ロー・エスリッジは、ファッション撮影、広告のアウトテイク、家族写真、腐った果物、南部の風景、ネットから得た画像を同じ展示と写真集へ組み込む。画面の磨かれた表面を捨てず、写真が雑誌、商品、個人記録、美術館を移動するたびに価値と意味を変える仕組みを作品化した。商業写真と美術写真の区分が、掲載媒体と流通経路によって作られることを示した。
ポストモダンの写真批評は、広告画像を美術館へ引用して商品社会を分析した。その方法では、誰が広告を撮り、同じ技術と画像が依頼仕事、家族記録、美術作品をどう往復するかが後景に残った。エスリッジは商品像を作る撮影者と南部郊外の家族を撮る当事者が同一人物であることを制作の核にし、自作の広告、アウトテイク、家族写真、ネット画像を雑誌、展示、写真集で再編集した。商業と美術、私的記憶と商品価値の区分が、作風より流通と隣接関係によって作られることを示した。
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目次 · Table of Contents
アトランタからニューヨークへ――商業撮影と家族史を同じ視覚語彙にする
エスリッジはアトランタ・カレッジ・オブ・アートで写真を学び、ニューヨークでカタログや雑誌の撮影を行いながら美術作品を制作した。*61990年代末から2000年代、ファッション誌と美術館、フィルムとデジタル、個人写真とオンライン画像の流通経路が重なった。ICA Bostonは、ファッションと広告に由来する感覚を風景、肖像、静物へ適用する作家として早くから紹介した。*4彼は2026年の対話で、マイアミとアトランタの中産階級郊外、父の写真書、カタログ写真の助手経験が自分の視覚語彙を作ったと振り返っている。*20Apertureの対話も、1990年代初頭のデュッセルドルフ派への関心とカタログ撮影の経験を併記する。*15郊外の家族写真と、影を消して商品を明瞭に見せる実務は、彼の中で一つの基本語彙へ合流した。
写真という選択――絵画的構成と複製される仕事を両立する
エスリッジは映画を作る志向を持たず、絵画を作りたいと思っていたと語る。*2写真は一枚の画面を構成する絵画的欲望と、依頼、印刷、複製、再使用によって生活する職業的現実を同時に扱える。ポストモダンのアプロプリエーションは他者の広告画像を引用して商品社会を批判したが、その方法を採ると、エスリッジ自身が商品像を作る労働者である事実が画面の外へ出る。商業ポートフォリオと個人作品を分けて発表する方法も、彼が検討したい二つの制度の区分をそのまま維持する。そこで自分が撮った依頼写真、アウトテイク、家族写真を同じアーカイブで再使用した。ICA Boston所蔵の鳩の写真は、商業撮影で余ったフィルムから生まれ、依頼現場、偶然、後の選択が個人制作へ流れ込む例として紹介されている。*5
複数の写真語彙を同じアーカイブで運用する
エスリッジの展示には、スタジオの静物、モデルの顔、家族の冷蔵庫、南部の道路、企業建築、ネット画像、腐敗した食物が並ぶ。単一の署名様式に統一すると、商業撮影者、家族の一員、南部郊外の記憶を持つ当事者、美術作家という並行する立場のうち、一つだけが本当の作者像として残る。彼は役割ごとに作品を分けず、異なる画像を同じアーカイブで運用した。MoMAの《New Photography 2010》は、ウェブ画像、ファッション撮影、腐った果物、ランウェイ画像を「視覚的フーガ」として組む方法を説明する。*6MoMAの作家ページに並ぶ静物、肖像、風景、印刷画像の幅も、撮影スタイルより編集が作品の核であることを示す。*7
商品写真の明晰さを私的記憶へ持ち込む
