後(1833年)も銀板に水銀蒸気で像を定着させる方法を独自に改良し続けた。1835年頃に水銀蒸気による現像という決定的な技術的発見に至り、露光時間を大幅に短縮することに成功した。ヨウ化銀を塗布した銀板を露光後に加熱した水銀蒸気の上にかざすことで、潜像が顕在化する——この発見がダゲレオタイプを実用化の域に押し上げた*2。
1839年1月7日、フランス科学アカデミーでフランソワ・アラゴがダゲレオタイプを発表した。同年8月19日、フランス政府は製法を「全人類への贈り物」として——英国を除く全世界で——無償公開した。この公開により技術は急速に普及したが、各ダゲレオタイプは複製不可能な一点物だった*3。代表作「ボールヴァール・デュ・タンプル」(c.1838)には、靴磨きをされながら静止していた男性のみが写り込んでいる——長時間露光のため動く馬車・歩行者は写らず、これが「写真に初めて写った人間」とされる*4。
1839年3月8日の研究室火災で多くの初期記録が失われ、現存確認済みの作品は25点未満に留まる。ダゲールは1851年に没した*5。
ダゲレオタイプの特質は、その比類のない解像力と一点性にある。銀表面に直接記録された像は、当時の絵画や版画では到達できない細部の精度を持ち、オリヴァー・ウェンデル・ホームズが「記憶を持つ鏡」と呼んだように、現実の鏡像に近い驚異をもたらした*6。各板は複製できないため、同一の像が二枚存在することはなく、写真は本質的に「世界でたった一枚」の物体だった。
ダゲレオタイプが実現した露光時間の大幅な短縮——野外撮影で数分、最終的には屋内でも十数秒程度——は肖像写真を実用化した。1840年代のニューヨーク・パリ・ロンドンでは、かつて絵画家にしか依頼できなかった肖像が、中産階級の手の届く料金で誰でも持てるようになった*7。この民主化の側面は、ダゲレオタイプが複製不可能であるにもかかわらず社会的なインパクトを持ったことの逆説でもある。
技術の普及において重要な役割を果たしたのが、ダゲールの手法を解説した公開デモンストレーションとパンフレットだった。1839年8月の発表から数週間後には、ヨーロッパ各地でダゲレオタイプの試作が報告されている*8。
ダゲレオタイプの登場がもたらした最初の文化的衝撃は、劇作家ゴーティエや詩人ボードレールの反応に代表される。ボードレールは「写真は芸術の侍女であって、芸術そのものではない」と論じ、芸術としての写真の地位を否定する側に立ったが、それ自体がダゲレオタイプの衝撃の大きさを証言している*9。
1840年代を通じてダゲレオタイプの肖像スタジオがニューヨーク・ボストン・フィラデルフィアで急増し、アメリカ市場は1851年のロンドン万博でダゲレオタイプ部門を席巻した*10。1851年に湿板コロジオン法が開発されると、複製可能な紙焼き写真との競合が始まり、ダゲレオタイプは1860年代以降に急速に廃れていく。
メトロポリタン美術館はダゲレオタイプを「その精巧さ、細部の解像度、独特の輝きにおいて他の写真プロセスに匹敵するものがない」と評価しており、現代においても「写真の起源」という文脈だけでなく、その視覚的特質が独自の芸術的価値として再評価されている*11。ジョージ・イーストマン博物館やスミソニアンは大規模なコレクションを持ち、南北戦争期のダゲレオタイプの修復・デジタル化も進んでいる*12。
- ニセフォール・ニエプス ― ダゲールと共同研究契約を結んだ発明家で、ヘリオグラフィーの開示がダゲレオタイプの技術的完成への橋渡しとなった。写真発明の功績をめぐる起点の人物。
- ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット ― ダゲレオタイプの発表と同時期にカロタイプを公表した同時代の発明家で、一点性と複製性という写真の二つの方向を体現した対抗関係にある。
- ナダール ― ダゲレオタイプが普及したフランスで肖像写真の社会的役割と表現可能性を大きく広げた後継世代の写真家。
- ギュスターヴ・ル・グレー ― 湿板コロジオン法を用いてダゲール以後の技術的革新を引き継ぎ、写真の芸術的可能性を押し広げたフランスの写真家。