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PHOTOGRAPHERS/MAYUMI HOSOKURA ·現代日本写真 · BODY IMAGE · NEW SKIN ·UPDATED 2026.06
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§ 287 — Photographer Index — 現代日本写真

細倉真弓

Mayumi Hosokura 1979–
Country日本 Movement現代日本写真 Period2010 — 2020s ChannelNEW SKIN
Abstract

細倉真弓は、ヌード、ポートレート、植物、鉱物、ネオン、セルフィー、彫刻を、色彩、写真集、デジタルコラージュ、展示空間の中で扱う作家である。《NEW SKIN》、《Transparency is the new mystery》、《Crystal Love Starlight》を手がかりに、2010年代以後の日本写真における身体表象、男性身体を見る視線、写真集文化、デジタル画像、展示空間の関係をたどる。

この写真家が変えたこと

細倉は、ヌードを性別や人物情報だけで説明できる像として扱わず、肌、色、光、紙面、画面、視線が重なって身体の見え方を変える場として構成した。初期のスナップでは私的な場と公的な場の境目を曖昧にし、《NEW SKIN》ではゲイ雑誌、セルフィー、男性彫刻、自身の写真を重ねることで、男性身体を見る視線の位置を組み替えた。

Keywords 身体表象 NEW SKIN デジタルコラージュ 触覚的な視覚 フェミニズム写真
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目次 · Table of Contents
§ 01 / 04 背景と時代

細倉真弓の写真は、1990年代以後の日本写真が開いた私的な身体感覚と、2010年代以後の写真集、デジタル画像、展示空間の変化が重なる場所から現れている。京都に生まれ、立命館大学文学部と日本大学芸術学部写真学科で学んだ細倉は、東京と京都を拠点に制作してきた。shashashaとTSCAはいずれも、彼女の仕事を「触覚的な視覚」を軸に、身体や性、人と人工物、有機物と無機物の移り変わる境界を写真と映像で扱うものとして紹介している*1。2010年代以後の写真は、写真集、スクリーン、SNS、展示空間を横断しながら受け取られるようになり、細倉もまた、紙面、映像、デジタルコラージュ、インスタレーションを行き来しながら身体の見え方を組み立ててきた。Tsukaのインタビューで細倉は、デジタル時代には写真を紙に限らず、イメージをどのように見せるのか、そもそも写真とは何かを考える必要があると語っている*19。MACKから刊行された《Transparency is the new mystery》は、ヌードと結晶の二十二点のイメージを、柔らかく透過的な白黒写真として構成した写真集である*3。その後の《NEW SKIN》では、男性身体、彫刻、セルフィー、ゲイ雑誌の切り抜き、過去の撮影写真がデジタルコラージュとして重ねられ、写真は身体を記録するメディアから、身体を見る複数の視線を組み直す形式へ移っていく*6。細倉の表現では、身体と物質、性と視線、アナログとデジタル、写真集と展示の境界が、見る経験を変えるための条件として扱われる。

§ 02 / 04 表現の核心

名前を外し、見る速度を遅くする

細倉の写真に繰り返し現れるのは、裸の身体、若者のポートレート、植物、鉱物、郊外の風景、ネオン、人工物である。Epoiのインタビュー記事は、細倉の作品が人物のポートレートやヌード、植物、鉱物、郊外のランドスケープ、ネオンサインなどを、鮮やかな色のフィルターを通して扱ってきたと整理している*4。これらのモチーフを同じ作品群の中で見ると、細倉の関心は「身体が何に見えるか」よりも、身体を見るときにどの情報が先に立ち上がるかに向かっている。顔、名前、性別、土地の固有名が強く出れば、写真はすぐに人物説明や場所説明へ寄っていく。細倉はその情報を抑え、肌の明るさ、関節の角度、髪、影、紙面の色、印刷やデータ処理の痕跡を前に出すことで、身体をただちに性別や物語へ結びつける見方を遅らせる。American Suburb Xのインタビューで彼女は、《KAZAN》において土地や人物の名前を知らなくてもよい状態を求め、イメージを想像力の起点にしたかったと語っている*15。shashashaが細倉の仕事を説明する「触覚的な視覚」という言葉は、この態度をよく示している。見ることは、遠くから対象を分類する行為にとどまらず、肌、石、花、光、紙、画面の手触りに近づきながら、最終的には触れられない距離を残す行為として組み立てられる*1

