ロジャー・フェントン(Roger Fenton)は、ドキュメンタリーと戦争写真を考えるうえで欠かせない写真家です。このページでは、ドキュメンタリーと戦争写真を手がかりに、写真史の流れの中での位置づけを、関連作家・運動・出典とあわせてたどります。
フェントンは1853年に英国王立写真協会(ロイヤル・フォトグラフィック・ソサエティ)の設立に中心的役割を果たした弁護士出身の写真家だった*1。1854年のクリミア戦争で従軍記者ウィリアム・ハワード・ラッセル(タイムズ紙)が英国軍の失態を連報したことで、戦争は国内で深刻に不人気となった。マンチェスターの出版業者トーマス・アグニュー商会はプリンス・アルバートを通じて政府の協力を取り付け、「否定的な世論を和らげる写真」を撮るためフェントンを現地に派遣した*2。アグニューは「死体・残虐な場面は撮影しないこと」を明示的に要請しており、フェントンの360点の写真には死傷者・戦闘の場面がほぼ存在しない*1。代表作「死の影の谷」(砲弾が散乱する道)については、ジャーナリストのエロール・モリスが後に二種類の写真の比較から「砲弾を並べ替えて演出した可能性がある」と論証し、写真の「真実性」を問う議論を呼んだ*2。フェントンは1862年に突然写真活動を終え、機材を売却して法律家に戻った。