スティーヴン・ショアは、食事、モーテル、交差点、郊外道路をカラーの連作として記録した。『American Surfaces』では小型カメラと市販プリントで日々の視野を刻み、『Uncommon Places』では8×10インチ判で道路、建築、看板、光の関係を一枚に保った。ウォーホルのファクトリー、コンセプチュアル・アート、絵葉書や広告など写真の社会的な使用を通して、写真家の構図が現実を先回りして整える働きを問い、見る行為と戦後の人工環境を同じ画面の問題として扱った。
ショアは、写真家の巧みさが目の前の場面を既知のイメージへ整えてしまうことを問題にした。規則と系列は判断の自動化を止め、スナップショットは日々の視野を、カラーは同時代の物質と光を、大判カメラは道路や建物の配置を保つために選ばれた。写真が絵葉書、広告、雑誌、美術館で異なる意味を持つことも制作へ取り込み、見る行為と写真の社会的な働きを同じ形式の中で考えた。
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目次 · Table of Contents
ウォーカー・エヴァンズとファクトリー—早い成功の後で方法を疑う
ショアは十歳でウォーカー・エヴァンズの『American Photographs』に出会い、看板、店舗、車を時代の記述へ変える視点を学んだ*15。十四歳のときにMoMAが作品三点を購入した*15。二十三歳だった1971年には、メトロポリタン美術館で同館初の存命写真家による個展を開いた*17。早くから評価を得た一方、彼は方法が自分の慣習へ固まれば別の方向へ進むと述べている*15。1965年から67年頃に通ったアンディ・ウォーホルのファクトリーでは、色や印刷法を変えながら判断を重ねる制作を観察し、完成した様式を反復するより、手順を変えて問いを更新する態度を学んだ*3。
コンセプチュアル・アート—自分の構図を止めるための規則
コンセプチュアル・アートの方法は、ショアが身につけていた構図の巧さを一時停止し、目の前の場面を既知の写真へ整える働きを調べる手段になった*14。ジョン・コプランズの『Serial Imagery』やジョン・ギブソン・ギャラリー周辺で触れた連続、反復、あらかじめ定めた手順は、何を「良い被写体」とみなすかという趣味を撮影前に制限した。《Avenue of the Americas, June 17, 1970》では、各ブロックの始点から北を向く条件だけを固定し、通行人とシャッターの時機を街路の偶然に委ねた*4。選択を減らすことで、建物の差、歩行者の位置、光の変化が、巧みな構図の効果へ回収されずに残った。
『All the Meat You Can Eat』—写真の使われ方からカラーへ
1971年の展覧会《All the Meat You Can Eat》で、ショアは絵葉書、警察写真、広告、ポルノグラフィ、家族のスナップを同じ空間へ並べた*22。彼が調べたのは、スナップ、広告、美術作品といった用途が写真の意味をどう変えるか、そして日常の画像がカラー化する一方で、美術写真では白黒が規範とされていた状況だった*22。同年の《Greeting from Amarillo, “Tall in Texas”》では、病院や裁判所、飲食店を絵葉書にし、各地の売り場へ混ぜて流通させた*23。写真は内容だけでなく、印刷、用途、置かれる場所によって意味を変える。『American Surfaces』の市販プリントとグリッド展示は、この関心を旅の記録へ移した形式だった。
エグルストン、マイヤーウィッツ、ボルツ—戦後の日常をどう写したか
1960年代にはギャリー・ウィノグランド、ダイアン・アーバス、リー・フリードランダーが、広告、テレビ、偶然の重なりを含む「社会的風景」から同時代を捉えていた*12。1970年代にはウィリアム・エグルストン、ジョエル・マイヤーウィッツ、ショアらが、生活環境を通常の色彩とともに撮った*20。一方、ロバート・アダムス、ルイス・ボルツ、ベルント、ヒラ・ベッヒャーらは、改変された土地を抑制された距離と系列で記述した*19。共通していたのは、自動車移動、大量消費、郊外開発が作る日常を、事件の劇性に頼らず、形、色、距離、反復から示す課題だった。ショアはそこへ旅の記録と自分の見方を確かめる作業を重ねた。
ロード写真の歴史と、未知のアメリカ
アメリカのロード写真には、エヴァンズの『American Photographs』とロバート・フランクの『The Americans』が先行していた。デヴィッド・カンパニーは、エヴァンズが旅先の写真を配列し、国全体への応答へ結びつけたと指摘する*16。ショアはニューヨーク以外のアメリカをほとんど知らず、撮影時の自分を部分的な異邦人だったと振り返る*14。『American Surfaces』は名所より、食事、ベッド、トイレ、テレビ、道路標識を選び、移動中に反復される生活の単位としてアメリカを記録した*6。旅は未知の土地を知る行為であり、慣れた構図を外して見る条件にもなった。
『American Surfaces』—目が止まる位置を写真へ移す
