ニセフォール・ニエプス
ヘリオグラフィーを発明し、現存最古の写真《ル・グラの窓からの眺め》を残した。写真の発明史に決定的な位置を占める。
写真の発明から1860年代にかけて、写真が「装置」から「メディア」へと変容した時代。ダゲールの公開からタルボットのカロタイプ、南北戦争記録、幕末日本まで——誰が、何のために写真を使うかが決まっていった。
1839年のダゲール発表は、光で像を定着させる技術を公にした。以後二十年で複製可能なカロタイプ、肖像写真の産業化、戦場記録、植民地撮影が連鎖し、写真がいつ・誰が・何のために使われるかという問いの出発点がここに生まれた。
ニエプスのヘリオグラフィーがタルボットのネガ・ポジ法へ移行したことで、写真は一回的な像から複製可能なメディアへ変わった。フェントンは戦場を撮り、ガードナーとブレイディは南北戦争を組織的に記録した。ベアトは幕末日本を手彩色写真として市場へ送り出した。写真の「用途」が決まっていったのが、この時代である。
ヨーロッパ列強が資源を求めてアジア・アフリカへ植民地を拡大した時代。清がアヘン戦争(1839–42年)で敗北し香港を割譲。
写真家たちは植民地の軍隊・行政官とともに中東・アジア・南米へ渡り、「異国の文化」をヨーロッパ人に見せた。
ダゲレオタイプから湿板コロジオン法へ。露光時間の短縮と複製可能性が戦場・旅行・肖像写真の展開を可能にした。
記録・ドキュメンタリーと絵画的表現(ピクトリアリズム)が同時に発展。写真の「用途」と「芸術性」の問いが最初に立てられた。
ヘリオグラフィーを発明し、現存最古の写真《ル・グラの窓からの眺め》を残した。写真の発明史に決定的な位置を占める。
ダゲレオタイプを通じて写真術を社会に広めた。1839年の公開により写真を「全人類の所有物」とした人物。
カロタイプとネガ・ポジ法によって写真を複製可能なメディアへ導いた。『自然の鉛筆』から写真集の始まりをたどる。
アダムソンとの協働によりカロタイプを肖像と社会記録へ展開。ニューヘブンの漁師たちの連作も重要。
ヴィクトリア朝イギリスで、肖像写真を感情・信仰・文学的想像力を帯びた像へと押し広げた写真家。
クリミア戦争を撮影した初期戦争写真の代表的存在。報道・国家・世論と写真がどう結びついたかを示す。
海景写真とコンビネーション・プリントによって、初期写真に技術的精度と絵画的構成をもたらした写真家。
肖像写真・気球による航空写真・地下撮影を横断。十九世紀パリの文化人と都市空間を写真に結びつけた。
南北戦争写真を通じて、戦場の死・記録の編集・写真の証拠性を問い直した。アンティータムの記録でも知られる。
ヒルとの協働でカロタイプを肖像・労働・地域社会の記録へ広げた。わずか5年間で約3000点を制作し早世した。
肖像スタジオと撮影チームで南北戦争の視覚記録を組織した。戦争写真とメディア体制の接点を示す人物。
幕末日本・横浜写真・手彩色写真を通じて十九世紀の東アジア像を形成。戦争写真から観光的イメージまでを横断する。
南北戦争とアメリカ西部測量を撮影。地形・戦場・国家的調査が写真の視線をどう変えたかを示す。