ニセフォール・ニエプス(Nicéphore Niépce)は、発明・技術とヘリオグラフィーを考えるうえで欠かせない写真家です。このページでは、発明・技術とヘリオグラフィーを手がかりに、写真史の流れの中での位置づけを、関連作家・運動・出典とあわせてたどります。
ジョゼフ・ニセフォール・ニエプスは1765年にフランス・ブルゴーニュのシャロン=シュル=ソーヌに生まれた。ナポレオン軍での短い従軍の後、故郷に戻って科学実験に専念した。彼が取り組んだ問題は、カメラ・オブスクーラが投影する像を化学的に固定すること——当時の科学者や芸術家が認識しながら誰も解決できていなかった課題だった*1。ニエプスが開発した手法は「ヘリオグラフィー(太陽による書き込み)」と名付けられた。石油由来のアスファルト素材であるユダのビチューメンをラベンダー油に溶かして錫板に塗布し、カメラ・オブスクーラで長時間露光する——光の当たった部分のビチューメンが硬化し、残りはラベンダー油で洗い流される。こうして光が素材を化学的に永続的に変化させるという写真の根本原理が初めて実現された*2。約1826〜27年に撮影された「ル・グラの窓からの眺め」は、この方法による現存最古の写真として知られる。サン=ルー=ド=ヴァレンヌの農場の上階から撮影されたこの薄い像は、露光時間が数時間から数日間に及んだと推定される。庭の両側の建物が同時に明るく映っていることから、太陽が空を横断したことが読み取れる*2。2002〜03年にゲッティ保存研究所がX線蛍光分光法で素材分析を行い、ビチューメンと鉛合金錫板で構成されることを科学的に確認した。現在はテキサス大学オースティン校のハリー・ランサム・センターが所蔵する*3。1827年にニエプスは英国を訪れ、王立協会に研究を提示しようとしたが、手法の詳細の公開を拒んだため受理されなかった。1829年にルイ・ダゲールと10年間の共同研究契約を締結してヘリオグラフィーの詳細を開示し、2人は1832年に「フィジオタイプ」という改良手法も共同開発した。しかしニエプスは1833年に死去した。ダゲールは一人で研究を続け、1839年に劇的に短い露光時間を実現したダゲレオタイプを発表した。しかし1839年の公式発表においてニエプスの名はほとんど言及されず、息子イジドールは1841年に小冊子を発行してこの不当な独占に異議を申し立てた*4。決定的な再評価は1952年、写真史家ヘルムートとアリソン・ガーンズハイムが行方不明になっていた「ル・グラの窓からの眺め」を発見し、1963年にハリー・ランサム・センターが取得したことで訪れた。メトロポリタン美術館は「ニエプスは1826年までに原始的ながらも真実の成果を達成していた」と評価し、写真の発明における先駆者としての地位を明確に記している*5。