写真の座標 Photo Coordinates
PHOTOGRAPHERS/KIKUJI KAWADA ·日本写真 ·UPDATED 2026.07
KK
§ None — Photographer Index — 日本写真

川田喜久治

Kikuji Kawada 1933-2021
Country日本 Period1950–1960s Channel写真史の論点 · 日本写真
Abstract

川田喜久治は、写真集『地図』で原爆ドームの壁、戦争遺物、国旗、基地周辺の断片を接写と高いコントラストで結び、戦後記憶を本の物質的な経験へ変えた写真家。杉浦康平の造本、見開き、折り込み、暗部の反復によって、写真は場所の説明より、歴史を容易に判読できない状態そのものを本の構造にした。

この写真家が変えたこと

川田は『地図』で、原爆ドームの壁、戦争遺物、国旗、占領文化の断片を高密度の見開きと折り込みへ配置し、戦後記憶を物質の痕跡からたどる写真集を作った。接写、暗い印刷、杉浦康平の造本によって、歴史が断片として現在へ残る状態を本の構造へ移した。写真集を画像の容器から、ページを開き、戻り、像の関係を確かめる媒体へ広げた。

Keywords 地図 The Map 原爆ドーム VIVO 戦後記憶 写真集
§ WORKS 作品を見る

本サイトでは作品画像を掲載していません。下記の公式アーカイブで作品をご覧ください。

目次 · Table of Contents
§ 01 / 04 背景と時代

VIVOと戦後日本写真——報道の外で写真集を作る

川田喜久治は新潮社の写真部を経て、1959年に東松照明細江英公、奈良原一高、佐藤明、丹野章と写真家集団VIVOを結成した。VIVOは短期間で解散したが、雑誌社の依頼から独立して個人作品を発表し、写真家自身が主題と編集を決める場になった*1。川田にとって戦後を撮ることは、事件を時系列で説明するより、残された物と記憶の断片を写真集の中で組み合わせる方向へ進んだ。

敗戦から二十年——『地図』が作られた歴史的距離

『地図』初版が刊行された1965年は、敗戦と原爆投下から二十年にあたる。復興と高度経済成長が進む一方、原爆、占領、軍事基地、戦争責任は過去として閉じられていなかった。京都市京セラ美術館は同書を、戦後日本の政治的、社会的状況を暗喩する作品として位置づける*2。川田は被爆直後を撮る位置にはおらず、時間を経た痕跡から、記憶が消えながら残る状態を扱った。

新潮社とVIVO——報道写真から自律したシリーズへ

川田は新潮社写真部で『週刊新潮』のグラビア撮影に携わり、写真が記事、見出し、印刷と結ばれる過程を経験した。1959年に退社してVIVOへ参加すると、依頼原稿の枠を離れ、シリーズの主題と発表方法を自ら決める環境へ移った*1。この出版経験が、一枚の写真だけで完結せず、複数画像と造本によって意味を作る『地図』の基盤になった。

新潮社の雑誌編集から『地図』へ——情報をページの記憶へ変える

川田は新潮社で、報道写真が記事の意味へ整理される過程を経験した。VIVO参加後、原爆ドームの壁、戦争遺物、国旗、基地周辺の断片を撮り、互いに離れた像を見開きで衝突させた。本人は後年、壁の染みや遺物が戦争の記憶を象徴する像へなり得ると考えた経緯を語っている*4。『地図』の形式は、出来事を順序立てて説明する報道の構成に代わり、敗戦後も残る徴候を、ページを開き、戻り、折り込みを解く身体的な経験へ変えるために選ばれた。

§ 02 / 04 表現の核心

『地図』——原爆ドームの壁をなぜ接写したのか

『地図』の中心には、原爆ドーム内部の壁に残る黒い染みや剥離を近距離から撮った写真がある。壁は建築の全景や被害状況から切り離され、地表、皮膚、天体写真を思わせる抽象的な面へ変わる。The Met所蔵の写真集は、これらの像が戦争遺物、国旗、広告、基地周辺の写真と見開きで結ばれる構造を示す*3。接写は、対象の名称より表面に刻まれた物質的な変化を優先する。歴史が物質へ沈着した状態へ近づく距離だった。

