ラシード・ジョンソンは、シカゴの路上生活者を8×10判カメラとヴァン・ダイク・ブラウン印画で撮影した《Seeing in the Dark》から、架空の黒人社交クラブ、黒い石鹸、シェイバター、書籍、植物を用いる空間作品へ進んだ。黒人肖像を、人物の顔だけに答えを求める形式から、撮影者と被写体の階級差、古い印画法の権威、衣服、題名、所有物、美術館制度が自己像を作る過程へ広げた。
黒人肖像は、19世紀の人種分類に利用される一方、フレデリック・ダグラスやW・E・B・デュボイスらによって尊厳、市民性、教育を示す自己表象にも用いられた。1990年代末のジョンソンは、シカゴで知り合った住居のない黒人男性をスタジオへ招き、8×10判カメラでゆっくり撮影し、手作業のヴァン・ダイク・ブラウン印画を作った。撮影者と被写体は人種を共有しながら、階級と生活条件が異なる。その距離が、閉じた目、伏せた顔、画面を遮る手として写真に残る。古い印画法は、美術館の歴史的肖像を思わせる褐色の表面と制作時間を、個人名を持つ住居のない黒人男性の肖像へ与えるために選ばれた。後の《The New Negro Escapist Social and Athletic Club》では、同じ歴史的外観を使って架空の会員と制度を作り、写真資料が衣装、題名、印画、収蔵によって信頼を得る過程を扱った。さらに自己像を本、音楽、家庭用品、植物、建築へ分散し、黒人をどう写すかという課題を、個人がどの文化を選び、どの物と制度によって自己像を組み立てるかという空間的な制作へ展開した。
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黒人肖像の歴史と、シカゴの写真教育
19世紀のアメリカでは、黒人の身体が奴隷制や人種学の分類へ利用される一方、フレデリック・ダグラスは繰り返し肖像に写り、自らを思考し行動する市民として公衆へ示した。National Portrait Galleryは、ダグラスが19世紀アメリカで最も多く撮影された人物となり、写真の社会的な力を意識して自らの像を作ったことを紹介している*3。黒人肖像は、他者から分類される画像と、自らの尊厳を公に構成する画像の両方を担ってきた。
1900年のパリ万国博覧会では、W・E・B・デュボイスとトーマス・J・キャロウェイが「American Negro Exhibit」のために約500点の写真を集め、教育、仕事、家庭、組織を通じてアフリカ系アメリカ人の生活と進歩を提示した。Library of Congressは、この展示に由来する肖像や生活写真の一部を公開している*1。ジョンソンの初期作品は、黒人が撮影によって分類されてきた歴史と、写真を自己表象へ用いてきた歴史の双方を受けた時代に制作された。
ジョンソンはコロンビア・カレッジ・シカゴで写真を学び、共同体との長期的な撮影で知られるダウド・ベイの指導を受けた。シェリー・ライスによれば、当時の写真教育では、貧困状態にある人を撮る際の権力関係が大きな論点となり、マーサ・ロスラー、アラン・セクーラ、ジョン・タグらの社会ドキュメンタリー批判が参照されていた*14。撮影者が社会問題を説明するために他者の生活を利用する危険が、若いジョンソンの制作環境にあった。*16
《Seeing in the Dark》の被写体は、南ミシガン・アベニューのスタジオ周辺で知り合った住居のない黒人男性だった。ジョンソン自身も黒人男性であり、人種的な経験の一部を共有する一方、大学で写真を学び、スタジオと美術制度への入口を持っていた。人種の近さと階級差が同時にあるため、被写体を「黒人」や「ホームレス」の代表へまとめる撮り方は、関係の複雑さを消してしまう。ライスは、信頼、抵抗、自己開示の程度が人物ごとに異なる点を、このシリーズの中心としている*14。
2001年、作品はスタジオ・ミュージアム・イン・ハーレムの「Freestyle」に選ばれた。セルマ・ゴールデンが同展で用いた「ポスト・ブラック」は、黒人作家が人種の歴史を扱いながら、単一の「黒人らしさ」を代表する役割から自由になる状況を指した*9。ジョンソンの写真も、肯定的な黒人像を一種類に定めず、被写体、撮影者、技法、階級、制度の関係を一枚ごとに変えている。
《Seeing in the Dark》―遅い撮影と古い印画法が作る対面
ヴァン・ダイク・ブラウン印画は、紙へ感光液を塗り、大判ネガを密着させ、紫外線や日光で焼き付ける19世紀由来の技法である。ジョンソンは8×10判のディアドルフ・カメラを使い、スタジオで近距離の肖像を作った*14。準備と露光に時間がかかるため、路上で一瞬を採取する撮影と異なり、被写体は椅子に座り、カメラへ向くか、目を閉じるか、手で遮るかを選ぶ時間を持つ。*5