色は身体との距離を調整する

細倉の色は、身体との距離を調整するために使われる。《Crystal Love Starlight》では、地方都市の歓楽街を思わせるネオンサインの写真と、原色に変換された男女のヌードが並置されると紹介されている*13。ここでの色は、対象の自然な色の記録から離れ、身体と都市のあいだにある欲望、人工性、眩しさを同じ画面へ引き寄せる操作として働く。Epoiのインタビューで細倉は、ヌードが生々しく見えすぎることを抑えるために寒色系でプリントすることが多いと語っている*4。身体を近くへ引き寄せる色と、身体への接近を少し抑える色がある。細倉の写真では、その調整によって、ヌードが「見せられた身体」として固定される前に、光、紙、データ、印刷、記憶を含んだ像として立ち上がる。American Suburb Xのインタビューでは、《Transparency is the new mystery》で色を使わなかった理由について、人物とその意味に集中するためだったと細倉が説明している*14。色を強めること、色を冷やすこと、白黒へ寄せることは、それぞれ身体を見る距離を変える方法として働いている。

NEW SKINと、男性身体を見る複数の視線

《NEW SKIN》は、細倉の仕事の中で、男性身体を見る視線を複数化したプロジェクトである。FNMNLは同展を、男性ポートレート、男性彫刻、ネット上の韓国人男性セルフィー、ゲイ雑誌の切り抜きなどを合成した巨大なデジタルコラージュと、その中を漂う映像、写真作品によって構成されたものとして紹介している*5。MACKの写真集紹介も、同作が古いゲイ雑誌、彫刻、ファウンドセルフィー、自身の写真を用いた大型デジタルコラージュから出発し、男性像だけを素材として選んだ作品であることを記している*6。細倉がEpoiのインタビューで語る「自分自身のフェティシズムだけでは限界がある」という感覚は、男性身体への欲望を一つの視点へ閉じないための問題意識として読める*4。女性から男性を見る視線、男性から男性を見る視線、自分の身体を見る視線、美術館の彫刻を見る視線、ネット上のセルフィーを見る視線が同じ画面に入ることで、身体は一人の鑑賞者に所有される対象から、複数の欲望が交差する像へ変わる。Tokyo Weekenderは《NEW SKIN》を、セルフィー、フィルター、デジタル画像、ハラウェイの理論を経由しながら、人間の身体の境界を考える作品として紹介している*20

「地図」としての画像、散歩と潜水

《NEW SKIN》以降の細倉において、巨大な画像の中を移動する感覚は、さらに明確な方法になっていく。TSCAの《散歩と潜水》展のステートメントで、細倉は日々出会うイメージを合成して大きなイメージを作り、それを仮に「地図」と呼んでいる*10。この「地図」は、世界を測量する図から離れ、過去に撮った写真、偶然に生まれた細部、合成によって発生した細胞のような模様を、画面の移動の中で見つけていくための場である。TSCAの英語解説は、《NEW SKIN》の映像を、ゲイ雑誌、男性彫刻、オンラインで見つけたセルフィー、自身の男性写真をまとめた「地図」の中を歩き、細部を発見していく視線の再現として説明している*24。大きな画面の中を移動するうちに、肌、花、彫刻、印刷の荒れ、データのズレが別の関係を作り、見る側の注意が何度も組み替えられる。写真は、目の前の世界を共有する証拠というより、同じ画像を見ていても同じ部分に惹かれず、同じ記憶を持てないことを引き受ける媒体として働く。

