ザネレ・ムホリ
南アフリカのLGBTQI+コミュニティを撮影した《Faces and Phases》で人権侵害と可視性を問い続けた写真活動家。「視覚活動家」を自称する写真家。
スマートフォンとInstagramが写真の生産・流通・消費を根本的に変えた時代。毎日数十億枚の写真が共有される一方で、写真集・銀塩プリント・暗室技法への再評価が加速した。「写真史を読み直す」実践が世界各地で始まった。
2010年代は写真の矛盾が極限に達した時代だ。Instagramは1日あたり一億枚以上の写真を流通させ、同時に写真集のコレクター市場は過去最高を記録した。植民地写真の再評価・デコロニアル写真史の構築・黒人写真家の再評価が写真史の記述を問い直した。気候変動・移民危機・コロナ禍が写真ジャーナリズムの倫理と方法を継続的に問い続けた。
スマートフォン時代に「写真を撮る」ことと「写真を見る」ことの関係は根本的に変わった。誰もが撮影者で誰もが観客である状況で、「写真家であること」の意味が問われた。同時に、最も批評的な写真実践は写真史のアーカイブを読み直すこと——過去を再フレーミングする行為——へと向かった。
アラブの春(2011年)・東日本大震災(2011年)・BLM運動・コロナ禍(2020年〜)・ウクライナ戦争(2022年〜)。
Instagram(2010年)・スマートフォンの普及が「誰もが写真家」の時代を実現。毎日数十億枚が共有される環境が生まれた。
デコロニアル写真史・植民地写真アーカイブの批判的再読・黒人写真家・アジア写真家の再評価が世界各地で進んだ。
写真集コレクター市場が過去最大規模に達した。独立系出版・アーティスト・ランのプロジェクトが世界各地で増殖した。
南アフリカのLGBTQI+コミュニティを撮影した《Faces and Phases》で人権侵害と可視性を問い続けた写真活動家。「視覚活動家」を自称する写真家。
家族写真を演出・仮装で再構築した《浅田家》(2008年)で木村伊兵衛写真賞受賞。東日本大震災被災地でのアルバム復元ボランティアでも注目された。
アマリア・ウルマン(1989年アルゼンチン生まれ)は、2014年にInstagramとFacebookで「Excellences & Perfections」を実施したアルゼンチン=スペインのアーティスト。脚本化された架空の自己像をSNSに投稿し続け、プラットフォームが前提とする真正性・自己ブラン…
横田大輔(1983年埼玉生まれ)は、フィルムを反復的に現像・スキャン・再撮影・焼損・折りたたむなど物理的・化学的・デジタルなプロセスを連鎖させ、写真の物質性そのものを主題とする写真家。第45回木村伊兵衛写真賞受賞(2019年)。
小林健太(1992年神奈川生まれ)は、自ら撮影した写真をPhotoshopのスミアツールで引き伸ばす《#smudge》などで知られ、撮影後の編集画面・ピクセル・AI生成までを写真の現場として扱い、デジタル環境で現実がいかに編集されるかを問う写真家。
細倉真弓(1979年京都生まれ)は、ヌード、身体、植物、鉱物、デジタルコラージュを通じて、身体を見る視線そのものを問う写真家。写真集《NEW SKIN》では男性身体、ゲイ雑誌、彫刻、セルフィーを重ね、男性身体を見る視線の位置を組み替えた。
田中義久と飯田竜太によるアーティストデュオ(2007年結成)。積層・切断・彫刻という物体的プロセスで写真を再定義し、expanded photographyとphotographic objectの文脈で世界的に評価される。
1987年埼玉県生まれ、群馬県育ち。先天性脛骨欠損症により9歳で両脚の切断手術を受け、義足とともに生きてきた経験を背景に、手縫いのオブジェや装飾した義足を自ら作り、それらと自身の身体を緻密に配置して撮影するセルフポートレートを展開した。写真集『GIFT』と第58回ヴェネチア・ビエンナーレでの展示は第45回木村伊兵衛写真賞の対象となり、義足で履けるハイヒールを作る「ハイヒールプロジェクト」など、装いと身体の選択肢そのものを制作の対象にしている。
1972年広島県呉市生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業。旅先や台湾・ニューヨークでの生活、呉の家族を膨大なスナップショットに撮りため、時間を置いた選択と写真集の構成によって、撮影時には気づかなかった経験を作品化してきた。2013年から広島市で暮らしながら川沿いの日常を撮った『川はゆく』(赤々舎、2017年)は、原爆ドームの前で踊る高校生など現在の生活に歴史の重なりを示し、第41回伊奈信男賞、林忠彦賞、木村伊兵衛写真賞を受賞。2023年には「New Stories」「花のゆくえ」など近年の活動により東川賞新人作家賞を受けた。