1998〜99年はデジタル写真が急速に普及し、速く大量に撮れる画像が一般化した時期に当たる。ジョンソンは古い化学技法を選び、褐色のプリントを一点ずつ作った*14。感光液を塗り、密着焼きを行う工程は、新聞報道や身分証明の即時的な記録と異なる時間を肖像へ与える。美術館の歴史的肖像を思わせる形式を、個人名を持つ住居のない黒人男性へ向けたことで、《Seeing in the Dark》は、貧困の状況説明と、長く保存される肖像の格式を同じ画面に重ねた。*6
暗い階調にはロイ・デカラヴァの影響も指摘される*14。顔や衣服の細部は一度に開示されず、見る者は時間をかけて画面を読む。《Jonathan》では大きな手が顔への視線を遮り、《Eugene》では帽子と伏せた目が接近を制限する。人物は貧困の状況を説明する証拠として全面的に開かれず、カメラへ応じる方法をそれぞれ保持している。
デュボイスの二重意識を、架空の社交クラブとして演じる
《The New Negro Escapist Social and Athletic Club》(2008〜)は、実在しない黒人知識人の秘密クラブを設定し、正装した男性を会員肖像の形式で撮影した。National Gallery of Art所蔵の《Emmett》では人物が二重に現れ、椅子、暗い背景、時代を特定しにくい服装、褐色の印画が古い記録写真の外観を作る*7。
ジョンソンはこのシリーズを、W・E・B・デュボイスの「二重意識」と結びつけている。二重意識は、自分の経験から自分を見る感覚と、白人社会の評価を通して自分を見る感覚が重なる状態を指す。二重像、歴史的な服装、格式あるポーズは、その二つの視点を写真の構造へ置き換える*4。クラブは外部の差別から一時的に離れる場所となり、教養、階級、男性性の基準を内部で作る制度にもなる。
現代の友人やモデルが架空の会員を演じ、写真は存在しなかった組織の資料として制作される。題名、衣装、印画法、展示は、黒人史の中に想像上の社交空間を与える。同時に、古い褐色の印画、格式あるポーズ、美術館での収蔵が、写真を歴史資料らしく見せる条件も画面へ現れる。
顔に集中した自己像を、石鹸、書籍、音楽、植物へ分散する
彫刻とインスタレーションへ進んだ後、ジョンソンは黒人の自己像を人物の顔だけで担わせず、黒い石鹸、シェイバター、ワックス、鏡、タイル、観葉植物、書籍、レコードへ広げた。これらは理髪、セルフケア、家庭、学習、音楽、アフリカ系ディアスポラの生活に結びつく。MCA Chicagoは、家庭にある材料を美術の構造へ取り込む方法を「hijacking the domestic」と紹介している*2。
ジョンソンはウィフレド・ラムの絵画について、アフリカ系ディアスポラの宗教、キュビスム、近代美術が一つの画面で交差する点を論じている。人物を一つの人種的記号へまとめず、異なる文化資料と美術史を同じ空間に共存させる関心は、書籍、レコード、植物、家庭用品を集める後年の作品にもつながる。*11
材料は象徴と物理作用の両方を担う。シェイバターは温度で形を変え、黒い石鹸は壁面へ光沢と汚れを残し、鏡は鑑賞者を反射する。書籍とレコードは、知識と趣味が選択され、所有され、他者へ提示される仕組みを示す。格子状の棚は、個人的な文化史を整理する家具となり、美術館の分類と展示の構造も連想させる*18。*10
肖像写真では、一人の身体から人種、階級、教養、心理がまとめて読まれやすい。棚と空間作品は、顔に加えて、読む本、聴く音楽、身体へ塗る物、育てる植物、部屋の配置、鑑賞者の移動を自己像の要素として扱う。黒人性は一つの外見へ集約されず、文化を選び、所有し、他者へ提示する複数の行為として作品に現れる。
《Jonathan’s Hands》《Calvin》《Emmett》―名前と歴史的外観の変化
《Jonathan’s Hands》(1998)は、手を顔の前へ大きく出し、接近する視線を止める。《Calvin》(1999)では顔と衣服が暗い印画から徐々に現れる。題名に個人名を用いることで、「路上生活者」という社会的分類の前に、一人の人物として作品へ入れる*8。*15
《Emmett》(2008)の名前はエメット・ティルを連想させるが、モデルには現代の別人が起用される。現代のモデル、古い会員写真のような印画、二重像が、複数の時代を重ねる。初期作品の名前は匿名化を避ける役割を持ち、後のシリーズでは一人のモデルを黒人史の別の人物や物語へ接続する役割を持つ。
三作品を並べると、ジョンソンが尊厳ある肖像を作る作業から、尊厳がどの形式で表されるかを調べる作業へ進んだことがわかる。正装、古い印画、知的な題名は、黒人男性を歴史的な主体として見せる。同じ要素は、尊厳を教養、階級、男性性の型へ限定する可能性も持つ。*16
棚と建築的空間―自己像を所有物と鑑賞者の経験へ広げる
2012年のMCA Chicago「Message to Our Folks」は、初期写真から彫刻、映像、インスタレーションまで十四年間をまとめた*2。格子状の棚は、本、植物、レコード、陶器、香、モニターを支え、家庭の収納、モダニズム建築、美術館展示の秩序を同時に想起させる。
