ロバート・フランクは、写真集『The Americans』で戦後アメリカの道路、車、国旗、ダイナー、人種隔離の場面を、粗い粒子と不安定な構図、緻密な編集順序でつなぎ直した写真家。外部者の視線とビート的な移動感覚によって、ドキュメンタリー写真を一枚の証拠から、読む写真集の批評的形式へ広げた。
ロバート・フランクはチューリッヒで生まれ、1947年にニューヨークへ移ったのち、ハーパーズ・バザーで働きながらアメリカの出版文化と写真界に入り、1950年代前半には『LIFE』、『Look』、『Charm』、『Vogue』などの仕事を行う一方で、独立した街頭写真にも取り組んだ*2。ニューヨークではエドワード・スタイケン、ウィレム・デ・クーニング、フランツ・クライン、ウォーカー・エヴァンスらがフランクの写真を支持し、エヴァンスはグッゲンハイム・フェローシップ申請を助ける重要な人物になった*2。1955年、フランクはアメリカを撮影する計画でグッゲンハイム・フェローシップを得て、南部、デトロイト、ロサンゼルス、サンフランシスコ、ネヴァダ、ユタ、モンタナなどを移動し、1956年には同計画を続けるための2度目のフェローシップも得た*1。この旅は同時期のトッド・ウェッブのアメリカ横断計画とも並行しており、両者は同じ1955年にグッゲンハイム財団からアメリカ調査の支援を受けたが、フランクの方法は、理想化されたロードトリップとは異なる、粗い画面と不安定な構図を含む視線として紹介されている*12。1958年にフランスで『Les Américains』として刊行され、1959年にジャック・ケルアックの序文を付した米国版『The Americans』が刊行されたことで、フランクの名は戦後写真集の歴史と結びついた*8。MFAHは、1955年のフランクとトッド・ウェッブを同じアメリカ調査の支援を受けた作家として並置し、同時代の「アメリカを撮る」計画の中でも、フランクの道行きが後に写真集史の中で繰り返し検証される対象になったことを示している*4。その後のフランクは『The Americans』だけに留まらず、『Pull My Daisy』や『Cocksucker Blues』などの映画、手書き文字や写真を組み合わせた後年の作品、ノヴァスコシアとニューヨークを往復する生活の中での私的なイメージへと進み、写真、映画、書物を横断する作家として活動を続けた*11。ロバート・フランク財団の略歴は、1955年と1956年の2度のグッゲンハイム・フェローシップに加え、のちの映画、写真、国際的な受賞を含めて、フランクの活動を一冊の写真集に閉じない長い実践として整理している*3。
フランクの『The Americans』は、アメリカ横断の旅をそのまま日記のように並べた写真集ではない。SFMOMAの展覧会資料によれば、フランクは1955年から1956年にかけて767本のフィルムで27,000点以上を撮影し、1,000点以上のワークプリントを作ったうえで、写真を選び、順序を組む作業に約1年を費やした*5。つまり本に残った83点は、旅の量を縮小した記録ではなく、膨大なイメージから「何を残し、何を隣に置き、どこで沈黙させるか」を選んだ結果である。メトロポリタン美術館は、この本の主題として人種主義、政治、消費文化、家族、アメリカ人の生活、労働、娯楽を挙げており、フランクの関心は名所案内ではなく、日常の中で制度や階層がふと見えてしまう瞬間に向いていた*6。この構成では、国旗、車、ダイナー、葬列、政治集会、道路、エレベーター、路面電車のような見慣れた記号が、ページをめくるたびに祝祭、移動、孤独、差別、消費の間を行き来する。見る者は「これはアメリカの豊かさなのか、それともその裏側なのか」と一枚ごとに決め切ることができず、前の写真で生まれた印象を次の写真によってずらされる。フランクはアメリカを一枚の決定的なイメージに要約するのではなく、矛盾した断片を順序の中でぶつけ、読者が自分で関係を探すしかない状態を作った。
フランクにとって写真集が重要だった背景には、渡米後に触れた雑誌文化と、それを自分の表現へ反転させようとする意識があった。ICPによれば、フランクは1947年にアメリカへ渡り、アレクセイ・ブロドヴィッチに採用されてハーパーズ・バザーでファッション写真を撮ったが、ファッション写真の制約を嫌って数か月で辞めている*2。この経験でフランクが知ったのは、写真は一枚の完成度だけでなく、誌面の余白、前後の写真、ページの進行によって別の意味を持つということだった。ただし商業誌面では、その編集は衣服や人物を魅力的に見せ、消費されやすいイメージを作るためにも使われる。フランクはその技術を、商品や人物を整える方向ではなく、見慣れたアメリカ像をほどく方向へずらした。SFMOMAは『The Americans』の前史として、フランクの手製本『40 Fotos』、『Peru』、『Black White and Things』、写真シークエンス《People You Don't See》を挙げ、さらにビル・ブラント、アレクセイ・ブロドヴィッチ、ヤコブ・トゥッゲナーを同時代の影響源として示している*5。メトロポリタン美術館も、フランクが1940年代後半から1950年代前半の仕事の中で、街頭写真のスタイルだけでなく、写真を順序づける思考をすでに持っていたと説明している*6。ロサンゼルス・タイムズは、キュレーターのサラ・グリーノフが、フランクのシークエンスを視覚的手がかりや皮肉な並置によって劇的、主題的な効果を生むものとして重視していたと伝えている*21。つまり写真集は、撮れた写真を収める器ではなく、どの写真の前に何を置き、どの写真の後に沈黙を残すかによって、現実の見え方を作り替える場所だった。
