アレクサンダー・ガードナー(Alexander Gardner)は、戦争写真とドキュメンタリーを考えるうえで欠かせない写真家です。このページでは、戦争写真とドキュメンタリーを手がかりに、写真史の流れの中での位置づけを、関連作家・運動・出典とあわせてたどります。
アレクサンダー・ガードナーは1821年にスコットランドのグラスゴー近郊に生まれた。1856年頃に渡米し、マシュー・ブレイディのワシントンD.C.スタジオの管理者となった。南北戦争が勃発するとマクレラン将軍の参謀として地図・海図の複写を担当し、その後戦場写真の撮影に転じた*1。1862年11月にブレイディのもとを離れて独立し、多くのスタッフを引き連れて自身のスタジオを設立した。ブレイディが写真家の個人クレジットを表示しなかったのとは対照的に、ガードナーは1865〜66年刊行の写真集『ガードナーの戦争写真スケッチブック』(全2巻、100枚のアルブミン銀塩プリント収録)において11名の写真家を個別に明記した——ドキュメンタリー写真における著作権の原則的な主張だった*1。ゲッティ美術館はこれを「アメリカ最初の南北戦争写真の出版コレクション」と評している*2。1862年のアンティータムの戦い後、ガードナーは戦場の死体を撮影し、ニューヨークでの展示は戦争のリアルを初めて市民に直視させた。ゲティスバーグで撮影した「反乱軍の狙撃兵の家」(1863年)は後の調査によって遺体の移動と小道具の使用が示されており、ドキュメンタリー写真における演出と記録の倫理問題を先取りする作品として今日も論争の対象である*2。1865年にはリンカーン暗殺の共謀者4名の処刑(1865年7月7日)を撮影することを許された唯一の写真家として現場に立ち会い、シークレットサービスから調査全体への自由なアクセスを与えられた*3。戦後は1867年よりカンザス・パシフィック鉄道の測量写真家として西部開拓を記録し、カンザス・コロラド・ニューメキシコ・アリゾナにわたる広大な地域を撮影して1869年に成果を刊行した*2。スミソニアン国立肖像画美術館は2015〜16年の大規模回顧展「共和国の暗野」においてガードナーを「アメリカ最初の近代的写真家」と評し、写真に写実主義の重みを注入してアメリカ文化の変容に決定的な役割を果たした人物として位置づけた*4。メトロポリタン美術館も「南北戦争の壮大な記録という構想はブレイディのものだったが、それを実際に実行したのはガードナーだった」と評している*1。