ホンマタカシは、広告会社とロンドンの『i-D』で、写真の意味が掲載媒体、文字、用途によって変わる現場を経験し、その問題をバブル崩壊後の東京郊外、ファッション、家族アルバム、建築へ展開した。『東京郊外』は、エグルストンとロバート・アダムスが示したカラーと人工景観を、森山大道や荒木経惟が撮影者の身体や私生活を強く刻んだ日本写真とは異なる距離から東京へ置き直す。『東京と娘』と「ニュー・ドキュメンタリー」は、撮影者、保管者、著者名、美術館が一枚を誰の記憶・作品として成立させるかを問い、暗箱作品はその検討を建築と光へ広げた。
ホンマは、1990年代日本の郊外を抑制されたカラーで記録すると同時に、その画像が雑誌、写真集、家族アルバム、美術館を移るたびに用途と作者を変える過程を作品化した。『東京郊外』は人工景観と消費文化を同じ画面に置き、『東京と娘』は撮影者、保管者、表紙の著者名を分け、「ニュー・ドキュメンタリー」は広告写真、スナップ、作家作品を同じ展示へ移した。森山大道や荒木経惟に代表される都市写真が撮影者の身体や私生活を作品の根拠としてきた流れに対し、ホンマは写真を誰の記録、商品、私的記憶、美術作品として扱うかを決める媒体と制度を、都市写真の具体的な主題にした。
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目次 · Table of Contents
広告と『i-D』――写真の意味が媒体で変わることを学ぶ
ホンマタカシは日本大学芸術学部で写真を学び、1984年から東京の広告会社で撮影を担当した*2。1991年から92年にはロンドンへ移り、若者文化、音楽、ファッションを扱う『i-D』で仕事をした。東京オペラシティアートギャラリーは、この滞在を、多様な方法で作品を発表する写真家たちと接した時期として位置づけている*24。雑誌では、服、見出し、文字、隣接する写真、読者層が一枚の用途と意味を決める。ホンマが商業媒体で得た経験の要点は、同じ像が広告、都市の記録、作家作品のいずれにもなり得ると知った点にある。
広告の現場では個性的な作家像を求められたが、ホンマは撮影者の感情を画面へ強く刻む方法から距離を取った。4×5カメラで水平線と垂直線を整え、被写体から数歩退き、人物、道路、家、標識を同じ画面の要素として扱う。本人は、この撮影位置によって鑑賞者が自分の立つ場所を想像しやすくなると説明している*21。抑制された外観は、鑑賞者が自分の経験から場面を検討できる余地を残すための判断だった。
商業撮影にもこの考えが続く。ホンマはモデル、服、道路、標識、建築を同じ場面へ入れ、ファッション写真をその時代の都市と身体を残すドキュメンタリーとして説明している*12。商品の魅力を作る画像と都市の記録は、用途の異なる別種の写真として分離されず、一枚の中で同時に成立する。
『東京郊外』と郊外ブーム――藤田紅於が示した選択と矛盾
『東京郊外』が刊行された1998年、日本ではニュータウン、ロードサイド、コンビニエンスストア、均質な住宅地をめぐる議論が盛んだった。1997年の神戸連続児童殺傷事件以後、郊外を「希薄な現実感」「虚構性」「家族や地域共同体の弱まり」と結びつける言説が新聞、雑誌、社会学書へ広がった。藤田紅於は、宮台真司を中心とする郊外論と同時代の書評を照合し、『東京郊外』がこの「郊外ブーム」の視覚的な証拠として受容された過程を検証している*4。
藤田によれば、63点の写真は1980年代以後に開発された新しい郊外へ集中し、洗濯物、植木鉢、スーパー、銀行など生活の蓄積を示す要素がほぼ省かれた。懐旧的な子ども像も避けられ、ゲームセンター、ファミリーレストラン、コンビニ、欧米ブランドの服を着た子ども、アメリカ映画を連想させる景観が繰り返される。その選択は、当時の郊外論が語った現実感の薄さ、家族の分散、アメリカ化を視覚的に裏づける役割を担った*4。
