アーヴィング・ペンIrving Penn

アーヴィング・ペンは、Vogueの誌面で鍛えたデザイン感覚を、白い背景、古い劇場幕、自然光、静物、職業肖像、プラチナ・パラジウム・プリントへ展開した写真家である。ファッションや広告の明快さを、人物や物の輪郭、沈黙、表面、印画紙の質感まで見つめる形式へ変え、商業写真と美術写真の境界を静かに組み替えた。

基本情報
生没年 1917–2009

経歴と背景

アーヴィング・ペンは1917年、ニュージャージー州プレインフィールドに生まれ、1934年から1938年までフィラデルフィア工芸美術館学校で学んだ。そこで師事したアレクセイ・ブロドヴィッチは、パリの1920年代文化を経験したロシア出身のデザイナーで、雑誌、展覧会、建築、写真を横断してモダンアートとデザインを教えていた*1。ペンはブロドヴィッチの助手やアートディレクター職を経たのち、1941年に画家を目指してメキシコへ向かうが、自作の絵に失望して破棄し、ニューヨークに戻った*1。1943年、同じくロシア出身でパリの出版文化を経験していたアレキサンダー・リーバーマンが、『Vogue』の新しいアートディレクターとしてペンを雇い、レイアウトや表紙案を考える仕事を任せた*1。リーバーマンは、旅先で撮られたペンのコンタクトシートに、何を見るべきかをすでに知っている眼を見て、彼自身に写真を撮るよう促した*1。ここからペンは、Vogueのために六十年以上にわたって制作しながら、雑誌、広告、肖像、静物、旅先のポートレート、プリント制作を、スタジオの条件、構図の圧縮、表面の観察、印画紙上の階調へ集めていく。彼を「洗練されたファッション写真家」とだけ呼ぶと、この複数の領域を一つの写真形式へ束ねた仕事が見えにくくなる。メトロポリタン美術館は、ペンの七十年近いキャリアを、構図、ニュアンス、細部への注意によって特徴づけられる簡潔なスタジオ美学として整理している*3。スミソニアン・アメリカ美術館も、ペンをファッション、ポートレート、静物、私的なスタジオ作品まで横断した作家として扱い、雑誌写真とファインアート写真の隔たりを狭めた写真家の一人として位置づけている*4。

表現解説

背景を消すのではなく、見る条件を作る

ペンが白い紙、古い劇場幕、北向きの自然光、可搬式のテント・スタジオを選んだのは、背景をただ消すためではなく、被写体がどのように見られるかを撮影者自身が引き受けるためだった。シカゴ美術館のアーカイブに残る草稿で、ペンは人物を「自然な状況」の中で写そうとする写真にしばしば失望していたと記している。理由はかなり具体的で、彼は、生活の場に入り込んでその人の環境全体を写し取るような写真を自分には十分に成し遂げられないと認めていた。その代わりに、衣服や装身具をまとった人物を、日常生活の偶然、背景の説明、土地の物語からいったん離し、「その人自身」だけに向き合う限定された方法を選んだ*15。つまりペンの白背景や仮設スタジオは、世界を単純化するための空白ではなく、余分な説明を減らすことで、人物の姿勢、服の質感、手、顔、道具、視線の集中を残すための装置だった。1948年のクスコで借りた北向きの自然光のスタジオ、後年のテント・スタジオ、倉庫や納屋を改造した撮影空間は、この考えを実際の場所へ移したものだった*15。ペンは、被写体がスタジオの敷居を越えると共同体の日常的な振る舞いを少し離れ、見知らぬ者に見られる経験へ集中し、屋外では得にくい尊厳と集中を帯びると考えていた*15。さらにテント・スタジオについて、そこは被写体の家でもペンの家でもない中間的な場所であり、だからこそ互いに完全には属さない空間の中で接触が起こる、と説明している*15。1950年にMoMAのシンポジウム「What is Modern Photography?」でペンは、現代の写真家は作品が短い時間で見られることを意識し、グラフィック・アーティストのような「手段の節約」を身につけていると述べた*16。ペンの背景の少なさは、この「手段の節約」ともつながっている。雑誌のページでは一瞬で伝わり、プリントでは長く見返せるように、人物、服、道具、肌、紙の階調を同じ光と距離の中に置いたのである。