接写と暗部——判読の難しさを歴史の条件へ変える

原爆ドームの壁を極端に接写すると、建築の全体像と撮影場所は画面外へ退き、白黒の染み、亀裂、剥離が画面を占める。川田は接近によって情報を絞り、壁面の傷、染み、剥離へ歴史の時間を集中させた。爆発の瞬間を撮れなかった後世の写真家が、物質へ残った痕跡から歴史へ接近する限界は、画面の判読しにくさとして表れている。MFA Bostonが取得したネガ、コンタクトシート、ノート、写真集のアーカイブは、抽象的な像が現場撮影と綿密な編集を経て選ばれたことを示している*18

地図が示す場所はどこか——地理から記憶の構造へ

題名の「地図」は、広島や日本の位置を正確に案内する通常の地図とは性格が異なる。写真集を進むと、壁の染み、兵士の遺品、占領の記号、日の丸、コカ・コーラの看板が反復され、異なる時代と場所が一つの暗い地形へ重なる。Apertureの川田喜久治インタビューは『地図』を、写真集を芸術的な物体として成立させ、政治的、社会的批評を抽象的、実験的に行った例として論じる*4。情報は一方向に説明されず、断片の関係がページの往復によって確かめられる。

杉浦康平の造本——写真集の物質性は内容とどう結びつくか

1965年版『地図』は杉浦康平の装丁、二重の函、折り込まれた表紙、重い黒の印刷によって、開封しページをめくる行為そのものを作品へ組み込んだ。写真は白い壁での個別展示から離れ、暗い紙面の間から現れ、次の像によって意味を変える*3。造本は写真を飾る外装の役割を超え、歴史へ近づく困難さ、記憶を掘り起こす身体的な時間を鑑賞行為へ組み込む媒体になった。

1965年8月6日の刊行——二十年後の戦争記憶をどう提示したか

『地図』は広島への原爆投下からちょうど二十年後の1965年8月6日に刊行された*7。敗戦の記憶が国家的な記念行事や復興の物語へ整理される時期に、川田は地図、国旗、遺物、占領文化、壁面を断片化し、明確な結論へ回収しない本を提示した。杉浦康平による扉状のケース、折り込まれたページ、暗い印刷は、一方向へページを進める動作を妨げ、過去が現在へ繰り返し侵入する感覚を作る。造本は写真を飾る外装を超え、戦争記憶を簡潔な教訓へ固定させない論理として働いた。

象徴は何を伝え、何を曖昧にするか

川田は、時計、勲章、国旗、兵士の遺品、アメリカ文化の記号を、説明文を抑えて並べた。象徴的な編集は、戦後を単一の主張へ閉じず、敗戦、犠牲、国家、占領、消費社会の関係を同時に示せる。一方で、誰の経験かを明示しない像は、被爆者の具体的な声を抽象化する危険も持つ。『地図』の批評性は、曖昧さ自体を価値とする点にはない。説明可能な歴史と、説明からこぼれる物質的記憶のずれを残した点にある。

再版と《The Last Cosmology》——過去を固定しない編集

『地図』は複数回復刻され、そのたびに紙、印刷、判型、収録形態が変化した。川田はその後も《The Last Cosmology》《Los Caprichos》《World’s End》などで、天体、政治、都市、災害の兆候を日付の異なる写真から編集してきた*2。初期作品を反復せず、写真のアーカイブを現在の危機へ接続する姿勢によって、「地図」は完成した一冊から、世界を別の構成を与える継続的な方法へ広がった。

二重の見開き——像と像の間に第三の意味を作る

『地図』では、壁の染みと国旗、傷ついた物と広告のように、異なる写真が見開きで対置される。各写真の情報を足し合わせるより、隣接によって因果のないもの同士が緊張し、第三の意味が生まれる。ページを戻るたび、同じ像が別の連鎖へ入り、前後の意味を変える。写真集の批評性は、一枚の象徴的な強さだけでなく、像の間に残された説明されない距離から成立している。

§ 03 / 04 代表作・方法・媒体

《Chizu》のプリントと写真集——同じ写真は同じ作品か

MoMAは《Chizu》のプリントを個別作品として収蔵し、写真集から切り離された一枚の造形を示している*5。The Metは1965年版『地図』を一冊の作品として所蔵し、印刷、順序、支持体を含む全体を保存している*3。同じ写真でも、単独のプリントと写真集のページでは、前後関係と鑑賞時間が変わる。