同時に、巻末の撮影地一覧は匿名的に見える風景を多摩、幕張、横浜などの地名へ戻し、大人と乳幼児が写る一枚は子どもだけの共同体という印象を崩す。藤田は、この矛盾が当時の新聞・雑誌評ではほぼ拾われず、『東京郊外』が郊外ブームの定型を可視化した写真集として評価されたと指摘する*4。さらに、作家自身が郊外育ちである事実だけで作品を「内側からの視点」とみなす危険も論じている。作品は郊外論の定型を精密に作り、その内部へ地名と例外を差し込む。批評性はこの二重性に生じる。
エグルストン、ロバート・アダムス、荒木経惟――本人が挙げた三つの先行者
ホンマが自ら重要な先行者として挙げるのは、ウィリアム・エグルストン、ロバート・アダムス、荒木経惟である*13。エグルストンは広告や家庭写真に近かったカラーを美術写真へ導入し、日用品、車、室内、道路脇を色と構図の出来事として扱った*27。ロバート・アダムスは「ニュー・トポグラフィックス」の文脈で、住宅開発、道路、平原が接するアメリカ西部を静かな距離から撮った*26。ホンマは、色彩と人工景観を大事件の背景に置かず、日常環境そのものとして撮れることを二人から受け取った。
荒木経惟は、広告会社で働きながら私生活を写真集へ変え、写真家の人生、題名、出版を強く結びつけた。ホンマは荒木を写真家になる契機の一人に挙げる一方、『東京と娘』では一人称の題名が自伝を想像させる仕組みを利用し、その少女が友人の娘である事実、両親のスナップ、再撮影画像を混在させた*13。ホンマが注目したのは、私生活という題材とともに、写真集と著者名が作家像を生む力である。
森山大道や中平卓馬は、街路を歩く身体、ブレ、粒子、印刷を通じ、1960〜70年代の東京を切迫した知覚として示した。ホンマの4×5写真は、その後の都市を数歩退いた固定位置から捉え、人物、住宅、道路、看板を同じ強度で置く。両者の差は、撮影者の身体を都市像の中心へ置くか、郊外を構成する配置と消費の記号へ注意を移すかにある。三つの文脈がホンマへ届いた経路は異なる。エグルストン、ロバート・アダムス、荒木は本人が挙げた先行者であり、森山、中平との関係は日本の都市写真内での差を測る比較軸となる。
4×5カメラ――撮影者の身振りを抑え、郊外の配置を残す
ホンマが4×5カメラを選んだ理由は、細部の精度に加え、三脚を据え、水平線と垂直線を整え、人物と建築を同じ画面へ置く作業にある*10。撮影者が数歩退くことで、人物の表情は心理劇の中心から外れ、道路、家、空、標識が同じ画面の条件として現れる。本人は、この撮影位置によって鑑賞者が自分の立つ場所を想像しやすくなると説明している*21。
1980年代までの日本の都市写真では、小型カメラで街路へ入り、身体の速度や反応を画面へ刻む方法が大きな力を持った。ホンマが撮った1990年代の郊外は、交差点、住宅、コンビニ、造成地が反復する計画空間である。接近と瞬発力は個々の場面を強める一方、計画空間の反復を示すには固定された距離が有効だった。4×5は、人物が道路、建築、商品記号の中でどの位置を占めるかを示すための形式となった。
本人が「開かれた写真」と呼ぶ立場は、撮影者の感情を結論として提示せず、鑑賞者が自分の記憶と画面上の配置を照合できる状態を指す*13。4×5の整った画面にも、場所、距離、天候、人物を選ぶ判断がある。その判断を郊外の配置へ向け、自己表現の身振りを前景から退かせたことに、ホンマの距離感がある。
雑誌、写真集、美術館――同じ画像の用途を変える
