ウィリアム・クライン(William Klein)は、ストリート写真とアメリカ写真を考えるうえで欠かせない写真家です。このページでは、ストリート写真とアメリカ写真を手がかりに、写真史の流れの中での位置づけを、関連作家・運動・出典とあわせてたどります。
ウィリアム・クラインはニューヨーク生まれだが、除隊後のパリでフェルナン・レジェのもとで絵画を学び、エルスワース・ケリーやジャック・ヤングマンらアメリカ人画家と交流した。1954年にヴォーグ誌のアート・ディレクター、アレクサンダー・リーバーマンの目に留まり、ニューヨーク帰任とともに同誌の写真家として招かれた*1。1954–56年のニューヨーク滞在中に撮影した写真をまとめた写真集『ニューヨーク、人生は善く、善くあなたのために』(1956年)は、フランスで刊行されプリ・ナダール賞(1957年)を受賞したが、米国の出版社はマンハッタンの汚い側面への視線を嫌って長年拒絶し続けた*2。クラインは高速フィルム・高コントラスト・粒子・ブレ・広角レンズ・挑発的な密着クローズアップという技法を、「欠点」としてではなく「都市のエネルギーを写真に転換する言語」として意図的に選択した。クライン自身は「カメラでしかできないこと——粒子、コントラスト、ブレ、歪んだフレーミングなど——を探求した。写真のルールは私には関係なかった。私は外からやってきた」と語っている*3。この姿勢はピクトリアリズムの「美しい絵」への志向とも、ドキュメンタリーの「中立的記録」という建前とも異なる第三の立場——写真家の主観・攻撃性・コメントを画面に刻み込む表現——を切り開くものだった。広角レンズを顔に押しつけるような密着クローズアップは被写体を圧迫・変形させ、「記録」でなく「衝撃」を意図したものであり、当時のギャラリーやメディアが「暴力的」と評した所以でもある*2。この写真集が「20世紀で最も重要な写真集の一つ」と位置づけられる根拠は、それがロバート・フランクの『アメリカン』(1958年)とともに、写真の技術的正確さを規範とする当時の主流に正面から反旗を翻した最初の写真集のひとつだったからであり、ICP・Artforum・ニューヨーク・タイムズなど複数の権威ある機関が「写真の正統派技法への反抗」の起点として繰り返し参照してきた*4。1955年からヴォーグ誌で10年間ファッション写真を担当し、モデルをスタジオから街頭に連れ出すという革新的な手法でファッション写真の概念を変えた。後年は映画監督としても活躍し、1966年に『フー・アー・ユー、ポリー・マグー?』を発表するなど多彩な活動を続け、2022年に96歳で死去した*5。