リドウィエン・ファン・デ・フェンは、宗教、移民、国家、革命をめぐる現場を撮り、写真を壁面、新聞、映像、文書、公開討議と組み合わせるオランダの作家。《document》《Freedom of Expression》《FRAGMENTS [of a desire for revolution]》では、政治写真を一枚の証拠として完結させず、公開、上書き、削除、配布、議論の過程まで作品に含めた。写真が事実を伝える力と、制度や言葉によって意味を変える危うさを、同じ展示の中で検証する。
ファン・デ・フェンは、政治写真の焦点を、画面に写る出来事だけでなく、その像を誰が選び、どの言葉を添え、どの期間公開するかという過程へ向けた。彼女は現場へ赴き、大判写真に細部を残し、場所と日付を題名に記す。《document》では会期中に新しい写真を前の像へ重ね、2008年の《Freedom of Expression》では写真、映像、新聞、公開討議を連動させた。2011年の《COMMA 32》では、展示されなかった写真の位置を白い矩形として残した。写真は証拠、壁面を構成する紙、新聞の複製、検閲の対象という複数の役割を担う。彼女は政治的イメージが公開、更新、削除を経て権威を得る仕組みを、鑑賞者が時間をかけて追える展示へ組み立てた。
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目次 · Table of Contents
写真家と記者のあいだ――証拠を作る媒体へ向かう
リドウィエン・ファン・デ・フェンは1963年にオランダのフルストに生まれ、エンスヘデのAKI(芸術産業アカデミー)でミクストメディアを学んだ。写真家と記者の双方を志して入学し、半年ほどで美術の道を選んだ後も、写真をインスタレーション、絵画、彫刻と組み合わせ、早い時期から大判の展示を制作した。並行して哲学を学び、カメラを持ち込むことで現地との関係や撮影者自身の立場が変わる点を、写真による調査の中心に据えた*1。
報道写真では、瞬間的に理解できる画像が記事の主張を支えるために求められる。ファン・デ・フェンは、その明快さが現場の複雑さを整理しすぎることに注目した。ドクメンタ12のインタビューでは、写真を新しいメッセージの運搬手段として使うより、撮影行為から生まれた像を視覚言語へ戻し、画像が理解される仕組みを考えると説明している*2。写真を選んだ理由は、事実の記録と、選択、題名、記事、展示による政治的な意味づけが一つの媒体に同居する点にあった。証拠として信じられる像が、流通の過程で別の意味を帯びる。その変化を追うために写真が必要だった。
1990年代末から2000年代のオランダでは、移民、イスラム、国民文化、言論の自由が激しい政治争点になった。2004年のテオ・ファン・ゴッホ殺害は、宗教批判、表現の自由、排外主義をめぐる議論をさらに先鋭化させた*16。ファン・デ・フェンの作品は、この状況を外側から説明する代わりに、写真、新聞、映像、討議が互いに意味を与え合う現場を作った。
カメラが現地との関係を変える――撮影を調査として行う
ファン・デ・フェンは中東、欧州、アジアの政治的緊張が生じる場所へ赴き、抗議行動、宗教施設、難民キャンプ、国境、街路の標識を撮る。彼女にとってカメラは、現地の人々との接触を生み、自分が何を知っているつもりだったかを検査するきっかけになる。本人が写真を「交差点」にたとえるのは、一枚の像に現在の出来事、過去の歴史、撮影者の知識、観客の先入観が重なるからである*11。
この方法では、現場へ行くことと、撮影後の編集や展示を分けられない。カメラを向けた瞬間に生じた距離や緊張は、どの写真を選び、どの大きさで見せ、どの文章と並べるかによって再び組み直される。彼女はこの連鎖全体を調査として扱い、写真家の経験を最終的な真実として提示しない。
場所と日付の題名――一枚の意味を開いたままにする
彼女の写真には、都市名、地名、日付、人物名を簡潔に記した題名が多い。報道写真のキャプションに似た形式だが、出来事を説明する記事本文は添えられない。ステデリック美術館所蔵の《Mohammed》(2001年)は固有名を示しながら、人物の立場や事件の全体像を説明せず、題名、画面、時代背景のあいだに距離を残す*9。
場所と日付は意味を確定するラベルより、像を後の出来事へ接続する座標として働く。観客は画面の細部と自分の知識を照合し、何を「宗教」「移民」「革命」の記号として読んだのかを意識する。題名が情報を絞ることで、写真の不十分さと、観客が不足を埋める働きが同時に現れる。
《document》――大判写真を上書きし、ニュースの時間を展示する