ホンマの出版実践で重要なのは、同じ画像を異なる媒体へ繰り返し移し、用途と評価の変化を作品の構造にした点である。『i-D』では服を伝える写真が、『東京郊外』ではバブル崩壊後の都市記録となり、「ニュー・ドキュメンタリー」では商業写真と作家作品を区別する制度を検討する材料となった*6。一冊ごとに新作を完結させる発想を弱め、既存画像を再掲載し、前の用途を残したまま別の文脈へ入れている。
ホンマは六十冊を超える出版物を作り、特定の展示や時期に応じた薄い本を好むと語っている*20。日本写真では森山大道や荒木経惟が雑誌と写真集を制作の中心に置き、印刷によって写真の意味を変えてきた。ホンマはそこへ広告、ファッション誌、家族アルバム、美術館という異なる所有・評価の仕組みを持ち込んだ。
多くの写真家が行う撮影、選択、装丁の統合と、ホンマの実践を分けるのは、同一画像の再流通である。媒体を移るたびに、一枚が商品、都市記録、家族の記憶、美術作品のどれとして扱われるかが変わる。その変化を長期的な制作主題にしたことが、彼の写真集と展覧会を一般的な編集工程から区別する。
『東京と娘』――撮影者、保管者、著者名を分ける
『東京と娘』では、表紙の著者名と一人称の題名が、写真家自身の娘を追った自伝を想像させる。実際の少女は友人の娘であり、ホンマが撮った写真、両親が撮ったスナップ、その写真を再撮影した像が混在する*6。鑑賞者は、写真の来歴を確認する前に、題名と作者名を手がかりとして一つの家族物語を作る。
家族アルバムでは、シャッターを押す人、写る家族、写真を保管する家、アルバムを所有する人が重なることが多い。『東京と娘』はその重なりを分解し、撮影者の異なる写真をホンマの著者名の下へ集める。撮影者、保管者、選ぶ人、題名を与える人、出版する人が、それぞれ写真の意味と所有感へ関与する。
その結果、作品の中心は一人の写真家の私的告白から、家族写真が誰の記憶として認識されるかを決める仕組みへ移る。論点は、撮影、保管、選択、名義、出版の分業にある。各工程を担う人々が別々であり、その分業が一冊を誰の物語として成立させるかを示した。
カメラ・オブスクラ――作者性の問題を光学装置から検証する
2010年代以後、ホンマはホテルや住宅の一室を遮光し、窓の小孔から外光を取り込み、壁や感光材へ上下左右が反転した都市像を結ばせた。部屋全体を暗箱として使うため、建築の構造、窓の向き、天候、長い露光時間が撮影へ直接作用する。東京都写真美術館の「即興 ホンマタカシ」は、カメラ・オブスクラを、撮影装置と写真史を検証する近年の中心的実践として紹介した*23。
《The Narcissistic City》では、東京、ニューヨーク、ミラノなどの部屋を暗箱へ変え、都市が建築を通して自らの像を感光材へ残す*8。Nonaka-Hillは、この方法を「都市を装置として都市自身を撮る」実践と説明し、反転像、偶然、反復を作品の要素に挙げている*7。初期の4×5写真と暗箱作品は、撮影技術も像の外観も大きく異なる。両者を結ぶのは、作者が見た瞬間をそのまま表現の根拠とする態度への距離である。4×5では撮影者の身振りが後退し、暗箱では建築、開口部、外光、露光時間が像の形を分担する。
資料から確認できるのは、暗箱研究が写真史と建築研究として進められ、結果として初期作品の作者観を別の角度から照らしていることである。スマートフォンとデジタル画像が瞬時に像を作り、流通させる時代に、部屋を閉ざして光を待つ方法は、光が像へ変わる時間を作品へ戻す。ホンマはニセフォール・ニエプス、山中信夫、谷崎潤一郎を参照し、暗箱を写真史と近代的な見る仕組みを検討する入口にしている*5。
『東京郊外』1998年――厚いページと外部からの郊外像
『東京郊外』は、住宅地、道路、商業施設、子どもや若者を63点のカラー写真で構成した。厚紙を貼り合わせたボードブックは大きな体積を持ち、写真を断ち切りで印刷するため、読者はページの表面へ直接触れながら本を進む。都市の軽い色調と本の物理的な重さが対立し、郊外を抽象的なイメージとして眺める経験へ身体的な抵抗を加える*4。
