ジョエル・マイロウィッツは、ニューヨークの街路でカラーを日常の記述へ用い、画面全体へ出来事が広がる「フィールド写真」から、8×10カメラによる『Cape Light』、世界貿易センター跡地の『Aftermath』へ進んだ写真家。色を現実の情報として扱い、瞬間、場所、公共記憶という異なる時間を、注意の持続によってつないだ方法を読む。
マイロウィッツは、カラーを現実の情報として扱った。一つの主役へ収束しない街路の経験を「フィールド写真」として構成し、その開かれた注意を8×10カメラへ持ち込んだ。『Cape Light』では光と大気の変化を、『Aftermath』では復旧現場の長い時間を記録し、カラー写真が速度の異なる経験を受け止められることを示した。
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ジョエル・マイロウィッツは、絵画とグラフィックデザインを学び、広告会社のアートディレクターとして働いていた1962年、ロバート・フランクの撮影現場を見て写真へ移った。フランクが人物の動きに応じて身体を動かす姿を見た後、街路がそれまで読めなかった「テキスト」のように立ち上がったと回想している*17。続いて『The Americans』、アンリ・カルティエ=ブレッソンの『The Decisive Moment』、ウォーカー・エヴァンズの『American Photographs』に出会い、複数のイメージが世界の見方を作る写真集の言語へ関心を深めた*17。出発点にあった問題は、カメラを持って街へ入り、生きている瞬間の意識と経験をどこまで写真へ移せるかということだった。
マイロウィッツは初期から白黒とカラーを併用し、35mmカラーに、衣服、光、影、看板の差異を保つ記述力を見いだした。2012年のインタビューでは、1962年から色の力を信じながら、当時の写真界にあった抵抗の中で制作を続けた経緯を振り返っている*21。1970年代には、スライド上映の一時的な像を、手に取って長く見られるプリントへ変えるため8×10カメラを使い始めた*18。大判カメラにも35mmで身につけた即応性を持ち込み、細部と光の状態を一枚へ広く受け入れた。ケープ・コッドでは、砂州、水、空、古い家という限られた要素を見続けるうちに、場所から見方を教えられたと語っている*18。2001年の『Aftermath』では、復旧作業をニューヨーク市の公共的な記録として残すことを制作の目的にした*13。
初期カラー——色という情報
マイロウィッツは、カラーを現実の差異を保持する記述法として選んだ。赤いコート、黄色い日光、青い影は、それぞれ異なる距離と光の質を持ち、白黒写真で近い灰色へ変換される情報を画面に残す*18。色は、画面の周辺にある服、車、壁、広告、反射までを互いに関係づける。情報量が増えるほど、意味は画面の複数方向へ広がる。マイロウィッツはその密度を、街路で同時に起きていることの複雑さを保つ条件として用いた。
フィールド写真と決定的瞬間
初期のマイロウィッツはカルティエ=ブレッソンの決定的瞬間から強い影響を受け、やがて未整理の経験全体へ写真を開こうとした*19。手前の人物、遠くの看板、車、反射、空白が近い重要度を持ち、画面全体へ出来事が分散する「フィールド写真」は、この問題から生まれた。初期カラー・フィルムの低感度も、速い身振りを止める撮影から、存在と不在、色の反復、場の密度を観察する撮影へ注意を向ける条件になった*19。
35mmから8×10へ
8×10カメラは、街路で培った注意を、より長い観察と大きなプリントへ広げるために導入された。マイロウィッツは、35mmカラーに感じた滑らかな記述と色の厚みを、壁に掛けて長く見られる像へ定着させようとした*18。雲、潮、窓、室内灯、遠景を同じ解像度で保持できる一方、重い機材は撮影者の動きを遅くする。彼は買い物や散歩にも8×10を携帯し、偶発的な光景へ反応する街路の態度を保ったと語っている*18。形式の変更によって、瞬発力と持続的な観察が同じ制作の中に置かれた。
『Cape Light』——平凡な場所の光
ケープ・コッドは、砂州、低い家、道路、水面、空からなる簡素な風景をマイロウィッツへ与えた。風景写真家になる計画より先に、目の前の限られた要素へ繰り返し向き合った*18。光の色温度、湿度、雲の移動、室内と外の明るさの差が、場所を時間ごとに別の空間へ変える。Apertureは『Cape Light』をカラー写真の受容を広げた重要作として位置づけている*10。大判カメラは、長い観察によって場所への注意を更新する装置として働いた。
《Bay/Sky》——水平線を反復する写真
《Bay/Sky》では、湾と空を分ける水平線が繰り返し撮影される。《Bay/Sky, Provincetown, Massachusetts》は1977年のクロモジェニック・プリントで、The Metの所蔵ページで作品画像を確認できる*7。雲量、海面、色温度、水平線の高さが変わり、同じ場所に固有の時間差が生まれる。公式サイトもシリーズを独立した作品群として公開している*9。反復によって、光と大気が場所の見え方を毎回作り直す過程が比較可能になった。