ドクメンタ12の《document》(2007年)では、撮影地と日付を持つ写真や印刷物が会場の壁面へ配置され、会期中に新しい像が追加されていった。新しい写真は前の写真の上へ重なり、観客が訪れる日によって見える構成が変わる*3。大判化された写真は細部を長く見せる一方、次のニュースによって部分的に覆われる。画面の情報量と、情報が急速に更新される時間が同じ壁に共存する。
この上書きは、政治的な像が公共圏へ現れ、別の像に押し出され、記憶の層へ沈む過程を展示の物質として経験させる。作品の完成時点を会期の終わりまで延ばしたことで、写真の意味は撮影瞬間だけで決まらず、公開されている時間によって変わることが具体化した。
《COMMA 32》――展示されなかった写真を白い矩形で示す
2011年の《COMMA 32》は、巨大な写真、モスクで働く女性たちの映像、黒い正方形、白い正方形から構成された。白い正方形は、当初展示される予定だった《Berlin, 02/10/2010 (die Freiheit)》の欠落を示す。アフターオールは、同作が欧州の「自由」を掲げる政治集会を写し、作品選定をめぐる交渉の結果、白い面へ置き換えられた経緯を詳しく論じている*8。
白い面には、公開をめぐる制度の判断が視覚的な欠落として残る。鑑賞者は、予定されていた写真、その写真が扱う政治集会、展示空間の審査手続きをたどることになる。検閲や自己規制が書類と協議の中で進む状況を、空白そのものが作品の構成へ引き戻した。
《Freedom of Expression》2008年――写真、新聞、映像、討議を連動させる
《Freedom of Expression》(2008年)は、欧州議会で開かれた同名の記者会見と、オランダで言論の自由、宗教、イスラム、国家の自己像が衝突した状況を扱った。2009年のニュー・ミュージアムでの再構成では、映像と写真に加え、新聞、上映、公開討議が展覧会を構成した*5。作品は「表現の自由」という言葉が、発言の保護と宗教への攻撃という二重の働きを持つ状況を追っている。
新聞は美術館の外へ情報を配り、映像は発言の時間を残し、公開討議は異なる立場からの応答を展示へ接続する。複数の媒体を連動させることで、「表現の自由」が声明、報道、映像、観客の発言を通じて政治的な意味を変える過程が作品となった。ニュー・ミュージアムの公開プログラムも、映像と写真をめぐる議論を作品構成の一部として記録している*6。
《Voices》――革命後の壁に重なる時間を撮る
《Voices》では、革命や政治変動を経験した都市の壁、消されかけた文字、標語、塗装の層が撮られる。同作は2014年の展覧会「Really Useful Knowledge」で紹介された*10。ソフィア王妃芸術センターの展覧会資料は、《Voices》(2014年)が、革命と反革命の動きが交錯するエジプトで、落書き、広告看板、ポスター、横断幕に現れた公共の声を追ったシリーズだと説明している*17。英雄の顔や決定的な群衆場面より、壁に残った言葉の重なりへ焦点を合わせることで、革命後に誰の声が保存され、誰の言葉が塗り替えられたかを読む。
壁は、書き込み、消去、再塗装が繰り返される公共媒体として現れる。写真は一時点の表面を精密に残し、その後の変化と比較できる状態へする。歴史を代表する一枚より、政治的な言葉が都市の物質へ刻まれ、徐々に失われる速度を捉えるために、大判写真の細部が必要になった。
《FRAGMENTS [of a desire for revolution]》――現在の政治を植民地史へ接続する
ファン・アッベ美術館の依頼で始まった《FRAGMENTS [of a desire for revolution]》は、オランダとインドネシアの植民地史を調査し、大判写真、映像、文書を組み合わせた。ダッチ・アート・インスティテュートは、2014年から続く調査が2017年のインスタレーションへ結実したと説明している*13。
この作品では、現在の抗議や移民政策を最新ニュースとして切り離さず、植民地支配が作った国境、資源、教育、言語の制度へ戻って考える。アンドリーセ・エイクの作品一覧に並ぶパプア、ヨルダン、カイロ、イスタンブールの写真群も、個別事件を横断し、移動と資源をめぐる長期的な調査を形づくる*4。写真、文書、映像を同じ空間へ置く形式は、現在の像に過去の制度がどのように入り込んでいるかを追うために選ばれた。
対抗報道より、画像が権威を得る過程を調べる