1999年の木村伊兵衛写真賞と2000年のFotomuseum Winterthur展は、抑制されたカラー写真を国際的な評価へつなげた*3。一方、現在の再評価は、作品が1990年代の郊外論を視覚的に補強した側面と、撮影地一覧、乳幼児、人物の視線によってその類型へ亀裂を入れた側面を同時に扱う*22。形式の明快さと社会的な偏りが共存することが、この写真集の持続的な論点である。
『東京と娘』1999–2010年――家族アルバムと著者名のずれ
『東京と娘』は、1999年から撮影された少女の成長、東京の街路、住宅、空港、家族のスナップを収める。少女は友人の娘で、両親が撮影した像や既存写真の再撮影も含まれる*13。写真の粒子、色、距離は一冊の中で揃わず、家庭で保管された像と作家の都市写真が同じ時間軸へ置かれる。表紙の「Tokyo and My Daughter」という言葉が作る自伝的な期待と、写真の実際の来歴とのずれが、この写真集の構造を支えている。
《The Narcissistic City》と《Thirty-Six Views of Mount Fuji》
《The Narcissistic City》では、都市の部屋が巨大なカメラとなり、建物、水塔、道路、空の断片を反転像へ変える*14。《Thirty-Six Views of Mount Fuji》は葛飾北斎の連作を参照し、観光、世界遺産、日常生活の中で反復される富士山を、各地の暗箱から撮影する*11。両連作は名所の代表像を提示する発想を離れ、見る場所、建築、露光時間が変わるたびに像の形が変わる過程を記録する。
ル・コルビュジエの窓、人物、映像へ広がる制作
『Looking Through: Le Corbusier Windows』では、欧州とインドの建築を巡り、窓が光、眺望、身体の位置をどのように決めるかを撮影した*17。CCAと窓研究所の共同研究は、窓とカメラ・オブスクラが共有する構造を、近代建築と写真の歴史へ接続している*19。CCAによれば、この研究は2002年のル・コルビュジエ《小さな家》の撮影から始まり、シャンディガールでの撮影を経て窓とカメラ開口部の共通性へ発展した*9。建物の外観を記録する建築写真から、建築そのものが視線と眺望を決める仕組みへ主題が広がった。
『Portrait of J』は2002年以後の人物写真を集め、著名人、友人、子どもを同じ位置づけで構成する*15。2022年には『i-D』の企画で東京の若いクィア当事者9人を街路で撮影し、肖像と本人の語りを同じ記事へ組み込んだ*16。コロナ禍の《Videodiary》では、無人に近い東京、家の内部、家族の声を28本の動画へ展開した*18。写真集、雑誌、映像、建築研究を横断する活動によって、主題に応じた像の時間、順序、流通範囲が選ばれている。
評価された抑制と、「普通さ」をめぐる批判
ホンマの受容は、『東京郊外』の明るいカラー、人物と建築を同じ温度で扱う距離、雑誌と写真集を横断する活動によって形成された。MUは2000年の展覧会で、メディアの内部で働きながらメディアへ批判的な視線を向ける姿勢を評価し、Fotomuseum Winterthurは軽やかな外観の下に社会経済的な亀裂を見た*1。
Apertureの「ニュー・ドキュメンタリー」評は、素人写真と専門技術を混ぜる脱技能化の議論が既知の美術史を反復する場面を指摘し、その概念が強く働く作品と、制度的な説明が先行する作品を区別した*6。この批判が示す通り、批評性は、題名、編集、装丁、展示が各シリーズの社会的背景へ具体的に作用することで生じる。そこでホンマの抑制された外観も、社会と媒体を検討する方法として強度を得る。
