トーマス・アナン(Thomas Annan)は、社会ドキュメンタリーとドキュメンタリーを考えるうえで欠かせない写真家です。このページでは、社会ドキュメンタリーとドキュメンタリーを手がかりに、写真史の流れの中での位置づけを、関連作家・運動・出典とあわせてたどります。
グラスゴーでは19世紀中頃からコレラ・腸チフスが繰り返し流行し、当局はその温床を旧市街の密集路地「クローズ」に求めた。1866年の市条例に基づき設立されたグラスゴー市改善委員会は旧街区の撤去・再開発を決定し、記録写真を行政の文書化手段として採用した*1。その委嘱を受けたアナンは1868–71年に湿板コロジオン法で路地を撮影し、後に乾板法で再撮影・拡充した1877–79年版(計71点)を「グラスゴーの古い路地と街路の写真」として刊行した。仄暗い路地に佇む住民・洗濯物・石畳を正面から捉えた写真は、撤去の正当性を示すための記録として依頼されたものだったが、結果としてグラスゴー労働者階級の生活環境の証言となった*2。リース(ニューヨーク、1888–90年)より20年早く公的委嘱による都市貧困環境の記録という先例を作り、「改善のための記録が貧困の証言になる」という写真の逆説的機能を初期に示した事例とされる。アナンの息子ジェームズ・クレイグ・アナンはウィーン分離派とも交流したピクトリアリズムの写真家として活躍した*1。