フェリーチェ・ベアト(Felice Beato)は、ドキュメンタリーと戦争写真を考えるうえで欠かせない写真家です。このページでは、幕末日本、手彩色写真、横浜写真、代表作の『Views of Japan』を手がかりに、写真史の流れの中での位置づけを、関連作家・運動・出典とあわせてたどります。
ヴェネツィア生まれでイギリスに帰化したベアトは、1855年のクリミア戦争取材を皮切りに英仏軍が展開する場所へと同行し続けた写真家だった*1。1857–58年のインド大反乱後のラクナウでは、骸骨が散乱するセカンダーラバーグの「事後の現場」を撮影した(数ヶ月後の再訪撮影であり、遺体配置の演出が指摘されることもある)。1860年の第二次アヘン戦争では英仏連合軍に従い中国各地を撮影した。その際に知り合った英国人挿絵記者チャールズ・ウィルグマンとともに1863年に横浜へ移り、「ベアト&ウィルグマン」スタジオを開設した*2。ベアトは「西洋人が東洋の何を求めているか」を正確に把握しており、日本の風景・人物・風俗を外国人旅行者向けに写真帖として販売した。日本では写真の手彩色技法を広め、幕末から明治初期の日本社会を記録した*1。彼の視線は帝国主義の文脈に置かれており、今日の研究者はその権力関係を批判的に検討している*2。