ファッションを動きではなく、線と面として見る

戦後のファッション写真を考えるとき、ペンはリチャード・アヴェドンと並べられやすいが、両者の方法はかなり違う。アヴェドンがしばしば身体の動き、出会いの緊張、モデルの演技性によって衣服を現代的な出来事へ変えたのに対し、ペンは衣服を線、面、襞、重さ、シルエットとして静止させる。たとえば1950年のパリで見つけた古い劇場幕を背景に使い続けたことは、服を豪華な場所へ置くのではなく、服そのものがどのような形として立ち上がるかを見せるための方法だった*1。リサ・フォンサグリーヴスのように身体の形と姿勢を理解したモデルとの協働も、この方向を強めた*1。ここではモデルが物語の登場人物になるというより、衣服、身体、背景、プリントの階調が一つの構成体になる。ファッションは流行や所有欲を刺激するイメージであると同時に、布がどのように立ち、袖や襞がどのように面を作り、身体がどこで画面を支えるのかを示す対象になる。ペンの写真は商品を魅力的に見せるだけではなく、雑誌の速度の中で消費されるイメージを、構図と表面を見つめる時間へ引き戻している。

Small Tradesと職業の型

Small Trades》は、職業を、衣服、道具、姿勢、背景の関係として組み立てたシリーズである。ゲッティ美術館は、ペンが1950年代初頭にパリ、ロンドン、ニューヨークで、作業着を着て道具を持った職人や労働者を、中立的な背景と自然光のもとで撮影したと説明している*5。シカゴ美術館のアーカイブは、このシリーズがロンドンの呼び売りやパリの小職業を描いた古い版画の伝統に触発され、ウジェーヌ・アジェやアウグスト・ザンダーの職業肖像にもつながると説明している*15。ここでは、職場の騒音、街の動き、経済的背景は画面から外されている。その代わり、人物は職業の記号を身につけたまま、スタジオの静かな舞台に立たされる。後年、ペンがこのシリーズをプラチナ・パラジウムの拡大プリントとして作り直したことも、単なる保存や豪華化ではない。シカゴ美術館は、1970年代のプラチナ・パラジウム版が、皺の寄ったエプロンや前腕の血管まで明瞭に引き出し、手仕事が身体の痕跡として見えることを説明している*15。さらに同アーカイブは、ペンが戦後の企業化やチェーン店の増加によって、こうした職業が失われていくことを強く意識していたと記している*15。だから《Small Trades》の再プリントは、過去のネガを高級な技法で飾り直す行為ではなく、消えつつあった仕事の身体性を、紙の厚み、階調、細部の密度の中で再び読ませる作業だった。

静物、廃棄物、表面の知性

ペンの静物写真は、ファッションやポートレートから外れた余技ではない。人物を白い背景や幕の前に置く方法は、花、骨、煙草の吸い殻、食べ物、化粧品、手袋、昆虫のような対象にも向けられた。シカゴ美術館のアーカイブは、ペンの雑誌用静物にはしばしば物語性や擬人的な性格が与えられ、旅行鞄や小物が人物の代わりに旅の気配を語る一方で、贅沢な商品に鋭く不快な要素を混ぜ、ページをめくる読者を揺さぶる静物もあったと説明している*16。ペンがノートで「酸のような、不穏な調子」と呼んだのは、商品をただ美しく整えるだけでは雑誌の欲望に回収されてしまうからであり、虫、破れ、腐敗、廃棄物の気配を入れることで、見る者の快さを一瞬止めるためだった*16。たとえば《Summer Sleep, New York》では、眠る女性そのものよりも、手前の破れた網戸とハエが鋭く見え、背後の室内は湿った熱気のようにぼかされる*16。読者は美しい夏の情景を見るのではなく、網戸、虫、暑さ、滞った空気に先に触れる。花のシリーズでも、ペンはしばしば盛りを過ぎ、斑点や褐変やねじれを見せ始めた花を選んだ*16。Pace Galleryに掲載されている《Cigarette No. 37, New York》のような作品も、廃棄物を道徳的な告発としてではなく、形、染み、灰、紙の質感が凝縮された物体として扱う方向を示している*14。つまりペンの静物は、商品や生活用品を見せながら、その表面に傷み、死、消費後の残骸を混ぜ、雑誌写真の滑らかな快楽を少しざらつかせるものだった。