『Aftermath』——復旧の時間
2001年9月11日後、世界貿易センター跡地で撮影を止められたマイロウィッツは、復旧作業をニューヨーク市のアーカイブとして残す必要を訴え、現場への継続的なアクセスを得た*13。撮影の中心になったのは、瓦礫の撤去、構造物の切断、作業員の休息、夜間照明、季節の変化が続く九か月である。現場に入れなかった人々へ、その場所にいる感覚まで伝えることを目指したと本人は説明している*20。大判カラーは、鉄骨、粉塵、炎、作業服、照明を細部まで残し、個人的な知覚を公共的な記憶へ移す記述法として使われた。
《Early Color 1962–63》と35mmストリート写真
公式サイトの《Early Color 1962–63》は、マイロウィッツが活動初期からカラーを日常の撮影手段として使ったことを示す*2。その後の街頭作品では、色彩、人物、広告、交通、反射が一枚の中で重なり、都市が関係の場として記録された。35mmカメラの軽さは、歩きながら視線を切り替え、複数の要素が一時的に結びつく場面へ接近するために使われた。
『Cape Light』1978年
『Cape Light』は、8×10カメラとカラー・フィルムによって、海辺の光を長い観察の時間へ変えた写真集である。Howard Greenberg Galleryは同書をカラー写真の古典として紹介し、広い読者へ届いた写真集であることを記している*1。《Cape Cod, Massachusetts》のような作品では、建物、空、地面へ異なる光が触れる状態が中心になる*8。ページを通して朝、昼、夕方、嵐の前後が移り、色が時間を分節する。
『Aftermath: World Trade Center Archive』
『Aftermath』は、世界貿易センター跡地の復旧過程を大判カラーで記録した。9/11 Memorial & Museumは、現場での長期撮影と400点のカラー写真を、この写真集の基本的な構成として紹介している*12。巨大な構造物と細かな作業、昼夜の照明、季節の変化を同じアーカイブへ収め、大判カメラの記述力によって事件後の持続する時間を残した。
写真集がつくる時間
マイロウィッツは、撮影形式ごとに異なる時間を写真集の構造へ移した。『Cape Light』では、朝、昼、夕方、嵐の前後を行き来するページが光の変化を持続させる。『Bay/Sky』では水平線の反復が微細な色の差を比較させ、『Aftermath』では九か月の作業を積み重ね、事件後の時間へ長さを与える。写真を始めた当初から写真集の内的な言語に関心を持っていたことを踏まえると、編集は瞬間、場所、記憶をどの速度で読ませるかを決める制作だった*17。
カラー写真の先駆者
マイロウィッツは、カラー写真を美術の領域へ定着させた先駆者の一人として評価されている。2012年の『Transatlantica』のインタビューでは、1962年から色の力を信じ、当時の抵抗の中で制作を続けた経緯が語られている*21。ウィリアム・エグルストン、スティーヴン・ショア、ヘレン・レヴィット、ソール・ライターも、それぞれ異なる場所と発表経路からカラー写真を押し広げた。マイロウィッツの固有性は、街頭の速い35mmカラーと、海辺を観察する大判カラーを一つの問題として扱い、色が異なる速度の知覚に使えることを示した点にある。
ウィノグランド、エグルストン、ショアとの違い
ゲリー・ウィノグランドとマイロウィッツは、ニューヨークの路上で予測できない人の配置と身振りを35mmで撮った。マイロウィッツはそこへ色彩の関係を加え、のちに大判カメラへ進んだ。エグルストンはアメリカ南部の日用品や室内を、高密度の色彩と単写真の強さで示した。ショアは道路旅行と大判カラーを通じて、交差点、食事、モーテルを記述した。『Cape Light』は一つの土地に留まり、色を光と大気の時間へ結びつけた。カラー写真は、都市、日常物、移動、場所の持続という異なる問題へ分岐した。
注意の写真——瞬間、場所、記憶
初期の路上写真、『Cape Light』、『Aftermath』には、中心と周辺へ同時に注意を配る姿勢が続いている。路上では人物、広告、反射、空白が一時的な場を作り、ケープ・コッドでは光と大気が場所を変え、グラウンド・ゼロでは作業員、機械、構造物、季節が長い時間を構成する。マイロウィッツは街頭撮影の動機を、生きて意識している瞬間を感じ、その意識の記録を残すこととして語っている*17。カラーは、世界から受け取れる情報の範囲を広げ、注意を持続させる手段だった。
- ゲリー・ウィノグランド ― 1960年代のニューヨークで街頭写真を撮った同時代作家。人の配置と偶然を扱う速度を比較できる
- ウィリアム・エグルストン ― カラー写真を日常物とアメリカ南部の視覚へ定着させた作家。色の密度と単写真の強さが対照になる
- スティーヴン・ショア ― 大判カラーと道路旅行を通じて日常的なアメリカを記述し、マイロウィッツとは別の時間と移動を扱った
- ロバート・フランク ― 撮影する行為そのものを目撃したことが、マイロウィッツが写真へ移る契機になった