暗部、粒子、接写——記録を判読しにくくする技法

川田の初期作品では、黒が広く、粒子が目立ち、被写体の全体像が判別しにくい。断片的な証拠は、別の図版や言葉との関係によって意味を変える。歴史の痕跡を容易に判読できない状態を、写真の暗部と粒子が支えている。壁の染みが地図や皮膚を思わせるほど、接写と高いコントラストは対象を複数の連想へ開く。写真は証拠として残りながら、その証拠を一つの言葉へ固定しない。

長期制作と日付——現在を終末の徴候として編集する

川田は晩年まで日常的に撮影を続け、異なる年代の写真をシリーズへ組み直した。京都市京セラ美術館の2024年展は、1933年生まれの川田が現在まで制作を継続し、肉眼では捉えにくい社会と時代の徴候を写真で追ってきたことを示した*2。その方法では、撮影時のニュース価値より、後から別の画像と出会ったときに生まれる意味が重要になる。写真アーカイブは過去の保管庫に固定されず、現在を編集する材料になる。

《Los Caprichos》——ゴヤの題名を現在へ移す

《Los Caprichos》では、川田はゴヤの版画集と同じ題名を用いながら、都市、政治家、群衆、テレビ、奇妙な物の断片を組み合わせた。題名の引用は、社会の理性と狂気を断片的な像で問う過去の言葉を、現代の都市写真へ接続する編集操作として働く。戦後日本の現在がゴヤの時代と重なり、異なる時代の不安が写真の配列を通じて照応する。

§ 04 / 04 批評と写真史上の位置

東松照明との違い——戦後の物質をどの距離から見るか

東松照明も長崎の溶けた瓶、止まった時計、皮膚から、戦争が物と身体へ残る状態を撮った。東松は個々の人や物との遭遇を保ち、川田は異質な断片を写真集の見開きで衝突させた。同じVIVOの周辺から、現場の物質へ接近する写真と、造本によって象徴を連鎖させる写真が生まれた。この違いは、戦後記憶が一つの暗い様式に統一されず、撮影距離と媒体の選択によって異なる形を取ったことを示している。

フォトブック史の名作という評価を超えて

『地図』は現在、希少な写真集、造本の傑作、戦後日本写真の代表作として国際的に評価される。市場価値やデザインの革新だけが前面に出ると、原爆、占領、国家の記号を扱う政治的な緊張が装飾へ変わる。PGIの展覧会は、川田が『地図』以後も時代の徴候を撮り続けたことを示し、一冊を孤立した名作として固定しない*6。写真集の造形的な強度は、判読しにくい戦後史と結びついている。

戦後リアリズムへの批評——証拠を捨てず、証拠の限界を示す

VIVOの写真家たちは、現実へ向かう戦後リアリズムの倫理を受け継ぎながら、一枚の写真が社会を代表できるという確信から離れた。『地図』の像は原爆ドームや遺物という具体的な対象に基づき、抽象的な表面の内部へ歴史的な場所を保持している。同時に、対象名を知っただけで戦争の意味が理解できる構成にもなっていない。近年の研究は、こうした可視性と不可視性の緊張を、原子力時代の表象の問題として分析している*20。川田の批評性は、記録が歴史を完全に説明できないという限界を、写真集の形式で明示した点にある。

現在進行形の作家——1965年の代表作で止めない

川田は2020年代にも新作と過去作の新たな編集を発表し、1933年生まれの歴史的作家であると同時に制作を継続する写真家である*2。『地図』以後、関心は天体、災害、政治、デジタルの日付へ広がった。初期の戦後記憶と近年の終末的な感覚は異なる主題を持つが、時代の断片を選び、写真集や展示で関係を与える編集の方法は持続している。

§ REL 関連する写真家・運動
関連する写真家
  • 東松照明 ― 写真家集団「VIVO」を共に結成した中心メンバーで、本文で並置される。
  • 細江英公 ― 同じくVIVO世代として本文で名指しされ、戦後日本写真の急進を共有した。
関連する運動
  • モダニズム ― 本文が『地図』を「戦後日本の写真的モダニズムにおいて歴史的記憶を中心に置いた」と位置づける。
§ REF さらに読む
§ SRC 出典