プリントは最後の工程ではない

ペンにとってプリントは、撮影後の仕上げではなく、写真の意味を決める中心的な工程だった。スミソニアンは、1960年代から1970年代にかけてのペンによるプラチナ・プリントの復興を重要な成果として挙げている*4。ここで問題になるのは、古い技法を使ったという事実だけではない。1950年のMoMAシンポジウムで、ペンは現代写真家にとって最終物は写真プリントではなく印刷されたページだと語っていた*16。しかし1964年のブロドヴィッチ・ワークショップでは、雑誌に出た写真を見ると傷つくほど失望すること、美しいプリントはページへ向かう途中の仮の状態ではなく、それ自体で完結したものだと語っている*16。Gagosian Quarterlyは、その背景に、1960年代初頭の編集仕事への不満、雑誌の印刷品質の低下、ジョージ・イーストマン・ハウスで古い写真家のプリントに衝撃を受けた経験があったと説明している*18。つまりペンは、雑誌で一瞬に伝わる画像を作りながら、その複製では失われる階調、紙の厚み、表面の沈み、手作業の時間を、プリントの側で取り戻そうとした。シカゴ美術館のプラチナ・プリント解説によれば、紙に感光性のプラチナ塩を手で塗布し、ネガを直接密着させて露光し、必要に応じて塗布と露光を複数回繰り返す工程が用いられた*6。ペンは紙の反りを防ぐために紙をアルミ支持体へ貼り、複数工程の位置合わせを精密に管理する方法も用いた*6。Gagosian Quarterlyはさらに、ペンがネガを一つの決定済み画像ではなく、質感、スケール、色調の異なるプリントを生む源として扱ったと説明している*18。だからプラチナ・パラジウム・プリントが重要だったのは、写真を「雑誌に載る図版」から、紙、金属、階調、サイズ、版の選択によって何度も作り直される物体へ移した点にある。メトロポリタン美術館が《Small Trades》のプラチナ・プリント群やヌードを収蔵・展示してきた事実も、この印画への執着が、ペンの写真を美術館で検討できる作品として支えたことを示している*24。

批評と受容

ペンの写真は、まずVogueの誌面で流通し、広告やファッションの文脈で見られた。その後、美術館や図録の中では、個々の写真が「何を売るための画像だったか」だけでなく、どのような構図、背景、光、プリントによって成立しているかまで検討されるようになった。MoMAは1943年以降ペンの写真を収集、展示してきたと記し、1984年にはジョン・シャーカフスキーが組織した回顧展を開催した*7。メトロポリタン美術館の『Irving Penn: Centennial』図録は、約300点の写真を含み、初期のドキュメンタリー、肖像、ファッション、ヌード、ペルー、ダホメ、ニューギニア、モロッコの人々、静物、広告写真、印画工程を含む全体像としてペンを扱っている*8。ここでいう「美術館で読める写真形式」とは、広告の目的や雑誌の掲載時期から切り離しても、画面の構成、反復される背景、モデルと衣服の関係、プリントの質感、シリーズ内の比較によって、作品として分析できる形式という意味である。たとえば同じファッション写真でも、誌面では服を伝えるイメージとして機能するが、展示室では、モデルがどの背景に立ち、衣服の線がどのように身体を変え、後年のプラチナ・プリントで階調や質感がどう変わったかまで見られる。メトロポリタン美術館の回顧展が、ファッション、静物、クスコ、都市労働者、ヌード、ニューギニアの肖像、花、文化人肖像を同じ展覧会の中で扱ったことは、ペンの写真がジャンル別の仕事ではなく、共通するスタジオの文法として検討されていることを示している*3。日本では、東京都写真美術館が1999年から2000年に「アーヴィング・ペン全仕事」を開催した*12。KYOTOGRAPHIE 2022では、MEPコレクションによる「Irving Penn: Works 1939–2007」が京都で紹介された*2。京都市京セラ美術館の展覧会ページは、銀塩写真、プラチナ・パラジウム・プリント、カラープリントのいずれにおいてもペンの作品が高く評価されていると説明している*13。