『American Surfaces』でショアが試したのは、日常を意味のある場面へ選別する前に、目が止まった位置、被写体との距離、視線が移る順序を写真へ残すことだった。食事、人物、テレビ、モーテル、通過した町を反復して撮り、旅の文化像と見る行為の記録を同じ系列に重ねた*5。彼は不意な時刻に視野を頭の中で静止させ、何をどの距離から見ているかを意識する訓練を続けた*15。小型カメラは構図を仕上げる時間を減らし、目の反応と撮影判断を近づけた。ショアが「見ることのように感じられる」写真と表現した目標は、スナップショットにも慣習があると知りながら、日常の視野へ近づこうとしたこの方法を示している*13。
市販プリントと再制作—『American Surfaces』の色は固定されない
初期の『American Surfaces』は、コダックで処理された小型カラープリントを、額、マット、ガラスを使わず三段のグリッドとして壁へ貼った*7。食事、人物、ベッド、道路、建物を同じ大きさに保つグリッドは、一枚を代表作として独立させず、反復から旅の時間を作った。The Metは1972〜73年に制作された229点のプリントを一組として所蔵している*8。Lisa Muzzinの研究は、このシリーズが小型プリント、写真集、後年のデジタル・クロモジェニック・プリントへ再制作された過程を追う*26。現像技術、印画紙、サイズ、印刷が変われば、同じネガの色と表面も変わる。作品は1970年代を記録しながら、その過去が後世にどのような色で再生されるかという問題も含む。
なぜカラーだったのか—戦後の日常から色を取り落とさない
1971年頃にはテレビ、映画、雑誌、広告、家族写真の多くがカラーへ移り、白黒を選ぶこと自体が明確な美学になっていた*22。ショアがカラーで残したのは、壁紙、料理、テレビ画面、車、看板、舗装、建材、人工照明である。色は商品の年代、素材、場所の用途、光の状態を伝える情報になる。『American Surfaces』では旅先の生活の質感を保ち、『Uncommon Places』では空、路面、建物、標識の色面が前景から遠景へ視線を導いた。The Metがショアとエグルストンを新しいドキュメンタリーの流れに置くのも、色が現代生活の雰囲気と性格を担うためである*12。
35ミリから8×10へ—人工環境の関係を一枚に保つ
『American Surfaces』の小型カメラは移動中の反応を残したが、道路、建物、標識、車、空の関係を一枚の中で保つには情報が散りやすかった。ショアは1973年に4×5インチ判を使い始め、三脚での撮影が定着すると8×10インチ判へ移行した*2。グラウンドグラスを見ながら位置、焦点、露出を決めることで、路面から車、標識、建物、遠景へ注意が進む空間を扱えるようになった。道路幅、店舗の後退距離、駐車場、看板、量産建材は、自動車移動と消費を前提にした街の仕組みを示す。大判カメラは細部を増やす以上に、それらの配置が作る関係を保つために必要だった。
《Beverly Boulevard and La Brea Avenue》—学んだ遠近法を疑う
《Beverly Boulevard and La Brea Avenue》では、車線、標識、店舗、車、空が複数の方向を作り、注意が画面内を移動する*10。ショアは後年、最初の写真では雑然とした交差点を一点透視図法へ収め、自分が学んだ秩序を場面に当てはめていたと気づき、翌日に現場の経験から生じる別の構造を探して撮り直したと記している*21。彼のいう明晰さは鋭いピントだけを指さず、光、色、撮影位置による空間の整理を含む*9。形式の役割は、道路標示、店舗への進路、広告、建材が干渉する状態を、既成の遠近法へ収束させずに見せることにあった。
『Signs of Life』—看板、建築、車社会を都市の言語として読む
1975年、ロバート・ヴェンチューリとデニス・スコット・ブラウンは、スティーヴン・アイゼナー(Steven Izenour)と企画したスミソニアンの展覧会《Signs of Life: Symbols in the American City》のため、ショアにロサンゼルスからニューヨークまでの建築を撮影するよう依頼した*24。ショアは、社会の価値観そのものは撮れなくても、増改築、看板、駐車場、ファサードとして現れた結果は撮影できると説明している*24。オリヴィエ・リュゴンは、写真が巨大なフォトミューラルとして壁面を構成したこの展示を、後の大型写真展示に先立つ事例として分析した*25。『Uncommon Places』の交差点や商業建築も、車から認識される看板や建物が、視線と移動をどう方向づけるかを読む画面として捉えられる。
写真集が編成する旅程と形式の変化
『Uncommon Places』という題名は1982年の写真集刊行時に付けられ、撮影中のプロジェクト名ではなかった*14。初版では建築や交差点が多く選ばれ、室内、人物、テレビが外れたため、ショアは後年、その編集が制作全体を狭く見せたと振り返った*2。増補版は旅ごとのまとまりと多様な被写体を戻し、35ミリに近い反応から大判による構造的な撮影へ変わる時間を編成した。《U.S. 93, Kingman, Arizona, July 2, 1975》《Room 115, Holiday Inn, Belle Glade, Florida, November 14, 1977》などの地名と日付は、典型的な景観を個人の旅程へ結ぶ*11。写真集は単一の象徴へ収束しないアメリカ像と、撮影者の見方が移動の中で変わる過程を示した。
Light Galleryの批評—市販プリントはなぜ反発を招いたか