ピクチャーズ・ジェネレーション、ティルマンス――直接影響と同時代比較を分ける
1970年代末のピクチャーズ・ジェネレーションは、雑誌、映画、広告などの既存画像を引用し、独創的な作者と原本を中心にした美術制度を批判した*28。現時点の資料は、ホンマがこの集団を直接参照したことまで示していない。比較の要点は、彼らが大量流通画像を美術へ移したのに対し、ホンマは商業写真の制作現場から出発し、自作の広告写真、家族のスナップ、都市写真を異なる媒体の間で移動させた点にある。
同時期に『i-D』などで活動したヴォルフガング・ティルマンスは、1993年の展示で写真、コピー、雑誌ページの複製を同等に扱い、印刷物とオリジナルプリントの格付けを動かした*25。両者の直接的な影響関係も資料から確認できない。ティルマンスは展示空間でサイズ、支持体、貼り方の序列を組み替え、ホンマは郊外、家族アルバム、日本の雑誌文化を通じて、画像が広告、記録、私的記憶、美術作品へ分類される過程を扱った。
この区別により、ホンマの位置を欧米の潮流の集約として説明する危険を避けられる。エグルストン、ロバート・アダムス、荒木は本人が挙げた先行者である。ピクチャーズ・ジェネレーションとティルマンスは、作者性と写真の流通を別の地域と制度で扱った比較軸であり、ホンマの固有性は1990年代日本の広告、雑誌、郊外、家族アルバム、美術館を一つの問題圏へ置いた点にある。
1990年代日本で、雑誌写真と美術館作品の境界を主題化する
写真の流通と作者性の問題はホンマ以前から存在した。森山大道は写真を雑誌と写真集の印刷面で成立させ、荒木経惟は私生活と著者名を大量の出版物へ結び、1980年代の美術は既存画像の引用を通じて作者性を批判した。ホンマの仕事は、これらを一人で統合したという説明では捉えきれない。
ホンマの固有性は、1990年代日本の具体的な流通環境にある。『東京郊外』では、ファッション誌で培ったカラーと距離が郊外論の視覚的な証拠として受容された。『東京と娘』では、家庭で保管された写真が一人の写真家の著者名で刊行される。「ニュー・ドキュメンタリー」では、雑誌表紙、商業写真、家族写真、映像が美術館へ移され、各画像の用途と評価が変わる過程そのものが展示された*24。
ホンマの仕事を写真史の中で考える際に重要なのは、商業撮影、私的スナップ、作家作品、建築研究を別々の経歴として分けず、同じ画像が媒体を移ることで意味と評価を変える過程として扱った点である。2023年の東京都写真美術館展は、初期の郊外写真、海、キノコ、ル・コルビュジエ、暗箱を「写真を見ること」と撮影装置の問題から再配置した*23。雑誌と美術館の往復そのものには先行例がある。ホンマの固有性は、広告、郊外写真、家族アルバム、建築研究を同じ作家活動の内部で往復させ、1990年代以後の日本で写真の用途と作者性がどう決まるかを具体的に示した点にある。
- 畠山直哉 ― 建築と都市を、採石場から地下空間まで物質の循環として捉える同時代作家
- 川内倫子 ― 日常の微細な光と出来事を私的な感覚へ結びつける、日本の現代写真における比較軸
- 森山大道 ― 荒れ、ぶれ、粒子による都市写真と、ホンマの抑制されたカラーを対照する前世代
- スティーブン・ショア、ロバート・アダムス ― 日常風景、郊外、カラーと距離を考える国際的な比較対象
- 日本写真 ― 1990年代以後の都市、若者文化、写真集を考える文脈
- ニューカラー/ニュー・トポグラフィックス ― 日常風景と人工環境を劇性から離れて扱う先行する語彙
- 写真集文化 ― ページ順、判型、再撮影、作者名が作品を作る媒体
- カメラ・オブスクラ ― 撮影者中心の視点を、建築、光、感光材の共同作用へ移す装置