ペン以後への影響は、単に白背景やミニマルな構図が広まったことではなく、ファッション、肖像、静物を同じスタジオの文法で扱い、商業写真を構図、シリーズ、印画法、再プリント、展示空間の問題として見直せるようにした点にある。メトロポリタン美術館は、ペンの回顧展について、Vogue誌面での掲載と、後年の再使用・再プリントの違いを見せる構成をとったと説明している*24。MEPは、ペンが1950年代以降のファッション写真、ポートレート、静物の領域へ深い影響を与えた二十世紀写真の重要人物だと説明している*17。その影響がはっきり見える例が、三宅一生との長期協働である。メトロポリタン美術館は、1980年代以降、三宅が毎年ニューヨークのペンへ服を送り、ペンがその構造的な独創性に触発されて写真で応答したと説明している*19。21_21 DESIGN SIGHTの展覧会解説では、三宅が撮影に立ち会わないことでペンに自由を与え、写真が服を自分にとっても新しい世界として見せ返したことが語られている*20。チューリヒ造形美術館も、この協働を通常のファッション写真ではなく、形、身振り、抽象性を前景化する実践として整理している*21。後続のポートレートとの関係では、ペンを「白背景の元祖」として単純に置くより、何が引き継がれ、何が変わったのかを見るほうがよい。たとえばトーマス・ルフの《Porträts》は、正面性、中立背景、反復形式を用いる点でペンの肖像と比較できるが、メトロポリタン美術館は、ルフの大型ポートレートを、ベッヒャーの類型的方法、ミニマリズム、証明写真、監視社会の視線と結びつけて説明している*25。David Zwirnerの作家解説でも、ルフの肖像は無表情の人物を中立背景の前に置き、広告写真の磨かれたイメージへの疑いから、感傷的な物語ではなく鋭く客観的な写真を目指したものとして語られている*26。ペンの肖像が人物、衣服、身振り、紙の質感を一つの静かな形式へ凝縮するのに対し、ルフは顔を巨大化しながら心理を読み取れないものとして提示する。したがって両者は直接の影響関係としてではなく、白背景、反復、正面性が、商業誌面の集中から、現代写真における監視・証明・匿名性の問題へ移っていく比較軸として置くことができる。近年では、ハンク・ウィリス・トーマスがPace Galleryで「Kinship」をキュレーションし、ペンの写真が作られる構造と見られる位置を再検討した*22。Paceの解説によれば、トーマスはイメージがどのように作られ、どのように消費されるか、また見る者の立場や知覚が写真経験をどのように変えるかに関心を持つ作家である*22。展示では、ペンがポートレートで用いた構造物を思わせる空間の中に写真が置かれ、鑑賞者は被写体がかつて入ったような親密で閉じた場所を自分の身体で経験する*22。つまりこの再読では、ペンの写真を「何が写っているか」だけでなく、「どの空間で人物が見られ、鑑賞者はどこに立ってその像を見るのか」という問題として扱っている。ペンの形式は、後続の作家に一つの様式を真似させたというより、商業誌面、服、身体、物、プリント、展示空間の関係を組み替える方法として、後から何度も再解釈されてきた。

ただし、ペンの写真を「商業写真を芸術にした」という一文にまとめると、彼の方法はまた見えにくくなる。ペンは商業写真が求める明快さ、雑誌の印刷条件、広告の視認性を、削ぎ落とされた空間、構成の圧縮、物の表面、プリントの密度へ変換した。National Portrait Galleryの「Irving Penn Portraits」は、七十年近いキャリアにわたる文化人の肖像を中心にペンのポートレートを回顧した*9。The Guardianの同展レビューは、ペンの肖像について、簡素な設定、抑えた照明、ポーズと身振りの繊細な演出が、被写体の内面を直接暴くのではなく、外側に現れる範囲で示していたと論じている*10。これは、ペンの写真の限界と強さの両方に関わる。彼のスタジオは、人物を自由に語らせる場というより、人物、服、道具、紙、光を同じ厳密な形式へ入れる場だった。そのためペンの写真では、被写体の心理が直接語られるのではなく、姿勢、沈黙、表面、プリントの重さを通じて、見る者の前にゆっくり現れる。商業写真家でありながら、彼が写真史の中で重要なのは、雑誌のための明快なイメージを、写真がどのように人や物を「置き直す」ことができるかという問題にまで押し広げたからである。

アーヴィング・ペン 写真集

Still Life: Irving Penn Photographs 1938-2000
花、食物、廃棄物までを静物として見つめたペンの画面構成と質感を追える一冊。
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アーヴィング・ペン全仕事[図録]
東京都写真美術館の展覧会図録として、肖像、ファッション、静物を横断して見渡せる。
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Irving Penn
メトロポリタン美術館の回顧展に基づき、長い制作を総覧する大型カタログ。
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アーヴィング・ペン 三宅一生の仕事への視点
三宅一生との協働を通じて、服、身体、写真の造形的な関係をたどる。
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外部リンク

作品画像

出典