『The Americans』で問題にされたブレ、粒子、傾き、暗い露出は、単なる技術的な未熟さではなく、被写体が最初から美しく整って見えることへの抵抗としても機能している。ICPは、フランクのアメリカ文化への鋭い見方と、伝統的な写真技法に対する自由な態度が、刊行時の観客を驚かせたと説明している*2。Addison Galleryの展覧会解説も、フランクの「粒子の粗い、傾いた」スタイルを、アメリカ生活の暗い側面を見つめる検証と結びつけている*12。この形式をとった背景には、1950年代の広告、ファッション、グラフ雑誌が作る、明るく整ったアメリカ像への距離があった。たとえば《Trolley—New Orleans》では、路面電車の窓枠が乗客を区切り、日常の移動空間の中に人種隔離の秩序が見える*13。《Parade—Hoboken, New Jersey》では、国旗が顔を隠すように画面を横切り、祝祭の記号であるはずの旗が、個人の表情を覆う遮蔽物としても働く*14。ここでフランクは、被写体を美しく整えて意味を安定させるのではなく、窓枠、旗、暗さ、傾き、途中で切れた視線によって、アメリカの公的なイメージがどこかでひっかかる状態を作っている。
この本でフランクが行ったのは、アメリカ社会への判断を文章で説明することではなく、読者がページをめくる過程で、国家、公共空間、移動、孤独の関係を自分で感じ取るように写真を配置することだった。National Gallery of Artの「Looking In」展は、83点のオリジナルプリントだけでなく、28点のコンタクトシート、17冊の書籍、15点の書類、ワークプリントのコラージュを展示し、完成した写真集だけでなく、写真集がどう組み立てられたかを検証した*7。メトロポリタン美術館は、ワークプリント、コンタクトシート、エヴァンズやケルアックへの書簡が、フランクの準備と計画をたどる手がかりになると説明している*6。冒頭の《Parade—Hoboken, New Jersey》では、国旗が祝祭の記号であると同時に顔を隠す遮蔽物になり、「アメリカ」を最初から見通しのよい共同体として始めない。中盤の《Trolley—New Orleans》では、路面電車の窓枠が乗客を区切り、ページの流れの中で、人種、年齢、性別の配置が公共空間の秩序として見えてくる。終盤に現れる《U.S. 90, En Route to Del Rio, Texas》のような道路のイメージは、自由な移動の象徴であると同時に、人物のいない距離、孤独、通過するだけの視線を強める*15。旗、路面電車、道路は、それぞれ単独では説明的な記号に見えるが、本の中で繰り返し現れると、国家、公共空間、移動、孤立が互いに響き合う。フランクの批評性は、読者に結論を渡す文章ではなく、明るい戦後アメリカ像をそのまま信じにくくするページの運びにある。
フランクの写真には多くの人物が写っているが、それらは説明的な肖像ではなく、社会の中に置かれた一瞬の身振りとして現れる。《Elevator, Miami Beach》では、エレベーターガールの視線が画面の奥からこちらへ返り、ホテルや観光地の華やかさの裏側にある労働、階層、孤独が、説明文なしに立ち上がる*16。メトロポリタン美術館のフォトギャラリーに並ぶ《Funeral—St. Helena, South Carolina》、《Charleston, South Carolina》、《Political Rally—Chicago》、《Rodeo—New York City》などを見ると、フランクが人物を典型や代表として扱うのではなく、社会制度の中に一時的に浮かび上がる表情、視線、配置として捉えていたことが分かる*17。この距離は、人物を伝記的に説明するのではなく、視線、姿勢、配置をそのまま残す方法として働いている。背景を語りすぎないことで、フランクは、何が写っているかだけでなく、なぜこの距離でしか見えないのかを読者に考えさせる。