棚に何を載せるかは、肖像で衣服と背景を選ぶ作業に近い。鑑賞者は正面から像を見た後、周囲を歩き、鏡に映り、音や匂いを経験する。Whitneyの《New Poetry》では構造が美術館の内部から屋外へ伸び、作品を見る行為を公共空間の移動へつないだ*12。
建築的な規模によって、個人が自分を形作る本、音楽、家庭用品、植物、家具、制度を、鑑賞者が同じ空間でたどれるようになった。写真のフレーム内で行われていた選択と配置が、歩行、反射、匂い、音を伴う経験へ変わった。
ローナ・シンプソン、キャリー・メイ・ウィームズ以後の黒人肖像
1980年代以降、ローナ・シンプソンは背を向けた黒人女性や顔の見えない身体と言葉を組み合わせ、肖像から人種、性別、心理を直接読み取る習慣を検討した*19。キャリー・メイ・ウィームズは、黒人を科学的類型として撮った歴史資料を再使用し、写真と博物館が人種分類へ関与した歴史を示した*20。
ジョンソンはこの流れの後に、古い印画法を用いて新しい写真を作った。シンプソンは人物の情報を制限し、ウィームズは既存アーカイブを再読し、ジョンソンは歴史資料に見える架空の肖像を制作した。《New Negro Escapist》は、黒人史に欠けた社交クラブの像を想像し、衣装、題名、印画法、収蔵制度が歴史らしさを作ることも同時に示す。
この方法には肯定的な表象も含まれる。正装した黒人男性、個人名、教養を示す題名は、尊厳と自己形成の願望を明確に示す。そこへ階級的な選別、男性中心の会員制度、白人社会の評価を意識した姿勢が重なり、理想的な自己像が持つ規則も見える。
歴史的肖像の外観から、自己像を支える物と制度へ
《Seeing in the Dark》では、ヴァン・ダイク・ブラウン印画の遅い工程と褐色の表面が、撮影者と被写体の対面を長くし、住居のない黒人男性を個人名を持つ歴史的肖像として見せた。《New Negro Escapist》では、同じ外観が架空の会員と制度へ資料らしさを与えた。古い印画法は、一方では現実の人物に保存される肖像の時間を与え、もう一方では存在しなかった歴史を信頼できる記録のように作る。
インスタレーションでは、自己像を作る要素が、表情、衣服、背景から、本、音楽、身体用品、植物、家具、美術館の展示構造へ広がった。人物を正確に表すという肖像の課題は、個人が文化を選び、生活を整え、制度の中で見られる過程をどのように展示するかという課題へ続いている。
初期写真では、被写体の身振り、撮影者との距離、古い印画の表面が一人の人物像を作った。空間作品では、その役割を所有物、建築、音、匂い、鑑賞者の反射が分担する。ジョンソンが写真から複数の媒体へ進んだ過程は、黒人の自己像を一つの顔へ負わせず、生活を作る物と制度まで可視化するための展開としてつながっている。
SFMOMAなどの美術館コレクションでは、初期写真と後年の複合的な作品が同じ作家の実践として収蔵されている。2025年のグッゲンハイム美術館回顧展も、写真、彫刻、映像、絵画を通じて、黒人の自己像、家庭的な素材、不安、逃避という主題が継続する構成を取った。*17
この回顧的な受容によって、写真から立体へ移った経歴が媒体の転換として切断されず、肖像を作る要素を顔から物、建築、鑑賞者の経験へ増やした過程として読める。*13
- ローナ・シンプソン ― 顔を隠した写真と言葉によって、黒人女性の肖像を透明な説明から切り離した先行者
- キャリー・メイ・ウィームズ ― 人種分類の写真アーカイブを再使用し、写真と制度の暴力を批判した先行者
- デイヴィッド・ハモンズ ― 黒人文化に関わる日用品と美術制度を、物質的なユーモアと批評へ変えた比較対象
- グレン・ライゴン ― 黒人文学、引用、自己像を言葉と絵画の問題として扱う同時代作家
- ステージド写真 ― ヴァン・ダイク・ブラウン印画など歴史的プロセスと演出的フィクションを用い、黒人の主観性が歴史・アーカイブ・コードを通じて形成されることを示した。
- ポスト・ブラック ― 黒人性を否定せず、一つの代表像へ還元されることを拒む2000年前後の議論
- 黒人肖像 ― 人種分類、自己表象、尊厳、階級をめぐる写真史
- 架空のアーカイブ ― 存在しない歴史資料を制作し、記録の権威を検討する方法
- Whitney Museum - Rashid Johnson Artist Page
- The New Yorker - The Confident Anxiety of Rashid Johnson
- The Washington Post - Rashid Johnson Guggenheim Review
- Whitney Museum - Jonathan
- Art Institute of Chicago - Portraits That Look Back
- Whitney Museum - New Poetry, Art and Artists
- David Kordansky Gallery - Rashid Johnson