ファン・デ・フェンは既存報道へ「より正しい写真」を対置する方法を選ばない。ル・グラン・カフェは、彼女の作品が現実と表象、画像と言語、ニュースと同時代史の境界を調べると述べている*7。写真を文章で批判すれば、文章が正しい読み方を回収する。映像を増やせば、編集順序が新たな結論を作る。彼女は各媒体を互いの修正装置として組み合わせ、写真の権威がどこで生じるかを一つずつ露出させる。
大判写真の美しさが政治的苦痛を洗練された鑑賞物へ変える危険も、作品の内部に残る。ファン・デ・フェンは写真を手放して危険を回避するより、拡大、題名、上書き、空白、配布、討議を通じて、その美しさが制度の中でどのように働くかを観客へ追わせる。写真を使い続ける必然性は、証拠としての強さと、政治的な意味を作る力が同じ媒体に宿る点にある。
ロスラー、セクラ以後――批判を展示の時間へ組み込む
マーサ・ロスラーの《The Bowery in Two Inadequate Descriptive Systems》は、空の店舗写真と酩酊を表す語句を並べ、写真と言葉の双方が貧困を十分に記述できないことを示した*14。アラン・セクラの《Fish Story》は、港湾の写真、スライド、文章、書籍を九章に構成し、労働と世界物流を追う長期調査へドキュメンタリーを作り直した*15。
ファン・デ・フェンはこの系譜を受けながら、パネルや章立てを固定した最終形として提示しない。《document》では前の像が会期中に覆われ、《Freedom of Expression》では新聞と討議が展示の外へ続く。異なる日に訪れた観客は異なる配列を見る。画像批判を完成した説明へまとめず、公開期間、展示許可、印刷、配布、発言の場によって変わる過程として構成した点に、彼女の方法の固有性がある。
批評と受容――政治写真を見る側の知識を問い返す
ファン・デ・フェンの写真は、政治的出来事を理解しやすい象徴へ整理せず、観客が既に持つ知識を画面へ持ち込ませる。そのため作品は、情報が不足しているという印象と、細部が過剰に見える感覚を同時に生む。ギャラリー・ビューアーのインタビューで語られる「交差点」という比喩は、この受容の構造をよく示している*12。
彼女の仕事は、政治写真の真偽を相対化することより、証拠として信じられる像が、題名、拡大、上書き、削除、新聞、討議を経て意味を獲得する順序を見せる。観客は写真の外にある制度を調べるだけでなく、自分が何を宗教、暴力、革命の記号として読んだかを問い返される。写真、展示、公共圏を一続きの過程として扱ったことが、彼女の受容を写真と現代美術の双方へ開いている。
- アラン・セクラ ― 労働、海運、グローバル経済を写真・文章・展示による調査として扱った先行例
- マーサ・ロスラー ― 報道画像、家庭、戦争、公共圏で画像と言葉が働く仕組みを検証し、ドキュメンタリーの政治性を批判した作家
- アリ・マルコポロス ― オランダ出身で、写真集や展示を通じて生活と公共文化の距離を探った写真家
- エミリー・ジャシール ― 移動、国境、パレスチナを調査と記録の構造から扱う同時代作家
- コンセプチュアルアート ― 本文で、報道的主題を分析的な距離から扱い、視覚認知を形成するイデオロギーを問う現代美術として説明される。
- ドキュメンタリー ― 本文で、ドキュメンタリーに似た外観を用いながら、その見え方を批判的に扱う実践として論じられる。
- ポストドキュメンタリー ― 写真の証拠性を保持しつつ、撮影者、編集、制度、文脈が意味を作る過程を検討する実践
- 制度批評 ― 美術館、報道、国家、教育など、作品を見せる枠組み自体を批評対象にする方法
- リサーチ・ベースド・アート ― 現地調査、文書、対話、アーカイブを制作過程と展示形式へ組み込む現代美術
- Unsuspending Disbelief — 展覧会資料 ↗
- documenta 12 - Artist Projects: Lidwien van de Ven
- Framer Framed - Lidwien van de Ven
- Stedelijk Museum Amsterdam - Zonder titel / Untitled
- Stedelijk Museum Amsterdam - How Far How Near
- Stedelijk Museum Amsterdam - How Far How Near: The World in the Stedelijk
- Kunstinstituut Melly - Lidwien van de Ven
- Gallery Viewer - Lidwien van de Ven: Works and Biography