デイヴィッド・オクタヴィアス・ヒル(David Octavius Hill)は、カロタイプとピクトリアリズムを考えるうえで欠かせない写真家です。このページでは、カロタイプとピクトリアリズムを手がかりに、写真史の流れの中での位置づけを、関連作家・運動・出典とあわせてたどります。
デイヴィッド・オクタヴィアス・ヒルは1802年にスコットランドのパースに生まれた風景画家・版画家で、王立スコットランド・アカデミーの創立メンバーかつ書記を長年務めた。エジンバラの知的・文化的サークルの中心にいた人物で、その人なつっこい物腰と気取りのなさが被写体を安心させる特別な能力をもたらした*1。ロバート・アダムソンとの協働(1843〜48年)は、写真を芸術的媒体として意識的に用いた最初の本格的実践として評価されている。二人の協働が始まるきっかけは1843年5月18日のスコットランド宗教改革——「ディスラプション(分離)」と呼ばれる、約155名の牧師が国家権力による教会人事介入に抗議してスコットランド自由教会を設立した事件だった。ヒルはこの歴史的瞬間に居合わせた470名以上の人物全員を描き込む巨大な記念絵画の制作を決意し、参考用の肖像写真が必要となった。植物学者のデイヴィッド・ブリュースターがヒルに新進の写真家アダムソンを紹介し、カロタイプが理想的な参照素材になると提案した*1。ヒルは絵画家として培った構図知識を写真に応用した。レンブラントやオランダ絵画の肖像画法を参照しながら被写体を配置し、アダムソンが撮影・感光紙の調製・現像・プリントの全技術工程を担った。二人は約3000点の作品を残した*2。彼らがダゲレオタイプではなくタルボットのカロタイプ法を選んだことは本質的な芸術的判断だった。ヒル自身が語ったように「紙の粗さこそがカロタイプをダゲレオタイプに細部で劣らせる主因だが、それこそがカロタイプの命だ」——技術的限界を芸術的特質として意識的に選んだのである*2。カロタイプ・プリントの茶褐色の豊かな調子と光を吸収するマットな表面は、同時代の観察者にレンブラントの版画との類似を即座に想起させた。ニューヘブンの漁師・漁師の女性たちを捉えた連作は写真史上最初の重要な社会記録的プロジェクトとして、1846年刊行の『セント・アンドリュースのカロタイプ写真の連作』はメトロポリタン美術館とゲッティ美術館のコレクションに収蔵されている*3。アダムソンが1848年に26〜27歳で死去した後、ヒルは12年間写真を手放して絵画に戻り、「ディスラプション」の絵画は1866年にようやく完成した。スティーグリッツはヒルを「絵画的写真の父」と呼び、Camera Work誌(1905・1909・1912年)でヒル&アダムソンのフォトグラビュールを掲載した*4。メトロポリタン美術館は彼らの写真を「写真による肖像として最高の達成の一つ」と評している*1。