1969年アメリカ・ニューヨーク州生まれ。1990年代末から少女・道路文化・アメリカの風景を大判カラーで演出・記録し、男性的な移動神話に女性の集団的自由という対抗神話を対置してきた。後期にはコラージュ・アプロプリエーションへと実践を拡張し、写真表現の規範そのものへの批評を深めた。
カーランドの実践の出発点は、アメリカ写真に埋め込まれた神話——移動・自由・フロンティア——が男性的なコードとして機能してきたことへの批評的介入にある。《Girl Pictures》では少女たちが荒野・牧草地・廃墟といったアメリカ的な風景のなかで集団的な自由を体現するユートピア的な場面を演出・記録し、ウォズワース・アセニアムはこれを「10代女性の経験を写真で提示・再想像した」決定的な連作として評価した。*1
大判カラー写真を用いた演出的なミザンセーヌは、ドキュメンタリーの外観を持ちながら社会的に拒まれた生の形式や集団性を想像するための舞台として機能する。場所はアメリカ的な運命の背景ではなく、対抗神話と社会的想像力のフィールドとして扱われる。後期の《This Train》では、道路文化・移動・旅という同じ主題をより批評的・自伝的な文脈で再訪し、コラージュやアプロプリエーションをも取り込むことで、写真的表現の歴史そのものへの問いを深めている。*3
1990年代末から2000年代にかけての現代アメリカ写真がアメリカの道・西部・アイデンティティを再訪していた文脈のなかで、カーランドの実践はその場に女性的な集団性と幻想を持ち込むことで、写真における「誰が移動・欲望・神話を許されるか」という問いを可視化した。