写真集と展示のあいだで、写真を拡張する

細倉の表現は、写真集文化と展示空間の両方に支えられている。《Transparency is the new mystery》や《NEW SKIN》がMACKから刊行されたことは、細倉の身体表象が日本国内の展示文脈だけでなく、写真集を通じて国際的な読者に届く回路を持ったことを示している*3。彼女の展示は、写真集のイメージを壁へ移す形式から、画面や空間の中でイメージを移動させる方法へ進んでいる。Tsukaのインタビューで細倉は、デジタル時代の写真は紙に限らず、イメージをどのように見せるのか、そもそも写真とは何かを考える必要があると語っている*19。TOKIONは、銀座のSony Park Miniで開催された「CELL(s)」を、《NEW SKIN》シリーズの《NEW SKIN #54》を展示する個展として紹介し、レイヤー、ピクセル、細胞、都市空間が重なる場として作品が提示されたことを伝えている*8。TSCAの「Sen to Me」では、フォトグラムに機械刺繍を施した「Sen to Te」が、カメラを使わない写真の技法と、手の動き、線、刺繍、視線を結びつける作品として説明されている*9

§ 03 / 04 代表作・方法・媒体

Transparency is the new mystery

《Transparency is the new mystery》は、細倉がヌードと結晶を一冊の写真集の中で結びつけた重要作である。MACKの紹介では、この本はヌードと結晶の二十二点のイメージから成り、手のシルエット、丸まった身体、結晶の対称性が、柔らかく透過的な白黒写真として構成されている*3。FotoRoomのインタビューで細倉は、J・G・バラードの『結晶世界』を同作の重要な参照として挙げ、人間、動物、自然が結晶に覆われていくイメージを写真の経験の比喩として捉えたと説明している*15。American Suburb Xのインタビューでは、《KAZAN》で鉱物を永遠、若い人物を失われていく時間の側に置き、《Transparency is the new mystery》ではその問題をさらに絞り、結晶化を写真の化学変化の比喩として扱ったと説明している*14。ここで扱われる写真の物質的な条件とは、光を受けた感光材料に像が生まれ、紙やプリントの状態に時間の痕跡が残るという具体的な過程である。身体と結晶は、一時性と永続性、皮膚と結晶、露光と化学変化を結びつける組み合わせとして読むことができる。

Crystal Love Starlight、CYALIUM、Jubilee

《Crystal Love Starlight》や《CYALIUM》では、色彩の問題が前面に出る。shashashaの《Crystal Love Starlight》紹介は、地方都市の歓楽街にありそうな店のイルミネーションと、ネオンサインのような原色へ変換された男女のヌードが並ぶ作品として同シリーズを紹介している*13。Epoiのインタビューで細倉は、《CYALIUM》を過去作品と《NEW SKIN》の橋渡しとして位置づけ、並列、垂直、破ることなど、コラージュへの初期のアプローチを含む色の作品集だと説明している*4。TSCAの略歴には、2017年の個展「Jubilee」も主要な個展として記載されており、同ギャラリーの作品一覧には同シリーズのイメージが掲載されている*2。これらの作品群では、ヌード、ネオン、植物、鉱物、色面が、身体をどの距離で見せるかを調整する要素として並べられる。色は、見る側が身体へ近づく速度、離れる距離、欲望を意識する強さを変える装置として働いている。

NEW SKIN

《NEW SKIN》は、身体、視線、デジタル画像、展示形式が一つのプロジェクトとして結びついた作品である。KYOTOGRAPHIE 2022のページは、《NEW SKIN》を「10/10 Celebrating Contemporary Japanese Women Photographers」の一部として紹介し、静止画と映像を用いながら、アイデンティティ、ジェンダー、セクシュアリティを問う作品として位置づけている*7。MACKの写真集ページは、同作が一つの大型デジタルコラージュから出発し、そこから十二のピースに切り分けられた構成であることを説明している*6。一枚の巨大な画像を切り分け、全体を一度に把握できない状態にすることで、写真は欠落、記憶、断片の連なりとして提示される。Epoiのインタビューで細倉は、全十二点のうち十一点までは展示されても十二点すべては同時に展示されないルールを説明し、記憶の中にあるイメージがもっとも写真的でありながら、他者と共有できないものだと語っている*4。この作品の核心は、男性身体のイメージを集めることに加えて、その身体を見る複数の位置を同じ画面の中で交差させることにある。