フランクの写真集への関心は、その後の映画や書物への移行とも切り離せない。写真は一枚で見れば、ある瞬間を止めた像である。しかし写真集では、読者がページをめくるため、前のページの記憶が次のページに重なる。たとえば道路の写真を見たあとにダイナーや葬列を見ると、道路は自由な移動だけでなく、孤独や通過の感覚にもつながる。国旗も、最初は国家の記号だが、別のページで車、政治集会、路面電車と接続されると、祝祭だけではない圧力を帯びる。メトロポリタン美術館は、フランクが『The Americans』を整理していた時期に制作した《From the Bus》について、通常のニューヨーク市バスを「日常生活の移動する映画館」に変え、非物語的な静止画でありながら、過ぎ去った瞬間とリアルタイムの運動の印象を並行して伝えるものだったと説明している*20。同ページに残されたフランク自身の言葉にも、バスの中から外を見ること、街の人々を見ること、写真を一枚ずつではなく「次々に見る」感覚が示されている*20。この感覚は『The Americans』にもつながっている。フランクは静止写真を映画に変えたのではなく、静止した写真をページの前後関係に置くことで、読者の中に「さっき見たもの」と「いま見ているもの」がぶつかる時間を作った。そのため『The Americans』は、アメリカを説明する図鑑ではなく、同じ国旗、同じ車、同じ道路、同じ孤独を、ページを進むたびに別の角度から見直させる本になっている。
フランクの影響は、「フランクが後の作家を直接決定した」という一本線の系譜ではなく、写真集、街頭、偶然、粗い画面、説明しすぎない社会批評をめぐる複数の参照点として捉えられる。Apertureは『The Americans』が後続世代に影響した写真家として、リー・フリードランダー、ナン・ゴールディン、ダニー・ライアン、ジョエル・マイロウィッツ、エド・ルシェ、ゲリー・ウィノグランドらを挙げている*8。ただし、ここで継承されたのは同じ主題を撮ることではなく、写真集の順序、街頭の偶然、粗い35ミリの感覚、説明しすぎない社会批評が、複数の作家にとって参照可能な形式になったということだ。ウィリアム・クラインや森山大道との比較も、都市の粗さや反美学的な速度だけではなく、写真集が都市や社会をどのように編集するかという問題に置くと、より具体的になる。フランクが開いたのは、写真が「正しく写っているか」だけで評価される場ではなく、どの写真を隣に置き、どの沈黙を残し、見る者をどの順序で歩かせるかまで含めて、ドキュメンタリーを考える場だった。
『The Americans』は現在では写真集史の中心的作品として扱われるが、米国刊行時から自然に受け入れられたわけではなかった。メトロポリタン美術館は、1959年の米国刊行時にフランクのアメリカ生活の描写が批判されたのち、やがて20世紀美術の傑作として認識されるようになったと説明している*6。ICPも、『The Americans』を写真史上最も革命的な本の一つとしながら、刊行時には論争の的になったと記している*2。当時の拒否反応は、アメリカ社会への批判だけでなく、ブレ、粒子、露出、傾きといった技術的に「悪い」とされた要素への抵抗でもあり、Vanity Fairは『Popular Photography』がこの本を厳しく退けたことを紹介している*18。写真集の編集や順序そのものが、刊行直後に現在のような細かさで批評されたというより、当時の批判は、編集順序の精密な分析というより、暗いアメリカ像、荒れた画面、反抗的に見える態度へ向けられていた。一方で後年になると、27,000点以上から83点へ絞り込み、笑顔のような要素を削る編集によって、明るい旅行記とは異なる感情の方向が作られていた点も指摘された*22。しかし、その拒否された要素こそが、後には写真の新しい現実感として読まれるようになった。The New Yorkerは、フランクの衝撃を、主題の政治性だけではなく、写真形式そのものを現実にぶつけて壊した点に見ている*19。2009年にはNational Gallery of Art、SFMOMA、The Metを巡回する大規模な50周年展「Looking In」が開催され、83点の作品だけでなく、コンタクトシート、ワークプリント、書簡、関連書籍を通じて、写真集の制作過程そのものが検証対象になった*7。ロサンゼルス・タイムズも同展について、フランクが写真を特定の順序に置き、視覚的手がかりや皮肉な並置によって劇的、主題的な効果を作った点にグリーノフが注目していると伝えている*21。MoMAは2019年の追悼記事で、フランクを「私たちの見方を変えた」作家として位置づけており、その評価は写真の主題だけでなく、写真を見る態度そのものに関わっている*10。2024年にはMoMAが生誕100年に合わせて「Life Dances On」を開催し、『The Americans』以後の60年を、写真、映画、書物、共同性の中で捉え直した*9。この受容の変化を踏まえると、フランクの位置づけは、戦後アメリカを暗く撮った写真家というだけではなく、写真を選び、削り、並べる編集の力によって、国家、移動、孤独、消費、視線の不均衡を読者に経験させた作家として考える方が具体的である。
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