フレデリック・H・エヴァンズFrederick H. Evans

フレデリック・H・エヴァンズ(Frederick H. Evans)は、ストレート写真と建築写真を考えるうえで欠かせない写真家です。このページでは、ストレート写真と建築写真を手がかりに、写真史の流れの中での位置づけを、関連作家・運動・出典とあわせてたどります。

基本情報
生没年 1853–1943

解説

フレデリック・H・エヴァンズは1853年にロンドンに生まれた。1880年代から90年代にかけてロンドンのチープサイドで書店を営みながら写真を撮り始め、1889年には保険会社勤めの17歳のオーブリー・ビアズレーが昼休みに店頭を訪れるようになったことを縁に、彼の才能を出版社に推薦してビアズレーのキャリアを決定的に後押しした。ジョージ・バーナード・ショーも常連客だった*1。1898年に書店を閉めて写真に専念し、白金印画(プラチナ・プリント)を主要媒体として英国とフランスの大聖堂の建築写真を系統的に撮り始めた。白金印画は中間調の幅が広く、鉛筆画のような柔らかい質感と版画の精密さを兼ね備え、銀塩プリントより格段に耐久性が高い。1900年に英国王立写真協会で150点の個展を開き、ピクトリアリズムのエリート組織「リンクト・リング」のフェローに選ばれた*2。エヴァンズの撮影哲学は「最も直截な直截写真(the straightest of the straight photography)」——ネガ・プリントへの一切の操作・修整を拒絶し、露光時点で完璧な画像を完成させるという厳格な態度だった。大聖堂を「石で書かれた詩」と呼び、特定の光が得られるまで何週間も建物を研究してから撮影した。1903年にウェルズ大聖堂の「階段の海(A Sea of Steps)」を撮影——MoMAなど主要コレクションが所蔵する写真史上最も有名な建築写真の一枚となった。スティーグリッツは「建築写真の最も偉大な実践者」と賞賛し、同年Camera Work第4号をエヴァンズの特集として発行し、ショーがその序文を書いた*3。1906年にはニューヨークの「291」ギャラリーでも展示された。第一次世界大戦中に白金印画紙の入手が困難になると、代替素材での妥協を拒否してほぼ撮影をやめた。1943年にロンドンで89歳で没した。

フレデリック・H・エヴァンズ 写真集

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外部リンク

出典