CELL(s)、Sen to Me、散歩と潜水

《CELL(s)》、《Sen to Me》、《散歩と潜水》では、《NEW SKIN》で現れた巨大な画像、スクロール、視線、身体の問題が、より空間的な方向へ展開している。TOKIONは「CELL(s)」を、《NEW SKIN #54》を銀座の地下空間に展示するプロジェクトとして紹介し、身体や性、人と人工物、有機物と無機物の境界を写真と映像で扱う細倉の作品が、その場にインストールされることの意味を伝えている*8。「Sen to Me」では、フォトグラムに機械刺繍を施した「Sen to Te」が、カメラを使わない写真の技法と、手の動き、線、刺繍、視線を結びつける作品として説明されている*9。《散歩と潜水》では、日々合成される大きなデジタルイメージを「地図」と呼び、その中をスクリーン上で歩き、潜り、部分を持ち帰るという方法が示される*10。この流れを見ると、細倉の近作は、被写体を撮影する行為から、画像の中を移動し、偶然に発生した細部を再発見し、それを紙、青写真、映像、展示空間へ戻す行為へ広がっている。

§ 04 / 04 批評と写真史上の位置

女の子写真以後の身体表象

1990年代以後の日本写真では、長島有里枝やHIROMIXらの仕事によって、自分自身、友人、恋人、家族、日常を近い距離で撮ることが、女性の身体や生活を撮る側の言葉へ移す方法として広がった。その一方で、「女の子写真」という呼称は、女性写真家の仕事を若さ、私性、軽さへ押し込める危うさも伴っていた。文化庁アートプラットフォームジャパンの長島有里枝インタビューは、この言説の背後に偏見、性差別、ミソジニーがあったこと、長島が後年その語られ方を批判的に書き直そうとしたことを伝えている*25。Apertureの「I’m So Happy You Are Here」は、日本の女性写真家を、既存の写真史への対抗、補完、再検討として位置づけ、日常、女性の役割への批評、写真形式の実験と拡張を主要なモチーフとして整理している*12。細倉真弓はこの再読の流れと接しながら、女性の自己像や私的な日常を中心に据える方向から距離を取り、男性身体をめぐる視線の配置を組み替えていった。Electra Magazineは、野村佐紀子、岡部桃、細倉真弓を、男性身体の慣習的でない表象を問う作家として並べている*26。細倉の写真における身体は、作家の内面を説明する像や、被写体の性別を示す像として完結しない。肌、色、引用画像、セルフィー、彫刻、展示空間が重なることで、身体を見る位置が一つに定まらない画面が作られる。

男性身体を見る位置を複数化する

野村佐紀子との比較は、細倉の位置を考えるうえで有効である。Electra Magazineの野村佐紀子論は、1990年代にHIROMIX、蜷川実花、長島有里枝が日本の女性写真家の可視性を高めた一方で、野村が男性ヌードを中心に据えることで、男性が女性を見る写真の慣習を反転させたと論じている*26。細倉の《NEW SKIN》は、この反転を一人の作家の視線に閉じず、古いゲイ雑誌、美術館彫刻、ネット上のセルフィー、自身が撮影した男性ポートレートへ分散させる。TSCAの「Digitalis or First-Person Camera」は、細倉の男性ヌードが、男性がカメラの後ろに立ち女性が前に立つという写真のジェンダー化された規範を反転させると説明し、《NEW SKIN》をゲイ写真家へのオマージュであり、男性身体に向けられたさまざまな視線から成るデジタルコラージュとして位置づけている*24。Tokyo Weekenderでは、細倉自身がジャック、ピアソン、ヴォルフガング、ティルマンス、ガス、ヴァン、サントによる男性像から影響を受け、男性身体を見る喜びを学んだと語っている*20。そのため細倉の男性ヌードは、女性が男性を撮るという単純な反転に収まらない。女性写真家の視線、ゲイ写真家への参照、ネット上に流通するセルフィー、美術史上の男性彫刻が重なり、男性身体は複数の視線が交差する場所として提示される。

