1839–1860sは、黎明期:帝国主義と写真の誕生を背景に、写真の制度や表現が大きく動いた時代です。このページでは、ドキュメンタリー、戦争写真、発明・技術などの表現を手がかりに、この時代の写真家と写真史の流れをたどります。
ジョゼフ・ニセフォール・ニエプスは1765年にフランス・ブルゴーニュのシャロン=シュル=ソーヌに生まれた。ナポレオン軍での短い従軍の後、故郷に戻って科学実験に専念した。
詳細を読むダゲールはパリで大型ジオラマ劇場を経営する舞台演出家だった。ジオラマは透過光と反射光を切り替えて風景画を昼から夜へと変化させる視覚装置であり、光と像の定着への強い関心をもたらした。
詳細を読むタルボットは1833年10月、ハネムーン中のイタリア・コモ湖でカメラ・ルシダ(光学式製図器)を用いてスケッチを試みたが、自身の画力の乏しさに深く失望した。
詳細を読むデイヴィッド・オクタヴィアス・ヒルは1802年にスコットランドのパースに生まれた風景画家・版画家で、王立スコットランド・アカデミーの創立メンバーかつ書記を長年務めた。
詳細を読むキャメロンは1815年にカルカッタで生まれ、詩人テニスン・科学者ハーシェルらと親交を持つヴィクトリア朝のインテリゲンチャの中にいた。1863年、娘からカメラを贈られた時、彼女は48歳だった。
詳細を読むフェントンは1853年に英国王立写真協会(ロイヤル・フォトグラフィック・ソサエティ)の設立に中心的役割を果たした弁護士出身の写真家だった。
詳細を読むパリで絵画を学んだル・グレーは1840年代後半から写真家に転身し、ナダールらを育てた写真学校をパリに開いた。代表作の海景写真は技術的な難題から生まれた。
詳細を読むナダール(本名ガスパール=フェリックス・トゥルナション)はジャーナリスト・風刺漫画家として当代の文化人と深く交流していたが、1853年頃から写真家に転身した。人物の内面を見抜く取材者としての眼が、肖像写真家としての強みとなった。
詳細を読むアレクサンダー・ガードナーは1821年にスコットランドのグラスゴー近郊に生まれた。1856年頃に渡米し、マシュー・ブレイディのワシントンD.C.スタジオの管理者となった。
詳細を読むロバート・アダムソンは1821年にスコットランドのファイフ州バーンサイドに農家の子として生まれた。
詳細を読むニューヨーク出身のブレイディは1840年代から大統領を含む著名人の肖像写真で名声を築き、アメリカ最高の肖像写真家と呼ばれた。
詳細を読むヴェネツィア生まれでイギリスに帰化したベアトは、1855年のクリミア戦争取材を皮切りに英仏軍が展開する場所へと同行し続けた写真家だった。
詳細を読むティモシー・オサリヴァンは1840年頃にアイルランドに生まれ、幼児期に家族とともにニューヨークへ移住したと推定されている。
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