1972年のLight Galleryで『American Surfaces』が発表された時、小型カラー写真、中央に置かれた料理やベッド、額装を省いたグリッドは、同館の白黒ファインプリントと衝突した。ショアはこの展示が、美術写真の内容と提示に関するほぼすべての規則に反し、厳しい批評を受けたと回想している*7。専門家が焼いた大型プリント、マット、額、署名、単品販売が希少性を作る制度に対し、コダックの処理、一括販売、テープで貼る小型写真は、一枚の価値より写真群の配列と流通を前面に出した。前年にメトロポリタン美術館で個展を開いた作家が、市販プリントを選び直した点にも批評性があった*17。
ニューカラーとニュー・トポグラフィックス—ショアの写真史上の位置
ニューカラーは、広告、車、室内、街路を生活の通常の色彩とともに撮り、カラーを美術写真の主要な方法として提示した*12。ニュー・トポグラフィックスは、開発された土地を感情的な山場へまとめず、距離を保った画面と系列で示した*19。1975年の展覧会は、風景写真の重心を崇高な自然から工業地帯、郊外、日常的な人工景観へ移した*19。ショアは二つの流れを、移動する個人の視野と写真の流通へ結びつけた。色、旅、連作、大判カメラは、消費と自動車移動が人の見方をどう形づくるかを、被写体の反復と道路や建物の配置から示すために選ばれた。
『Steel Town』—抑制された画面に産業衰退を残す
1977年、ショアは『Fortune』誌の依頼「Hard Times Come to Steeltown」で、製鉄所が閉鎖されていたニューヨーク州、ペンシルヴェニア州、オハイオ州の工場、町、労働者を撮影した*27。彼は政治的な立場を前面に出すと現実の複雑さを単純化しかねないと考えながら、『Uncommon Places』でも文化現象の政治的な帰結を意識していたと説明している*27。大判カラーの明晰さは、工場の規模、空いた街路、バー、住宅、労働者を同じ歴史状況に置いた。後年、自分を歴史の物質的な証人と考えられると答えたことからも、形式の抑制は社会への無関心を意味しない*15。説明を先に与えず場所の細部を残すことで、産業と生活の結びつきが時間を経て読み直せる記録になった。
ルッザーラと後年の展開—場所を代表する物語へまとめない
1993年、ショアはポール・ストランドが約40年前に『Un Paese』を制作したイタリアのルッザーラを訪れ、住民、街路、広場、周辺の風景を撮影した*28。デヴィッド・カンパニーは、ストランドが人物や物を共同体の象徴へ結びつけるのに対し、ショアの写真には出来事の合間の時間が写り、人々が社会的なドラマの登場人物として組織されていないと指摘する*29。場所を代表的な物語へまとめる前に、人物、建物、道路が共存する状態を保つ方法は、1970年代のアメリカ以外でも続いた。その後も写真集、デジタル印刷、ソーシャルメディアへ媒体を変え、機材と流通が注意の速さ、距離、情報量をどう変えるかを確かめてきた*1。『The Nature of Photographs』では、写真の物質的・形式的属性を分け、被写体が写真へ変換される条件を整理している*18。形式を変えながら追ったのは、物と物の間を目がどう進み、どこで止まり、どの距離から見たかを写真へ残すことだった。
- ウォーカー・エヴァンズ ― 路傍の建築、看板、商品、日常のアメリカを、写真集の順序と記述的な画面で捉えた先行者
- ロバート・フランク ― ロードトリップと写真集によって、戦後アメリカを断片の連鎖として読ませた先行者
- ウィリアム・エグルストン ― 日常の色を美術写真の中心へ置いた同時代の比較対象
- ルイス・ボルツ ― 造成地や工業建築を抑制された連作で扱い、ニュー・トポグラフィックスの別の極を示した写真家
- ジョエル・スターンフェルド ― 大判カラーとアメリカ横断を、社会的な出来事と土地の記憶へ展開した後続世代
- ニューカラー ― 商業・家庭写真と結びついていたカラーを、現代生活の構造と雰囲気を読む美術写真の言語へ移した潮流
- ニュー・トポグラフィックス ― 人が改変した郊外、道路、工業地帯を、英雄的な自然風景から離れて記述した1975年展を起点とする文脈
- カラー写真 ― 色を被写体の付加価値ではなく、場所、時代、空間を組織する情報として扱う写真表現
食事、モーテル、人物、街路を小型カラー写真で連ね、1972〜73年の旅を視覚の日記と文化の断面へ変えた代表作。
出版社ページで見る ↗8×10インチ判のカラー写真によって、道路、交差点、モーテル、建物を複雑な視覚空間として構成した主要写真集。
公式作品ページで見る ↗- MoMA - Stephen Shore retrospective
- MoMA PS1 - American Surfaces
- 303 Gallery - Stephen Shore
- Bard College - Stephen Shore
- David Campany - Stephen Shore in conversation
- The New Yorker - How America's Most Cherished Photographer Learned to See
- SFMOMA - New Topographics
- SFMOMA - Taking photographs that "feel like seeing"