ギュスターヴ・ル・グレー(Gustave Le Gray)は、風景写真と発明・技術を考えるうえで欠かせない写真家です。このページでは、風景写真と発明・技術を手がかりに、写真史の流れの中での位置づけを、関連作家・運動・出典とあわせてたどります。
パリで絵画を学んだル・グレーは1840年代後半から写真家に転身し、ナダールらを育てた写真学校をパリに開いた*1。代表作の海景写真は技術的な難題から生まれた。ガラス湿板(コロジオン法)は水面と空では必要露光時間が大きく異なり、一枚のネガで両者を適切に写すことができなかった——空に合わせれば海面は暗くなり、海面に合わせれば空は白くとびる。ル・グレーの解決策は、海と空で別々に露光した2枚のネガを暗室で合成する「コンビネーション・プリント」だった。当時この手法を一切公言しなかったため、批評家は両者が同時に写り込んだ光景に驚嘆した*2。1857年の「大波」はその技術の頂点を示す作品とされる。1851年頃に開発した「ワックス紙ネガ法」もカロタイプの改良として現地準備時間を短縮した。1860年頃に財政難でフランスを去り、エジプト・カイロに移住。スタジオを開いて写真家・デッサン教師として働き、1884年にカイロで没した。パリでの活躍に比べ晩年は忘れられた存在となったが、20世紀後半以降に再評価が進んでいる*1。