高解像度、均質な照明、鮮明な色、正面性は、カタログ撮影で身につけた商品写真の明晰さである。エスリッジは同じ明晰さを、腐った果物、安価な看板、家族の室内、南部の道路へ与える。ICA Bostonは、普通の物を平面的な接写でデッドパンなアイコンへ変えると評した。*4その結果、私的記憶は商品像のように整い、商品像には家族写真の時間が付着する。広告の魅力を残すことで、その魅力が対象を選ばず欲望と嫌悪を生む仕組みまで画面へ含めた。
シークエンス――一枚では固定されるジャンルを隣接関係で変える
一枚だけを見ると、均質な照明と鮮明な色から広告、家族の室内から私的記録というように、既存のジャンル名がすぐに当てられる。エスリッジはその判定を変えるため、家族の冷蔵庫の隣に企業ロゴを配し、モデルの肖像の次に腐敗物を続ける。すると私的記憶は商品像のように、広告写真は家族の時間を帯びた像のように読まれる。Andrew Kreps Galleryは、商業スタジオ、構成された静物、携帯電話の即興画像が、集合によって開かれた意味を作ると説明する。*10Gagosianの作家資料でエスリッジは、シークエンスが「歌う」必要があると語っている。*9シークエンスは個々の写真に新しい意味を加え、商業、美術、家族記録という分類が画像の隣接関係によって作り直される過程まで実演する。
《New Photography 2010》――ポスト・アプロプリエーションの写真
MoMAの2010年展は、印刷物と映画に蓄積した画像を利用する四作家の一人としてエスリッジを紹介した。*6彼は自作の依頼写真、アウトテイク、ネット画像、日常の撮影を再結合し、作者が撮ったかどうかより、画像がどの文脈で働くかを問う。MoMAの《Studio with Red Bag》は、制作現場の何気ない一角が、展示によって静物と自己言及の両方になる例である。*8
《Le Luxe》《Sacrifice Your Body》《Shelter Island》――家族史と商品像を写真集で混在させる
写真集では、見開き、反復、ページの速度によって異質な画像が一つの視覚言語へ変わる。《Sacrifice Your Body》はフロリダの家族史、車、湿地、犯罪の記憶を広告写真と同じ明晰さで編集し、《Shelter Island》は夏の家族写真とファッション写真を同じ休暇の時間へ収めた。MACKは、複数の写真集がエスリッジの制作の中心にあることを示す。*12Le ConsortiumとM Museum Leuvenの展覧会図録も、展示空間で作られた画像関係を出版へ移す試みとして刊行された。*14同じ写真が本ごとに別の隣接関係を得るため、個人史と商品価値の比重も再掲載のたびに変わる。
《American Polychronic》――二つの職歴を逆方向の時間で編む
2022年の大部な作品集《American Polychronic》は1999年から2022年の仕事を収録し、美術作品を古い順、商業写真を新しい順に進めながら例外を多数挟む。The New Yorkerは、四百五十頁を超える本で編集仕事とギャラリー作品が徹底して混ぜられ、区別自体が無意味になると評した。*17タイトルの「複時間性」は、一人の写真家に並行する職歴と、画像が再登場する複数の現在を示す。MACKは本書を、個人、編集、商業の二十年以上を非線形に通過するモノグラフとして位置づける。*11Gagosianの展覧会は本の刊行後、同じアーカイブを壁面の尺度へ戻し、写真集と展示が互いの完成版にならないことを示した。*19
商業と美術の境界を、同じ画像の流通から読む
商業写真家が美術作品も作る例は以前からあり、多くは依頼仕事と個人制作を別のポートフォリオ、展示、評価基準へ分けてきた。その分業では、同じ撮影技術、モデル、スタジオ、ファイルが二つの領域を往復する過程が見えなくなる。エスリッジは同じネガやデータを雑誌、展覧会、写真集へ繰り返し流通させた。Gagosian Quarterlyで彼は1990年代末から2000年代初頭の写真を振り返り、依頼、家族、地域のイメージが一つのアーカイブへ入る過程を示した。*3一枚の像が依頼主の広告、作家の作品、家族史の断片として別の価値を得るため、商業と美術の境界は作風だけで説明できない。この移動そのものを自作画像で示した点に、エスリッジの写真史上の特徴がある。
