画家としての構図知識とロバート・アダムソンの技量を組み合わせ、1843〜48年にカロタイプで約3000点を制作したヒルは、写真を芸術的媒体として意識的に用いた最初の本格的実践者として評価されている。ニューヘブン漁師の連作は写真史上最初の社会記録プロジェクトであり、スティーグリッツはヒルを「絵画的写真の父」と呼んだ。
ヒルは、写真を記録の手段としてではなく絵画的構成の場として意識的に用いた最初の本格的な実践者として評価されている。レンブラントの版画を参照した調子の扱いと、カロタイプの「劣位」を芸術的特質として積極的に意義づける態度は、写真と芸術の関係を問い直す問題系を19世紀初頭に開いた。ニューヘブン漁師の連作は特定の社会集団を組織的に記録した最初の試みであり、のちのドキュメンタリー写真の先駆として位置づけられている。
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デイヴィッド・オクタヴィアス・ヒルは1802年にスコットランドのパースに生まれた。エジンバラで絵画を学び、風景版画や油絵を手がける画家として王立スコットランド・アカデミーの創立メンバーとなり、1830年からその書記を長年務めた。エジンバラの知的・文化的サークルの中心にいた人物で、自然な物腰と気取りのなさが被写体を安心させる特別な能力をもたらした*1。
写真との関わりが始まるきっかけは1843年5月18日のスコットランド宗教改革「ディスラプション」だった。約155名の牧師が国家権力による教会人事介入に抗議してスコットランド自由教会を設立したこの事件で、ヒルはその場に居合わせた470名以上の人物全員を描き込む巨大な記念絵画の制作を決意した。参考用の肖像写真が必要となり、植物学者のデイヴィッド・ブリュースターがヒルに新進の写真家ロバート・アダムソンを紹介した*2。
ヒルは絵画家として培った構図知識を写真に応用し、アダムソンが技術的な全工程——感光紙の調製・カメラの操作・現像・プリント——を担当した。この分業体制のもとで二人は1843〜48年の約5年間に推定3000点のカロタイプを制作した。エジンバラの著名人の肖像のほか、ニューヘブンの漁師・漁師の女性の連作、エジンバラと周辺の建築写真などが主要な仕事だった*3。
1848年にアダムソンが26〜27歳で死去した後、ヒルは写真活動を中断して絵画に戻った。「ディスラプション」の記念絵画は1866年にようやく完成した。ヒルは1870年に没した*4。
ヒルとアダムソンが選んだカロタイプ法は、技術的な解像度でダゲレオタイプに劣る。しかしヒルはこの「劣位」を芸術的選択として積極的に意義づけた。「紙の粗さこそがカロタイプをダゲレオタイプに細部で劣らせる主因だが、それこそがカロタイプの命だ」という言葉は、技術的限界を視覚的特質へ転換する発想を明確に示している*5。
カロタイプ・プリントの茶褐色の豊かな調子と光を吸収するマットな表面は、同時代の観察者にレンブラントの版画との類似を即座に想起させた。水彩画家ジョン・ハーデンは1843年11月に初めて二人の作品を見て「これはレンブラントだ、しかしさらに優れている、最高の古典的巨匠たちの様式とそっくりだ」と記録している*6。ヒルはレンブラントやオランダ絵画の肖像画法を意識的に参照しながら被写体を配置しており、この絵画的な参照の意識性が、同時代の他の写真家との決定的な差異となっている。
ニューヘブンの漁師・漁師の女性を撮影した連作は、写真史上最初の重要な社会記録プロジェクトとして位置づけられている。ニューヘブン(エジンバラ近郊のフィルス湾岸の漁村)の住民を被写体にした約130点は、特定の社会集団を組織的に写真記録した最初の試みとして、のちのドキュメンタリー写真の先駆とみなされている*7。
ヒルとアダムソンの仕事が写真史の正典に位置づけられた最大の契機は、スティーグリッツによる再評価だった。スティーグリッツはヒルを「絵画的写真の父」と呼び、Camera Work誌でヒル&アダムソンの写真をフォトグラビュール複製として1905年・1909年・1912年に掲載した。同時代のピクトリアリストたちにとって、ヒルの実践は自分たちの芸術的野心の19世紀的先例として機能した*8。
メトロポリタン美術館はヒルとアダムソンの写真を「写真による肖像として最高の達成の一つ」と評しており*9、ゲッティ美術館も両者の共同制作を「西洋写真史において最も重要な」パートナーシップの一つに位置づけている*10。スコットランド国立美術館(エジンバラ)はオリジナル・カロタイプの世界最大のコレクションを有しており、約3000点のプリントと関連資料を収蔵している*11。
ヒルが最初に写真を始めたのは絵画の参考資料を集めるためだったが、写真実践を続けるうちに参考資料の収集という目的を超えていったことは、彼の証言や制作量からも明らかである。写真家として、絵画家として、どちらの立場で彼を評価するかという問いは、写真が「芸術か否か」という19世紀の議論の核心に直結している*12。
- ロバート・アダムソン ― ヒルの絵画的構図を技術的に実現した共同制作者で、1843〜48年のカロタイプ約3000点をともに制作した。
- ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット ― ヒルとアダムソンが用いたカロタイプ法の発明者。
- アルフレッド・スティーグリッツ ― ヒルを「絵画的写真の父」と呼んで再評価し、Camera Workにカロタイプを掲載することで写真史の正典に位置づけた。
- ジュリア・マーガレット・キャメロン ― 肖像写真の芸術的可能性を追求した同時代英国の写真家で、絵画的参照の姿勢を共有する。
- ピクトリアリズム ― スティーグリッツらピクトリアリストはヒルの実践を自分たちの芸術的野心の19世紀的先例として参照した。
ヒルとアダムソンの共同制作を、肖像とカロタイプ表現の基礎から押さえる一冊。
画家としてのヒルの構成感覚と、写真が個人的な芸術表現へ広がる過程を読むための研究書。
ゲッティ美術館所蔵作を通じて、二人のカロタイプの質感と肖像表現を見渡せる図録。