ティモシー・オサリヴァンTimothy O'Sullivan

ティモシー・オサリヴァン(Timothy O'Sullivan)は、戦争写真と風景写真を考えるうえで欠かせない写真家です。このページでは、戦争写真と風景写真を手がかりに、写真史の流れの中での位置づけを、関連作家・運動・出典とあわせてたどります。

基本情報
生没年 1840–1882

解説

ティモシー・オサリヴァンは1840年頃にアイルランドに生まれ、幼児期に家族とともにニューヨークへ移住したと推定されている。マシュー・ブレイディのスタジオに弟子入りした後、南北戦争ではアレクサンダー・ガードナーとともに戦場を撮影した。ガードナーの『戦争写真スケッチブック』(1865〜66年)に収録された100点のうち44点がオサリヴァンの作品とされ、単一写真家としては最多の寄稿数である*1。1863年7月にゲティスバーグで撮影した「死の収穫」は、霧の中に横たわる戦死した北軍兵士を捉えた作品で、ガードナーの書いた説明文とともにスケッチブックに掲載された。この作品はMoMA・ナショナル・ギャラリー・スミソニアン・シカゴ美術館・メトロポリタン美術館など主要機関が所蔵しており、南北戦争写真の最も象徴的なイメージの一つとして位置づけられている*2。戦後のオサリヴァンは西部の地質調査写真に転じた。1867〜69年のクラレンス・キング指揮の第40緯線地質探検に帯同し、ネバダ砂漠のビラミッド湖(「タファ・ドームズ」1867年)やカーソン砂漠の砂丘など荒涼とした大地を記録した*3。1871〜74年にはジョージ・ウィーラー中尉の測量調査に帯同してキャニオン・デ・シェイ等を撮影した。これらの写真はMoMAのコレクション(アンセル・アダムスからの寄贈)に収蔵されている*2。スミソニアン・アメリカン・アート・ミュージアムのキュレーター、トビー・ジュロヴィクスは2010年の「西部の額縁」展でオサリヴァンの美学を「伝統的な審美的枠組みに抵抗する、率直で厳格なスタイル」と評した。カールトン・ワトキンスがヨセミテをロマンティックな崇高美として捉えようとしたのに対し、オサリヴァンは荒野を科学的な直接性で記録し、壮麗さの演出を拒否した*3。この姿勢が、1975年にジョージ・イーストマン・ハウス(現ジョージ・イーストマン博物館)が組織した「ニュー・トポグラフィクス」展においてロバート・アダムスルイス・ボルツらが一致して参照した先駆者としてオサリヴァンを位置づけ、乾いた目線で現代アメリカの風景を記録した写真家たちの源流となった*4。1880年に財務省の公式写真家に任命されたが、1882年に結核により死去した。生涯を通じて財産も名声も残さなかったが、20世紀後半の写真史研究においてアメリカ写真史の最重要人物の一人として再評価されている。

ティモシー・オサリヴァン 写真集

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外部リンク

出典