ウォルフガング・ティルマンス以後の壁面と、エスリッジの差異
異なるサイズとジャンルを壁面で組む方法はウォルフガング・ティルマンス以後の写真展示と比較される。エスリッジの場合、均質な商業的完成度を持つ写真同士が並ぶことで、私的な写真さえ広告のように、広告写真さえ家族の記憶のように見える。Le Consortiumの美術館展は、写真の選択、配置、インスタレーション自体を作品の中心として提示した。*13《American Spirit》では、ファッション撮影の休憩中のモデル、アメリカ西部の風景、母がクーポンを入れた引き出しに由来するデジタル・コラージュが同居する。*18南部の家庭記憶、ブランド、写真史上の引用が同じフォルダと壁面を共有し、私的な起源と商品的な表面を分離できなくする。
批判的受容――クールさと広告的匿名性の危険
2010年のMoMA展に対し、The New Yorkerは作品の知性とスタイルを認めながら、広告の匿名性や計算されたクールさが煩わしさへ転じる危険も指摘した。*16この批判は重要である。ジャンルの階層を解体しても、商業イメージの魅力を反復するだけなら制度への適応に見える。エスリッジの強い作品では、腐敗、家族史、南部の階級文化、デジタル処理の不自然さが表面の快楽を乱し、滑らかな流通へ抵抗を残す。
画像の流通、商業労働、私的記憶を一つの制作工程にする
ICA Miamiの講演や対話は、商業写真と美術写真を往復する実践が一つの方法論として理解されていることを示す。*1《American Polychronic》は、同じ写真家が作った広告、家族写真、風景、ギャラリー作品を非線形に編み、画像が複数の制度を通過して意味を変える過程を見せた。*17ポストモダンのアプロプリエーションは完成した広告像を外部から引用し、商業写真と美術写真を分ける職業制度は二つの仕事を別々に評価した。エスリッジは、商品像を生産する労働者と、南部郊外の家族を撮る当事者が同一人物であることを制作の中心にした。家族アルバムも商品写真も同じ明晰な表面を持つため、個人の記憶が消費文化の外部に保存されているという前提も崩れる。画像流通そのものが、労働、階級、家族史とともに写真の意味を作る制作工程となった。
ポール・アウターブリッジとリチャード・プリンスの間――商品像を作る労働から批評する
エスリッジは、商業写真と実験的な静物や裸体を並行したポール・アウターブリッジ、広告画像を美術へ転用したリチャード・プリンスを重要な手掛かりとして語っている。The New Yorkerの《American Polychronic》評は、プリンスが引用したような商業像を自分で作る仕事へ進んだ経緯を紹介する。*17Apertureの対話で彼は、湿気、腐敗、ロマン化された南部写真へ構造性を加えるため、デュッセルドルフ派を参照したと語る。*15一方で郊外の中産階級、メソジスト的な家庭、カタログ、ストック写真は自分の「台本」として残った。*20商品写真の明晰さは、彼自身の労働と家庭・郊外の記憶から形成された視覚である。自作広告を美術空間へ再使用すると、依頼主、媒体、モデル、編集者、市場、美術館が一枚の像へ与える異なる権利と価値が同時に現れる。
- ウォルフガング・ティルマンス ― 私写真、編集、雑誌、展示壁を横断し、画像の階層を崩した比較対象
- トールビョルン・ロドランド ― 広告的な魅力と不穏さを同居させる現代スティルライフの比較対象
- コンセプチュアルアート ― 画像の文脈、反復、制度を撮影対象と同等に扱う背景
- ニューカラー ― 日常的なアメリカと色彩の表面を美術写真へ定着させた先行潮流