身体、スクリーン、展示空間

細倉の仕事は、海外では日本写真の内部に加えて、女性作家による性、快楽、欲望、テクノロジー、身体表象の文脈にも置かれている。National Gallery of Australiaの「The Body Electric」は、女性アーティストによる性、快楽、欲望を扱う展覧会として、細倉をナン、ゴールディン、ソフィ、カル、シンディ、シャーマン、コリア、ショア、岡部桃、フランチェスカ、ウッドマンらと並べて紹介している*27。Walker Art Center版の「The Body Electric」は、スクリーンを身体とアイデンティティを考え直す場所として扱い、ジェンダー、セクシュアリティ、階級、人種を重視する展覧会として構成されていた*28。この文脈に置くと、細倉のデジタルコラージュやインスタレーションは、写真を大きく引き伸ばす形式の問題にとどまらない。身体を誰が見ているのか、その視線が本、スクリーン、展示空間、ネット上の画像を通ってどのように変わるのかを問う表現として読むことができる。American Suburb Xの《NEW SKIN》評は、同作がジェンダーとテクノロジーの可能性を示しながら、男女や記号の分類に依存する部分も残していると指摘している*23。この批評は、《NEW SKIN》が境界を単純に消す作品ではなく、身体を見る時に働く分類や欲望を、写真、印刷、デジタル画像、展示の中で見えるようにする作品であることを示している。

記名的な身体と匿名的な風景

細倉の身体表象には、抽象化やコラージュと同じくらい、被写体から情報をどのように差し引くかという問題がある。神奈川芸術プレスのインタビューでは、磯部涼の「ルポ川崎」に写真で関わった細倉が、ルポ写真では被写体が誰なのか、どのような背景を持つのかという記号が多い状態で提示されるため、写真を撮る行為によって「その人らしさ」をむしろ差し引く方向にしたと語っている*11。この発言は、細倉が被写体の情報を増やすことより、どの情報を残し、どの情報を外し、どの距離で見るかによって身体や場所の見え方を変えていることを示している。初期の《Mapping》で私的な場と公的な場を混ぜたこと、《KAZAN》で土地や人物の名前を外そうとしたこと、《Transparency is the new mystery》で身体と結晶を組み合わせたこと、《NEW SKIN》で複数の欲望を混ぜたことは、それぞれ別の方法で、身体が性別、名前、所有、説明へすぐに回収される流れを遅くしている。細倉真弓の写真は、身体がどの条件で身体として読まれ、どの条件で画像、記憶、欲望、媒体の問題として現れるかを問い直す。その意味で彼女は、2010年代以後の日本写真において、ヌードや身体表象を、撮られる側の属性から見る側の位置へ移し替えた作家として位置づけられる。

§ REL 関連する写真家・運動
Photographers
  • 長島有里枝 — 身体、家族、セルフイメージを通じて、日本写真における私的な視線とジェンダーの問題を広げた作家。
  • 野村佐紀子 — 親密な距離と男性ヌードを通じて、身体を物語ではなく光と関係の中に置いた写真家。
  • 川内倫子 — 日常の断片、光、生命感を通じて、写真集の流れの中で感覚を組み立てた作家。
  • ヴォルフガング・ティルマンス — 身体、日常、抽象、写真集、展示空間を横断し、写真の見え方を再編した作家。
Movements / Contexts
  • フェミニズム写真 — 身体、視線、制度、自己表象をめぐる写真表現の文脈。
  • コンセプチュアルアート — 作品を一枚のイメージではなく、構造、手続き、展示、言語の関係として扱う文脈。
  • 私写真 — 個人の経験や親密さを写真の主題にしながら、その語り方そのものを問う日本写真の文脈。
§ REF さらに読む
Mayumi Hosokura, Transparency is the new mystery
MACK, 2016
ヌードと結晶を白黒の透過的なイメージとして構成した写真集。細倉の身体と物質をめぐる初期の重要な基盤を確認できる。
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Mayumi Hosokura, New Skin
MACK, 2020
男性身体、ゲイ雑誌、彫刻、セルフィー、過去の写真を用いたデジタルコラージュから、身体、視線、欲望、記憶の境界を問う作品集。
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KAZAN
MATCH and Company / artbeat publishers
やわらかな色調で身体・自然・鉱物のイメージを重ねる、細倉の初期を代表する写真集。
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川崎 / KAWASAKI PHOTOGRAPHS
工業都市・川崎を主題に撮影した写真集。
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§ SRC 出典